愛知県西尾市、「西尾城・姫丸LOVEりん」につづく西尾市第2弾の記事です。
(2011年2月当時)
前回記事↓
西尾城址を出て、街歩きに入ります。
まずはこの壮大なお寺!
木造の山門が渋すぎて、屋根が大きくて壮大感満載のお寺でした。
「聖運寺」というお寺で、この渋い山門は1919(大正8)年に造営されたとありました。
▼どこのお寺でもそうですが、山門の板張り部分の装飾の凝りようは素晴らしいですね。
▼聖運寺の境内に入りました。
拝殿も壮大でした。
▼聖運寺にかかわる説明板がいくつかありました。
ひとつめは「聖運寺のイブキ」というもの。
上の写真で、拝殿の向かって右側に覆いかぶさっている大きな木ですが、1976(昭和51)年に西尾市指定天然記念物とされ、それから50年弱が過ぎています。
ヒノキ科の樹木という事ですが、根回りは4.1m、樹高は15mあるといいます。
いまひとつは、田中長嶺「明治辛末殉教絵史」なるものです。
やはり1976(昭和51)年に西尾市指定の有形文化財とされたといいます。
明治初期に廃仏毀釈運動から発生した騒動の様子を絵に描いたものだそうです。その絵を描いたのがこの田中長嶺(たなか・ながね=1849-1922)という方で、東京の人であるとの記載もありましたが、彼の遺骨はこのお寺の境内に埋葬されているといいます。
▼これは聖運寺山門の裏側?境内から見た側です。
絶対的な?存在感を醸し出していました。
壮大なお寺の割には調べてても資料が乏しい感じがします…。
▼「中町」の表示が、街灯ごとに取り付けられている通りです。
先の聖運寺も住所は中町ですが。
▼こちらは善福寺というお寺です。
聖運寺と比べると、こじんまりとした感じで、ピチッとスペースに収まってる感がありました。
天台宗から浄土真宗へ改宗したといい、聖徳太子ゆかりのお寺だそうです。
ちなみに先の聖運寺は、真言宗からやはり浄土真宗へ改宗したといいます。
▼「さかな町」と街灯ごとにつけられた通りに出くわしました。
ここは西尾市「肴町」という所の通りで、呉服店や表具店など歴史ある店が多く並んだような古風な通りでした。
西尾市は「三河の小京都」と呼ばれていますが、その象徴的なエリアでもあります。
▼やはり「さかな町」です。
渋い商店が続く街並みです。どの建物も、かなり年月経ってそうだなという感じで、残された昭和がここにはありました。
▼この右側の建物の、板張り具合はすさまじいですね。
▼こちらは一転、都会っぽい通りです。
▼上の写真の右側にチラッと見えている「緑のポスト」の所へ来ました。
ちょっとした公園スペースになっていて「井桁屋公園」といいますが、ここで休憩していました。
抹茶をイメージした色としてこの色に塗り替えられたといいますが、これは「おもてなし♡まごころポスト」とありました。
浜松市の中学校にあったものを譲り受けたもの、とありました。
▼これも上の写真の井桁屋公園の中のものですが、
「まちなか1万人 西尾大茶会達成記念」
とありました。
2006(平成18)年10月8日に、この地で14,718人もの人々が「お抹茶を一斉一服」しギネス認定を受けたという事で、その時のギネス認定賞もここに表示されていました。
西尾の抹茶は名物であるだけでなく、ギネス記録ももたらしてるんですね。
▼これも井桁屋公園の一角です。
抹茶を感じさせる雰囲気を醸し出してました。茶筅とか!
▼こちらは西尾山康全寺というお寺です。
こちらは歴史あるお寺のようで、1398年建立とされています。当初は吉良山満全寺と名乗っていたようです。
徳川家康が巡検でこの寺に泊まったことで、「康」の字を送って現在の名前になったという、なかなかすごい由来を持ったお寺でした。
▼町や商店街ごとに、こんな大きな人形が置かれていたのも、この西尾市の大きな特徴のひとつと思います。
▼西尾駅前に戻ってきました。
この地図を見て旅するのもいいですね。