(2013年2月当時)
▼磐田駅前通りです。
磐田駅の真ん前の交差点がスクランブル状になっていますが、そのすぐ向こうにある交差点です。
▼さすがはサッカーの街、磐田という感じで、ジュビロ磐田の選手たちの手形・足形がサイン入りで点在していました。武田修宏選手のものがあったり。オフト監督も。
オフト監督といえばジュビロだけでなく日本代表監督もやっていた人物です。「ドーハの悲劇」の時がまさに監督時代で、代表監督退任後にこのジュビロ磐田の監督になっています。
▼磐田駅前通りはやがて、このような歩道のみアーケード付商店街エリアに至ります。この当時から約10年経っていますが、まだこのアーケードは残っているでしょうか。
▼上の写真の通りをすぎるとやがて、今度はアーケードがなくなります。
そしてサッカーボールのついた街灯が現れましたが、そこには「ジュビロード」と表記されていました。ジュビロロードではなく「ジュビロード」です。
夏祭の記事がありましたので、リンクを貼っておきます。
▼さらに続くジュビロードてす。
昔ながらのコンクリート造りの建屋が散見され、商店街然とはしていますが、きちっとした商店街という感じではありませんでした。
▼磐田市のマンホールです。
市の「虫」である「ベッコウトンボ」だそうです。市の虫を載せているのは珍しいですね。
周りにある模様?は何かと思ったら、「水」の字を表しているそうです。
真ん中のベッコウトンボが生息している「桶ヶ谷沼」という沼をこの形で表現しているようで、「沼に生きているトンボ」という具合ですね。
▼磐田市役所です。
この6階建ての本庁舎と、道を隔てて3階建ての西庁舎があります。
▼磐田市は○○都市宣言、というのが非常に多いようで、こんなに並列されているのは初めて見ました。
▼磐田市まちづくり応援自販機
というご当地自販機がありました。
やはりサッカーが前面に出てました。
▼地震体験車
というものがありました。
これは、磐田市の物という事でなく、静岡県が各地域に貸し出して、県民の方に体験乗車していただいているもの、との事で毎年5、6万人の方々が体験乗車されている、とありました。
▼磐田市役所をバックにした形の付近のMAPです。
真ん中の通りが駅前通りである「天平通り」で、下へ行くと磐田駅となり、磐田市役所や他の施設との位置関係もよく分かります。
▼上の地図にも載っていましたが、この磐田には「遠江国分寺」がありました。
その跡地として「史蹟遠江国分寺跡」のここが入口です。
国分寺跡って、その旧国の中心よりもちょと外れた所にある、という印象ですが、ここも浜松とかにある訳ではなく磐田なのですよね。
▼という訳で、遠江国分寺の案内板です。
各箇所の存在が明らかになったのは1951(昭和26)年の発掘によるものだそうで、割と後の事だったのですね。
▼ここからはしばらく遠江国分寺内の風景になりますが、まずはこの「南大門跡」です。
開墾により基壇まで破壊されていて規模は不明で、瓦が多く出土している事から南大門と推定され、このように建てられたようです。
▼国分寺跡の敷地内ですが、木々が沢山植えたあったのも印象的でした。
冬時期だったので、このようなハリネズミ状のところもありましたが。
▼こちらは「回廊跡」です。
ここには遺構があるという事で、かなり詳細な内容が記されています。
▼葉のない樹々もあったかと思えば、梅?が見事に咲き誇ったところもあり、青空に見事に生えたその景色は、まさに「映え」でした。
▼ここは「中門跡」です。
推定はされているものの詳細な規模感は不明のようです。
▼このような礎石と区画の織りなしている風景が、いかにも国分寺跡って感じがしました。何ヶ所か尋ねましたが、大体このへんは共通していると感じます。
▼金堂および石段跡
とありました。
金堂は先ほど来、色んな建物で個々との距離であるとか引き合いに出されていましたが、本尊を安置した仏殿であり、ここに「寺」であった事を感じさせます。
石段は7段あったうち3段が残され、それらは埋め戻しをされています。
▼お手洗いまで立派な建物でしたが、遠江四十九薬師霊場の第一番としてこの「国分寺」が挙げらていました。
▼これは「国分寺集会所」とありましたが、横に「旧・閻魔堂」ともありました。
▼最後はこの「文化財の道しるべ」です。
国分寺跡以外にも周辺に色々とあるということで、磐田駅から1kmと歩かないうちにこれら名所群に出くわす事ができるので、実際に歩いてみてサッカー以外にこのような面がある事を知れて良かったと思いました。
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