続々トラベルとかナントカ

日本全792市を訪問した駅や旅の記録です

栃木/那須② 石のカオス

栃木県那須郡那須町栃木/那須① 緑のカオスにつづく、那須町の記事第2弾です。

(2019年7月当時)

那須の旅、続きます。

思えば「○○を経て○○に至る」のような体言止めでない看板が多かったなと思えたこの温泉神社の辺りでした。

それで、殺生石の方へ進んでいくのですが、まずはここで景色を見下ろしてみます。

f:id:lefthand926:20211022203857j:plain

▼上の写真の位置から見下ろしたカットですが、これが素晴らしかったのです!!

殺生石の周辺ですが、通路になっている橋?がいい感じで絵になっていて、そして色々周りに石が散らばっているような?那須といえば温泉よりもすみません、このカットのが断然印象的でした。写真で伝わりにくいかもしれませんが、実際に見るともっと絶景でした(笑)

前回に続いてやはり緑深くて、温泉に正直あんまりいい思い出がなかったので…余計にこの辺りの景色が印象的でしたね。

f:id:lefthand926:20211022211112j:plainf:id:lefthand926:20211022211139j:plain

f:id:lefthand926:20211022211252j:plainf:id:lefthand926:20211022211333j:plain

殺生石の方へ降りて行くのに途中こんな所を通ってきました。

やはり緑に包まれた道でした。木の枝が芯となった緑のカーテンでしたね。

f:id:lefthand926:20211022212111j:plain

殺生石へ向かうところに、この「石の香橋」がありました。

石の香といいつつ、木橋やん?て思うかもしれませんか、石はその向こうにある石の群れを指してるのでしょうか、その香りがするってことですかね?

f:id:lefthand926:20211022214945j:plain

殺生石のある所まで降りてきて、周辺案内図がありました。

殺生石「せっしょうせき」と読みます。

熔岩なのですが、付近一帯に火山性ガスが噴出し、昔の人々が「人を殺す石」だと信じた事から、この名がついたそうですが、昔の写真も載せられていました。

f:id:lefthand926:20211022220805j:plain

▼この記事のハイライト、と言ってもよい「殺生石」を見上げるアングルのカットです。写真で見える以上に絶景感があって、写真でそれを伝えたかったのですが、なかなか腕がついていかず…。

上部から中腹にかけては今にも落ちてきそうな岩々が迫力あって、裾の部分は石で織りなすアートのようで、また違った景色を楽しめて、やはり那須で一番インパクトのあったスポットでした。

厳密には殺生石というのは下の写真の「史跡 殺生石」の碑のあるすぐ後ろの注連縄のついた石を指すようです。

鳥羽上皇(「後鳥羽」ではなく)が愛した女性が狐の化身とバレて、逃亡先のここ那須で討伐され石になった、という伝説があるとか。

f:id:lefthand926:20211022233202j:plainf:id:lefthand926:20211022233306j:plain

f:id:lefthand926:20211022235438j:plainf:id:lefthand926:20211023000549j:plain

f:id:lefthand926:20211023002943j:plain

恋人の聖地

という展望台まで1.0kmの表示がありましたが、夏の暑い時期に登っていくのがしんどくて?この先まだまだ歩いていく事もあり、スルーしました。

そもそも1人で来てるので寄る意味がない?てな具合で(笑)

f:id:lefthand926:20211023003122j:plain

▼最初の方の写真で上から見下ろした時に、道になっていた部分がありましたが、その道は地平に降り立つとこんな感じのものです。

その脇には緑の中に色んな石が転がっていたり、並べ立てられていたりしていました。

ここを歩いて周囲を眺めやるのも、なかなかの絶景見てる感があり良かったです。

f:id:lefthand926:20211023003340j:plain

▼道の左サイドはこんな感じで、大きめの石があちこちに散りばめられていました。

f:id:lefthand926:20211023065308j:plain

▼こちらは右側サイドの一角のカットですが、いくつもの大きな石にちょこっと小さな石が五輪塔のように(5つもありませんが…)立てられていました。

f:id:lefthand926:20211023070037j:plainf:id:lefthand926:20211023070106j:plain

▼少し見上げると、渋い顔の地蔵さんが雰囲気たっぷりに鎮座していましたが、その傍には「教傳地獄の由来」なる説明板がありました。

14世紀頃に奥州白河、福島の白河に教傳という悪童がいて、28歳の時にここへ湯治に出かけるのですが、出発時に母親が用意してくれた朝食を足蹴にして(旅支度ができてないという理由らしく)そのまま友人らと旅立ってしまいました。

この地でそれこそ殺生石を見物に来たら、旧に雷鳴が轟き、地割れで熔岩が吹き出し、友人たちは逃げ出したものの、教傳自身は足が硬直して動けず、そのまま飲み込まれ死んでしまったそうです。

天罰が下ったのだ、と18世紀になって供養のために地蔵が建てられたそうです。

悪童も死ねば仏、という訳ですか。

f:id:lefthand926:20211023071325j:plainf:id:lefthand926:20211023071409j:plain

▼そして、その地蔵が1体だけかと思うなかれ!

 

当初は1体だけだったそうですが、いつしか増えていってこの「千体地蔵」になったといいます。

f:id:lefthand926:20211023073810j:plain

f:id:lefthand926:20211023073905j:plain

▼木の道路は分岐したりカーブを描いたりで、石の群れの中を通っていました。

f:id:lefthand926:20211023082416j:plainf:id:lefthand926:20211023082447j:plain

盲蛇石

「もうじゃいし」と読みますが、これも伝説に基づくもので、ある男が盲目の大蛇と出会い、男はこの蛇がこのままだと冬が越せないだろうと小屋を造ってあげたところ、その後大蛇の姿はなく、湯の花だけが残っていたという事で、人々は蛇への感謝の意を込めて、蛇の首に似たこの石を盲蛇石と名づけ大切にしたといいます。

地蔵もそうですが、これも石であり、殺生石のあたりは何かと石づくしな訳ですね。

f:id:lefthand926:20211023082838j:plain

▼石の香橋から殺生石を見て、木の道路を歩いてきたところでこの「いでゆばし」へと辿り着きました。ここまでが大体の殺生石エリアの行程です。

f:id:lefthand926:20211023083919j:plain

▼最後は、このいでゆばしを渡り切って振り返った様子で、向こうには殺生石のある崖が見えます。

今回記事はほぼこの道のりだけでしたが、写真で沢山伝えたいのが高じて、これで1記事になりました。

次記事では温泉へ行きます。

f:id:lefthand926:20211023084106j:plain

 

こちらのブログもよろしくお願いします!

lefthand.cocolog-nifty.com

ameblo.jp