前回記事のJR馬路駅の西隣の駅です。
-JR湯里駅-
・路線 JR山陰本線(京都-幡生間)
・開業 1935(昭和10)年5月1日
・訪問 2008(平成20)年10月
・1日あたり平均乗降車人員 8人/日 (2018年)
・近隣の都市駅 (京都方面) 大田市駅⇒5駅
(幡生方面) 温泉津駅⇒隣駅 江津駅⇒5駅
・鉄道での所要時間 東京駅から: 9時間50分
大阪駅から:6時間45分
※AM9:00発での最短時間
・駅規模ランク
ホーム ★☆☆☆☆ …1面1線
跨線橋 ★☆☆☆☆ …なし
駅舎 ★★☆☆☆ …平屋駅
▼「ゆさと」と濁らずに読みます。 「湯」の字がありますが、ここには温泉はありません。隣の温泉津(ゆのつ)駅が山陰屈指の温泉どころとなります。
大田市駅からも江津駅からもそれぞれ5駅あり、そういう意味では最も市の中心から疎遠な駅かもしれません。開業したのは他の沿線駅よりも遅く、昭和になってからの1935(昭和10)年で、歴史的にこれという重大な事案が見られませんでしたが、築地市場が開設された年という事です。
東京からだと鉄道では9時間50分を要し、いよいよもって10時間に迫るレベルです。大阪からでも6時間45分を要します。
1日あたりの乗車人員はわずか8人で、前々回記事の五十猛駅と同じです。
1935年の開業から1954(昭和29)年までの約20年間、この地は邇摩郡湯里村であり、この間のみ自治体名と駅名が一致しており、1954年から温泉津町に編入され、2005(平成17)年に大田市となり現在に至ります。
手前はホーム上の待合室で、これだけで事足りそうですが、向こうに駅舎があります。
▼ホーム上の反対方向(西側)で、向こうが江津・浜田方面です。
長いホーム上で屋根のある部分は、この先にはなく、待合室の先の庇と、駅舎裏の庇くらいです。
分かり易い1面1線のホームで、行き交う事のできない状態です。
左側(南)はやはり緑いっぱいで、沿線駅大体こんな感じです。
▼最初の写真よりやや向こうの位置になりますが、これが駅舎の横側であり、裏側であります。
石州瓦の結構きれいな建物でした。この4年前にあたる2004(平成16)年にそれまで木造駅舎だったものが、少し移転の上に新築され、旧駅舎は解体されたといいます。
2003(平成15)年当時でも1日あたり僅か40人の乗車人員でしたが、隣の馬路駅と違って、駅舎が撤去のままとならず、新築されたのは凄いですね。
▼ここからは湯里駅舎内のカットです。
棚に本が保管され「難波利三 作品コーナー」というのがありました。
1984(昭和59)年に「てんのじ村」で直木賞を受賞し、大阪の人とイメージしていましたが、ここの旧・温泉津町の出身で、この湯里駅が開業した翌年に生まれている島根県人でした。
1999(平成11)年に当時の温泉津町の名誉町民となり、現在は大田市名誉市民に引き継がれているといいます。郷土の偉人の為のスペースだったのですね。
▼いずれも改札方向へ向かっての左半分と右半分のカットです。
右側にはトイレがありました。
左側が先の棚ですね。
2004年に新築されている事もあってか、出札スペースなどはありませんでした。最初から無人駅想定と思います。
▼駅舎内改札側です。
といっても改札もスペースがなく、ただの扉の開いた通路でした。
ホームに入るや崖という感じで、上下線とも渡らずにそのまま乗れる便利なホームです。
▼ブレてて何書いてあるか分かりませんが「湯里駅が新聞にのりました!!」という事で新聞記事切抜きが駅舎内に貼ってありました。
駅そばの桜の木の事を記事にされているようでした。
▼これはホーム上にある待合室(駅舎ではない)傍から出ている階段で、ここを下りて集落へ出ます。少しの道を経てすぐ国道9号線です。
▼こっちは逆に待合室から階段を下りて、ホームを見上げたカットです。
殆ど緑に覆われてる感満載でした。
階段を下りた直後も舗道のない状態で。
▼こちらは駅舎から出た風景です。
この舗装された下り坂を経て国道9号線に至ります。
ちょっと位置が違うだけでえらく扱いが違ってました。
▼湯里駅の駅舎です。
何度も書きましたが2004年築の新駅舎です。
旧駅舎をつぶして新駅舎を建てたのはこの辺では実に稀有ではないでしょうか?
それだけ駅舎を残しておく意味や理由があったという事なのでしょう。
こんな感じで坂を下りて街へ出ます。
以上、湯里駅でした。