(2021年11月当時)
▼刈谷市の観光マップです。
刈谷市ってどんなところ?というのを知るのにうってつけです。
まず「万燈祭」というのが載っていました。
若者が武者人形を形どったものを「万燈」といい、これを担いで笛と太鼓の囃子に合わせて舞う、とありました。毎年7月の最終土日に開催されており、松秀寺というお寺で行われているといいます。
300年以上の伝統を誇る「大名行列」も載っていました。これに合わせて「山車」も練りに参加するといいます。
桜まつりもあるわで…、とにかく伝統ある祭りの多い街、と伝わりました。
しかし祭り関係は、その時期にならないと楽しめないもので、季節問わず楽しめる名所や観光地の方が個人的にはいいなと思ってしまいます。
▼刈谷市駅前の飲食店、だったところです。
御主人の体力の限界、との事で閉店の旨が書かれていました。
やまや食堂という名前でまだ地図に載っていましたが、古き良き食堂が操業を止め、姿を消していくのはやはり寂しいものですね。
▼刈谷市駅前の駅前通りともいうべき道路で、ゴツゴツとした3階建てのビルが並んでいました。1Fが店舗、2F以上が住居という感じでしょうか。
▼市駅前通り という名の商店街で、歩道のみアーケードのついた商店街がありました。
刈谷市駅ということでここも「市駅」と略されているのですね。
他に市名単体駅がある以外に「市駅」としてあるのは、松山市駅、和歌山市駅などがそうですね。それぞれ松山駅、和歌山駅がありながら、それらと別位置に存在している形です。
▼刈谷市のマンホールです。
市の花であるカキツバタが前面に出て、カラー版を見つけた事もあって明らかにそれと分かりましたが、右側は市名のKARIYAをデザイン化したものでした。
このカキツバタの色の薄いバージョンもあるそうです。
▼刈谷市指定史跡 札の辻跡
というものがありました。
最初見た時「私の足跡」に見えました(笑)
江戸時代の掲示板である「高札」がこの辺りにあったといいます。
▼商品の色褪せた自販機がありました。
もう販売してないのでしょうか?という感じで、昔よくあったドリンク剤の並んだ自販機と、これまた昔一時的にあった「おでん」などの共存した、「不思議な共演」の自販機でした。
▼松本奎堂碑
というのがありました。
「まつもと けいどう(1831-63)」という幕末の志士の碑です。
刈谷藩士の家に生まれ、幕末に「天誅組」の三総裁の一人となりましたが幕府の攻撃を受け明治を見る事なく、33歳の若さで戦死しています。郷土の英雄という事になるのでしょうか。
▼市原稲荷神社
というところの参道となる、大きな赤鳥居が建っていました。
653年創建とされる歴史ある神社で、後に建つ刈谷城と歴史を刻んできています。
刈谷市駅から街を歩いているうちに、メインの観光エリアへ近づいてきており、この辺りに色々と見るものが集中しています。
▼市原稲荷の参道が標識で示されながら、ここもまた灯篭があったり、そんな厳かな雰囲気のエリアでした。
ちょうど七五三の時期でもあったので、その幟も並べ立てられていました。
▼参道からほどなく、目に飛び込んできたのはこの「刈谷球場」です。
これこそ既に刈谷城跡である亀城公園内にあるとされるものですが、1950(昭和25)年に刈谷市営競技場の名で開場しています。
1964(昭和39)年にはナイター設備が導入され、1994(平成6)年から本格的に野球場の仕様になったといいますが、近年プロ野球でもオープン戦で使われる事があるといいます。
この先はいよいよ、刈谷城跡をめぐる旅となりますが、一旦ここで切って続きます。