愛知県豊川市、愛知/豊川② 東海道・御油の松並木をゆくに続く豊川市の旅第3弾です。
(2013年2月当時)
▼前回は、御油の松並木を通ってきましたが、これを過ぎて今度は隣の「赤坂宿」へと至ります。
その最初の写真は…「見附跡」の説明板です。
見附とは、宿場の入口に石垣などを積んで、出入りする者を見張ったところ、とありました。新潟県にそのものズバリ見附市なんてありますが、これとおんなじ由来なのでしょうか…??
あと思い浮かぶのは、東京の赤坂見附とか…。ここも、赤塚宿の見附なので、赤坂見附かと…!
御油宿から歩いてそのまま赤坂宿へ、しれっと来ましたがそれもそのはずで、御油-赤坂の宿間は東海道で最も短い約1.75kmだといいます。
なので手軽に2つの宿場を歩いて廻れるという訳です。
▼見附跡の説明板の向こうにあった、豊川コミュニティバス「関川」バス停です。
見附は18世紀末に関川神社の前に移築された、とありました。
▼関川バス停にあった、豊川コミュニティバスの運行経路図です。
関川バス停は左端の真ん中らへんにあります。
松並木のバス停が隣にあり、もう片側の隣が音羽郵便局となっています。
▼見附が江戸末期に移築された地として出てくる関川神社です。
移築されたのはこの関川神社の前、とありました。
所在地は豊川市赤坂町関川とあり、この神社に生えている楠は根元がえぐれていて、慶長14(1609)年の火災の時に火の粉が飛んできたものといわれています。
▼この関川神社には、芭蕉「夏の月」句碑があります。
「夏農月 御油よ李いてゝ 赤坂や」というものです。
"御油よ李いてゝ"というのは、「御油より出でて」という事だといいます。
ここでの自分の旅も、まさに御油から出て赤坂へ至るものでした。
句碑は2つあって、木の横に建っている少し横幅のあるものは1893年のもので、左側写真の上部が少し欠けているものは1751年のものだそうです。
▼カラーマンホールを発見しました。
「とよかわ」ではなく、旧自治体の「おとわ」でした。宝飯(ほい)郡音羽町というのが、ここの所属自治体で、2008(平成20)年に豊川市に編入されるまで音羽町で、合併直前は人口が8,800人ほどの町でした。
イラストはやはり東海道五十三次赤坂宿の宿舎招婦図という事で、赤坂も御油と同じような画が描かれていたのですね。
▼先の関川バス停の隣停留所にあたる「音羽郵便局」バス停と音羽郵便局です。
本当に郵便局の真ん前にバス停がありましたが、旧音羽町時代は町の中心的な局だったと思われます。
郵便局の前には色々な行先の標識があり、神社や登山道、松並木ももちろんですが、名電赤坂駅まで620mとありました。
▼旧街道らしい雰囲気の街並みが続いていきます。
ここが東海道だったんだ、と思いながら歩くとまた楽しくなります。
▼古風な「うなぎ屋」がありましたが、名前のそのものズバリ「うなぎ屋」でした(笑)
昭和の雰囲気そのままの外観ですが、現役でやっているお店だそうで。
▼「うなぎ屋」の向かいの様子です。
右手前は酒屋さんだったのでしょうか。立派な看板が出ていました。
▼赤坂宿問屋場(伝馬所)跡
の説明板がありました。
馬の中継所や様々な取り纏めをする所として役人も配置された場所という事で、総務的に役目を果たしていたのですね。
この先は、赤坂宿を表す色々なものに出くわしますが、次記事へ譲ります。
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