続々トラベルとかナントカ

日本全792市を訪問した駅や旅の記録です

愛知/刈谷② 亀城公園に亀ありて

愛知県刈谷市愛知/刈谷① 刈谷市駅から刈谷球場までに続く刈谷市の旅第2弾です。

(2021年11月当時)

 

刈谷球場を抜けて、刈谷城跡のある「亀城公園」へやってきました。

こういう小高い丘状になった所へ来ると、歴史を感じてしまう不思議ですね。古墳や山城跡を連想してしまうような…。

亀城公園再整備事業

なる看板がありました。

亀城公園というのは、刈谷城のあった本丸、二ノ丸を中心に1937(昭和12)年に公園として整備され、今年で85年になるといいます。

そんな年月から設備の老朽化や、桜の樹勢回復が課題になっており、平成20年度から再整備事業を進めているといい、15年経ってもまだやっているそうです。

▼亀城公園、そして刈谷城についての説明がありました。

1533年水野忠松の築城とありました。織田信長が生まれる前の年ですね。

徳川家康の生母が育った城という事でした。

刈谷藩はいろんな家の大名が入り、廃藩まで過ごした後、一時国の所有から士族へ払い下げられ、戦後はかなり廃れたそうですが、戦後は整備が進められていって現在に至る、といった感じです。

▼亀城公園の通路の一角です。

とにかくのどかな空間でしたが、ここは建物も見られない自然に近い雰囲気がありました。ど真ん中にアスファルトこそありますが…。

▼亀城公園の象徴的なゾーンとして、こういう日本庭園的な空間が結構あった事が印象的でした。

十朋亭

という邸宅がありました。

1916(大正5)年に刈谷城本丸櫓跡に、刈谷士族界の集いの場として建設されました。

その後は個人の隠居宅となった後に、1936(昭和11)年に当時の刈谷町が買い受けて、1972(昭和47)年に元トヨタ自動車社長の石田退三氏により改築され現在の姿になったといいます。

そしてこの施設は有料で利用できるそうです。

▼日本庭園エリアを抜けて、池のエリアへ来ました。

すごい濁った水が印象的でした(笑)

▼池のエリアにはいくつかの注意書きがありましたが、そのひとつがこれでした。

「桜の木を元気にしています」という事で、根元を踏むと弱ってしまうので、柵内に立ち入らないように、とありました。

亀城公園の整備事業に「桜の木の樹勢回復が課題」と冒頭触れましたが、これはまさにその一環のものですね。

桜まつりが開催される桜名所でもあり、桜そのものだけでなく周辺の手入れもしっかりなされていました。

▼改めて池の水を。

やはり随分濁ってますね。

お城の公園なので、ここはお堀だったという事でしょうか。

▼そんな池の中で、が泳いでいました。

こんな濁った中でも結構目立つレベルで見つけられたので、そこそこいるものと思います。

▼その亀に対する注意書きもありました。

ペットとして購入したミドリガメを捨てないで、というものでした。

小さいうちはかわいいと思って飼ってみたら、みるみるうちに大きくなって、しかも思った以上に長生きして…という事で捨てる人もいたのでしょうか。

昔からここにいる亀が、食物連鎖の崩壊により追い詰められる事にもなり、絶対やめてほしい、との事でした。

▼こうして見ると、城下のお堀の雰囲気がよく感じられます。

城郭の建物が殆どない公園の形となっているので、その点では城であった事のイメージが湧きづらいとは思いますが。

▼亀城公園を出て、郷土資料館の前を通りかかると、絶賛工事中でした。

今年の4月にはきれいな姿になっていたようで、これが去年の今頃の姿につき、ここから半年経たずにリニューアルできた訳ですね。

刈谷市城町図書館とその前に建っている「文礼館跡」です。

文礼館というのは藩校です。

1783年をその始まりとして、刈谷城大手門の外側にあったといいます。

明治初期まで続き、その後は学校となって現在は刈谷市立亀城小学校になっているといいます。

▼エガちゃんとガッツさんの並びって濃いですね(笑)

MEGAとありますが、Mを取ったら「EGA」ですね。

この人は30年経ってもキャラクターを維持してるのが単純にスゴいですね。

▼いかにも和風なこの建物の入り口前にこの赤い柵?の浮き具合がすごくて、つい撮ったものです。

以上、刈谷市では刈谷市駅から名所を巡ってみました。

 

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