(2018年1月当時)
▼いきなりこんな写真でスタートですが、これはJR大牟田駅の近くではなく、駅からかなり歩いたところになります。
西鉄の大牟田駅もすぐ近くにありますが、そこから1駅分を歩こうと隣の新栄町駅まで歩く道のりの一角です。あまりに渋い家屋だったのでつい見入ってしまいました。
▼ちょっと駅から離れますが、ビジネス旅館などの建物が複数あり、これが現役稼働してるかはともかく、かつて結構賑わった辺りかもしれません。この左手前の河口荘というのはググったらその名前や地図などは出てきますが、ひょっとして現役なのか…。
▼塀がひび割れたところもありました。補修してるのが昭和感満載で。
▼先ほどの旅館より本近くにまたビジネス旅館がありました。
これも地図などにはその名前や情報は出てきますが、現役稼働しているのかまでは不明です。1979(昭和54)年に創業したとありました。
▼商店街らしい雰囲気の通り、いやまさに商店街ですが「みずき通り」という通りに出てきました。歩道もきれいに整備されていて見栄えの良い通りでした。
あと、これから出てくる写真も含めてですが、この日は雲がとっても特徴的な模様になっていて、そのおかげでどこを撮っても立派に画になるような感じでした。
▼みずき通りはきれいな通りではあるのですが、少し横を見つめると建物がすごく渋かったりして、足を止めずにはいられないことも多々ありました。
▼上の写真の通りから真横に見た格好のカットです。
お店は洋風ですが建物は和風でカオスな建物と感じました。白壁に黒も足され、赤のドアとかどんな状態なんだろう?という感じでしたが。
更にはその通りの奥を覗いたらもっとカオスな事になっていて、コンクリートの色褪せ具合とゴツゴツ感がすごい雰囲気を放っていました。
▼GINZAと書かれた通りが見えました。交差する商店街はアーケードつきの立派な所でした。
でも人通りは少なくて、静かな雰囲気でした。それでもこの辺りでの設備的には最も豪華なエリアかと思います。
▼たかしまや
なんてのがありました。鷹島屋と書くようです。
これまた店舗情報は載っているものの現役かどうか分からない状態でした。
▼商店街の脇にある「大牟田神社」へ入ってみました。
16世紀前半創立の歴史ある神社で、火の神また大牟田の氏神として崇められてきたとありました。
▼神社にあった大蛇(オロチ)山の大蛇車です。
大牟田駅のホームにオロチがありましたが電動の迫力あるやつで、これと同じようなオロチがここにもありました、大牟田といえばこれというぐらいめちゃめちゃインパクトあります。
▼大牟田神社の拝殿へ。
全般に朱色で稲荷系なのかな?と思いますが、そんなことは書かれていなかったです。
「二拝二拍子一礼」とちゃんと書いてあると、お祈りの時に分かり易くていいですね。
▼大牟田神社を出ましたが、この向こうへの通りの建屋群が壮観でした。渋すぎませんか?という意味で。手前には壁画のようなものも。
この通りの建屋群は実はこの記事のメインです。
右端に「新銀座」という通りの表示がありますが、この中を通っていく事が、この時の大牟田の旅のメインの目的だったのです。
▼という訳でこの「ふれあい新銀座」と銘打たれたここへ入っていきます。
この時点で怪しげな雰囲気がプンプン漂ってきてるとは思いますが…
▼ここからが本記事タイトル通りのところで、今回訪問の目的地でありました。
事前に調べてはいましたが、かなりの「ゴースト」な商店街です。アーケードがありながら、人が通っていないうえにろくにお店もやっていない…、しかも壊れたり剥がれたりしたところは放置されたまんまの部分もありで。
▼上の商店街から道路を隔てた先の商店街です。
これもまた見事なシャッター商店街!土曜ですが昼の15時ごろ、現役で稼働しているなら店が開いているはず、のところが全滅、、
と思いきや、向こう側にかすかな光が。
▼奇跡的に?!営業していた店がありました!!
東京屋 という紳士服のお店でした。
その向こうもTOKYOYAとありましたが、こちらは閉まっていて、旧店舗だったのかもしれません。それにしても1軒でも開いていたのが奇跡であり快挙?でした。
▼ここまで商店街の中を通ってきましたが、ここからはそれらの棟続きの建屋を外から眺めたものです。これが中から見るに負けず劣らずの渋さでした。
▼いつしか日も沈みかかり、夕焼けが現れた頃、元々の雲の描いた素晴らしさと相まって、景色の素晴らしさが増幅され、素晴らしいものが撮れました。
▼またまた新銀座の裏手(家的には表になりますが…)、アーケードがないだけ閉塞感はありませんでしたが、やはりゴーストな雰囲気でした。
大牟田来たなら、この商店街は寄ってみたら面白いと思います。ただし閉所恐怖症や静かなところが苦手という方には、全くの不向きにつき御注意よろしくお願いします。