栃木県那須郡那須町、栃木/那須② 石のカオスにつづく那須町の記事第3弾です。
(2019年7月当時)
※2つ前からの一連の記事を「那須塩原」としていましたが、厳密にはここは那須塩原市内ではなく、那須郡那須町内につき、ひと通り訂正しました。
▼前回記事では殺生石の絶景を見てきた訳ですが、ここからはそのエリアを抜けて、那須の温泉街へと入っていきます。
ここにある「鹿の湯」というところが日帰り温泉施設だという事で、ここを目指して進みます。
天気があまりよろしくなく、こんな眺めでした。
ちなみに午後5:30受付終了とありました。結構早くに終わるんですね。
▼殺生石の名残のような石の風景が続くリバーサイドを歩いていましたが、向こうに見えるのが、目指す「鹿の湯」の施設です。
▼湯元温泉源
という碑と共に説明板がありました。
「那須町天然記念物」と冠されてしました。
1960(昭和35)年に文化財に指定されたそうで、那須七湯と呼ばれる中で、この辺りは最も古い歴史をもつそうです。
狩りで矢を射られた白鹿が、湧き出る温泉に入浴していた のだそうです。
ちなみにこの伝説では、その出来事が629年と明記されているそうです。
▼御所の湯温泉 との表示がありましたが、
ここで「硫化水素が発生」しているとの事で、ちょっと怖っ!となりました。
毒性があり、硫化水素を使っての自殺例もある訳で、使用には法規制がなさているのだそうです。そりゃそうですね。
▼付近の標識看板がありました。
各名所・施設等の大体の位置関係が分かります。
また、PROJECT9b として「那須温泉」とありました。
9bって?と思い、調べてみると九尾狐の事のようですが、その起源は中国・殷の時代のものとか。
これをモチーフに那須の自然の中でプロジェクトがスタートしたそうですが、QRコードを読み取ると、キャラが動画に現れ、キャラと遊べるようになってるようで、面白い試みですね。観光が若い世代で広がるのに有効な手法といいますか、イマドキな誘致のようにも思えました。
▼鹿の湯前まで来ました。
こんな所にあるんです。
川を跨いで廊下部分があったりして。
▼鹿の湯の傍に架かっているのは「元湯橋」という橋です。
「石の香橋」「いでゆばし」などと並んで架かっている橋で、鹿の湯が「元湯・鹿の湯」と称されているところからの名前と思われます。
▼この記事のメイン
ともいうべき「鹿の湯」にいよいよ入ります。
那須の温泉!やっと感じられる!
と思った瞬間でした。
▼鹿の湯の入場時の券です。
描かれている絵は「鹿の湯の夏」だそうで、この時の季節にピッタリのものでした。
入浴料は大人500円でした。(現在も同じく)
「正倉院文書にもその名を残す」という歴史ある湯である事が、ここのウリです。
↓鹿の湯のHPです
▼鹿の湯のミニ冊子です。
「那須温泉 元湯 鹿の湯」との看板が出ていて、この鹿の湯から引かれている旅館の一覧が表示されていました。このどれかに宿泊したいものだとも思いましたが、この時は別の地に宿を取っていたので次の機会に、としましたが、そう思ったのもこの鹿の湯での温泉をいまひとつ堪能できなかったのがあります…。
歴史があり、効能も大々的に謳われ、それは素晴らしい温泉なのですが…
▼鹿の湯の廊下の部分で、向こうが入浴スペースです。
建屋内は全く撮りませんでしたが、とにかく「激混み」でした。記事タイトルはこれを意味しています。
浴場内なんて、今でいう完全な「密」で、おしくらまんじゅうに近いぐらいの混み方で、とてもじゃないけど、温泉を楽しむなんてレベルではありませんでした。あくまで個人の感想なので、そのように捉えて頂きたいのですが。
那須温泉には個人的に良い想い出がない、というのはそういう事です。あくまで混んでいる事が原因であり、施設や場所には何の問題もないのですが、個人的にはそれより混んでいるかいないかが結構重要でして。混雑するという事は、それだけ人気があるという事ですが、一人で入れた所はそれはもう快適で良い想い出になっているのでそこは重要なんです。
そういう意味で、無限に人が入ってくる日帰り施設ではなく、温泉宿に泊まりたかったという事です。それはそれで一定数は入っては来るでしょうが…。
▼大混雑の鹿の湯を抜けて、街歩きを再開です。
温泉旅館が居並び、那須の温泉街を街並みで感じられました。
▼山津波の碑
というのがありました。
幕末の安政年間である1858年に起こった長雨で崖崩れや山津波が発生し、なんと集落全戸損傷または流失で18名もの犠牲が出たといい、この碑はその50年後に慰霊のために造られたといいます。
▼温泉宿が軒を並べている通りを歩き進みました。
白壁のお宿が多い印象が強かったです。
先の安政の津波で幕末以前の建物は皆無な訳ですが、その後にできたそれなりの老舗はいくつもあるようで。
▼那須湯本の天然水「宝来水」というものがありました。
上の写真の民宿・松葉の敷地内に引水工事をして引き入れたものを一部、一般開放しているものだそうで、100年ほど前の土砂崩れの時に裏山に湧き出た清水だそうです。
▼見事な石造りの建物もありました。蔵でしょうか。
▼那須温泉 昔語り館
という看板が目に入りました。
入館無料 とあり、ちょっと入ってみます。
▼中に入ると、那須温泉の歴史説明や昔の写真など色々飾られていました。
これを無料で見せて頂けるのか、と。
1945(昭和20)年8月の終戦直前に大火が発生しており甚大な被害が出ているという事で、先に1858年の山津波につき触れましたが、災難に数多く遭っている事を感じます。
当時、空襲警報下にあったといいますが、大火の理由は空襲ではなく、ローソクの火の不始末といわれています。
今回、那須の温泉はここ湯本温泉しか行ってませんが、せっかく那須七湯といわれているいろんな所を行ってみたいものです。
▼幾多の災害に見舞われ、古い建物があまりないであろう那須の温泉もかつての栄華を窺わせつつも廃業した施設もある事を感じる一角に少なからず出くわしました。
宿泊施設もあれば個人宅もあるようですが、きれいに建物だけが残っていたりして、時が停まった感がそこかしこにありました。
▼こういう所なら日帰り入浴混んでなさそう、鹿の湯でゆっくりできなかった分を穴埋めしよう!と思ったものの、時既に16時を過ぎており、ここの日帰り入浴が15時までとあり、残念でした。
この後は塩原の方へ移動⇒宿泊があったので、先を急ぎましたとさ。となるのでした。