愛知県豊川市、愛知/豊川③ 御油宿から赤坂宿へにつづく豊川市の旅第4弾です。
▼御油から赤坂までの1宿駅分でかなり引っ張ってしまいました。
という訳で、赤塚宿の雰囲気が強く感じられるところからのスタートです。
ここは「赤坂宿公園」で、街道を歩いてきてちょっと休憩できるエリアになっていて、赤坂宿の案内や当時の街並図など、赤坂宿を知る事のできるエリアにもなっています。
▼上の写真に写っていますが、宝永八年(1711年)当時の「赤坂宿街並の図」がありました。
東海道三十六番目の宿場・赤坂は当初棟数が360戸ありましたが、この図の2年前、宝永6(1709)年に大火が発生し、なんと280戸が焼失し、80戸になってしまったといいます。
昔は火事が1件発生するだけで、多数の家屋が焼失してしまっていましたが、これはまたすごいですね。約8割が焼失した格好なので。
「百姓○○(名前)」という記録まで残っていたのですね。
▼こちらは上の写真のスペースの道隔てて向かいにあるスペースです。
こちらは休憩用のベンチもあり、また屋根付きになっていて、暑い時でも雨の時でもしのげる形になっています。
そしてここには「赤坂宿のまつり」として、街道に沿って寺社がいくつかあり、また大名行列や雨乞い祭りなどについて説明がなされています。
▼上の写真の「赤坂宿祭り」の説明板の現在地からすぐ下に位置しているのがこの「浄泉寺」です。
1588年創建の歴史のある浄土宗(かつては真言宗)のお寺です。
名電赤坂駅から徒歩10分程度の所にあります。
という訳で入っていきます。
▼浄泉寺の境内へ。
まずは「浄泉寺の文化財」として挙げられた3点に関する説明板がありました。
「豊川市指定文化財」と上から貼替えられていますが、おそらくこの少し前までこの「豊川市」が「音羽町」だったと思われます。
▼浄泉寺の本殿です。
末広がりで、先端の尖った屋根が印象的で壮観が似合う建物でした。
▼浄泉寺の境内のやや引きカットです。
山門や拝殿、鐘楼との位置関係はこのような形です。
▼拝殿(と思いますが)の様子です。
「奉納 赤坂薬師」の赤い幟がズラッと並んでいました。
▼境内の塀にあたる所には「百観音」の提灯のもと、石像がズラッと並べられていたのがまた壮観でした。100体あるのかどうかは分かりません(笑)
▼浄泉寺の写真ラストは、これもこのお寺の名物と言える「ソテツ」です。
樹齢270年(江戸中期から?)といわれ、明治20年ごろにここに移されたといいますが、それまでは旅籠の前に生えていて、広重の絵にも描かれています。
▼浄泉寺を出て、再び東海道の街道へ。
大橋屋とありますが、旧名を鯉屋といい、旅籠として江戸時代の1716年に建てられたといいます。この時代は「正徳」年間で、新井白石の「正徳の治」の頃です。
そしてまた現役の建物であり、開館/公開されています。
赤坂宿は1733年には83軒もの旅籠が存在したといわれていますが、この大橋屋は東海道筋で唯一、21世紀まで営業を続けた旅籠、として記録を残しています。
2015年まで営業していましたが、現在は豊川市に寄贈され一般公開がなされています。
▼御休処 よらまいかん
という表示の建物がありました。
当地の方言で「寄っていこうよ」という意味だそうで、休憩所です。
冒頭の赤坂宿公園も休憩所ですが、あくまで屋外であり、こちらはれっきとした屋内の休憩所です。
表には「東海道赤坂宿」の標柱がありました。
▼よらまいかんの表にあった、広重の「東海道五十三次・赤坂宿」の絵です。
上にあった写真のうち、浄泉寺にあったソテツは、当時先の大橋屋の庭にありました。
「旅舎招婦図」といわれますが、ここも隣の御油宿同様、旅籠ヘの客引きが激しかったといわれる所でした。
距離が殆どないので、同じようでも全く不思議はない訳ですが。
▼よらまいかん、の中に入りました。
実にくつろげる休憩スペースでした。
街道を散歩しひと休みにうってつけです。
冒頭の赤坂宿公園も休憩スペースですが屋外であり、こちらは格段にくつろげる環境です。
▼赤坂の文化財
として色々と挙げられていました。
浄泉寺の文化財としては、いくつかありましたが、ここは広く「赤坂の」として多数列挙されていました。掛け軸が多いですね。
▼よらまいかんの中身続きです。
階段がありましたが、上は行かなかったので様子が分かりませんでした。
休憩できるだけでなく、自販機も完備されていました。
▼街道沿いではありますが、シャッターが下りたままのあばら家も結構あって、これもまた往時を偲ばせるというものです。
この建屋は何十年前かは、何らかの形で栄えていたのかな?と想像したり…。
▼カラーテレビ、に昭和を感じます。
街のでんき屋さんですね。
▼続いては「杉森八幡社」です。
西暦702年からの歴史があるともいわれる神社です。
▼杉森八幡社の御神木である「夫婦楠」です。
豊川市の天然記念物に指定されていますが、根から上の低い位置で、二股に分かれています。
▼杉森八幡社のもうひとつの名物、
それがこの「赤坂の舞台」です。
江戸時代には人形浄瑠璃、明治時代には歌舞伎が行われていたといい、回り舞台を備えた芝居舞台だといいます。
現在は年一回歌舞伎公演が行われています。
さて、4回にわたってお送りしてきた豊川市の街道の旅もこれにて終わりです。
まだ、豊川市で行きたいところがあるので、機会を得て是非に行きたいと思っています。
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