前回記事のJR湯里駅 の2つ西隣の駅です。
-JR石見福光駅-
・路線 JR山陰本線(京都-幡生間)
・開業 1928(昭和3)年10月25日
・訪問 2008(平成20)年10月
・1日あたり平均乗降車人員 14人/日 (2018年)
・近隣の都市駅 (京都方面) 大田市駅⇒7駅
(幡生方面) 温泉津駅⇒隣駅 江津駅⇒3駅
・鉄道での所要時間 東京駅から: 9時間59分
大阪駅から:6時間52分
※AM9:00発での最短時間
・駅規模ランク
ホーム ★☆☆☆☆ …1面1線
跨線橋 ★☆☆☆☆ …なし
駅舎 ★★☆☆☆ …平屋駅
▼山陰本線で珍しく旧国名である「石見」を冠する駅で、大田市では最西端の駅となります。「福光駅」が富山県南砺市にある為、「石見」を冠されています。
なので、大田市駅までは7駅もありますが、江津駅まではわずか3駅と近くなっています。温泉津駅を挟んで、湯里駅の2駅隣です。
ここも開業したのは他の沿線駅よりも少し遅く、昭和になってからの1928(昭和3)年で張作霖爆殺事件やラジオ体操の放送開始、昭和天皇の即位の礼などがあったといいます。
東京からだと鉄道では辛うじて10時間を切る9時間59分(!)を要し、大阪からでも6時間52分を要します。同じ西日本で、大阪からだと兵庫、鳥取の2県しか経由しないのに7時間近くかかるって凄いですね。
1日あたりの乗車人員はわずか14人で、一桁ではないものの、この辺りの主要駅ではない駅は軒並み10人前後となっています。ちなみに1984(昭和59)年には236人/日、2007(平成19)年でも100人/日であったといいます。
1928年の開業から1954(昭和29)年までの26年間、この地は邇摩郡福光村であり、この間のみ自治体名と駅名が一致しており、1954年から温泉津町に編入され、2005(平成17)年に大田市となり現在に至ります。
▼ホームは1面1線のみです。
向こう側にもホーム跡が残っていますが、線路が撤去されて機能しておらず、草が伸びていました。
かつて2面2線だったものが1面1線のみにされてしまっています。
▼ホーム上から、上の写真と反対側のカットです。
こちらは駅舎側となり、駅舎からそのままホームで待つ形となる為、ホーム上の待合室はなく、またホームと駅舎を繋ぐものもありません。
改札代わりに、きっぷ回収箱がありました。
▼駅舎の横(外側)には自転車置き場がありました。しかも屋根付きでした。
今の乗車人員が14人/日なんで、十分足りそうな気がします…。
▼改札部を出て、駅舎へ入りました。
いかにもという感じの木造のきれい目の駅舎内でした。2004(平成16)年に改築され簡易駅舎になったという事ですが、この当時で改装後まだ4年で、とてもきれいなものでした。
▼上の写真で見えていますが、時刻表です。
上りはほぼ出雲市行きで、下りはほぼ浜田行きという、分かり易すぎる設定でした。
1時間に1本もないダイヤで、この時沿線駅を一つ一つめぐっていましたが、1日で行ける駅がいくつもなかったくらいでした。
この当時(2008年)で、優等列車が上りで1本だけある状態でしたが、現在でもこの状態は維持されているようです。
▼駅舎内の改札から外を見た様子です。
木製の渋いベンチが多いのが見えます。
もう今やこんなに要らないだろう、とツッこんでしまうのですが…。
▼石見福光駅を出た目線です。駅前には広場スペースと道路の両サイドに建物があり、右前には駄菓子屋のような商店がありました。
とにかく、駅前だというのに崩れかかったような建物がすごく多い印象でした。
この見えている家屋だけでも、一体どれだけが人の住んでいる建物なのか??と思わされるほどでした。
▼石見福光駅の駅舎です。駅横にもなぜかベンチがありました。本当にベンチの多いところでした。
2つ隣の湯里駅と同じ時期に改装され、似たような規模で屋根の色も同じ駅舎となっていて、姉妹駅舎的な印象でした。
駅舎前の草花がよく手入れされていのが窺えました。
ちょっと見えにくいですが「石見 福光駅」のような形で、独特の書体で記されていた駅名看板でした。
以上、石見福光駅でした。これにて大田市の駅御紹介は完結です。