続々トラベルとかナントカ

日本全792市を訪問した駅や旅の記録です

滋賀/彦根 近江彦根はひこにゃんでもつ

滋賀県彦根市JR彦根駅からの旅です。

(2012年6月当時)

彦根駅の駅記事では1999(平成11)年当時のものですが、今回記事は2012(平成24)年再訪時のものをお送りします。

 

まずは彦根駅前広場の一角ですが、「ようこそ ひこねへ」の高い時計塔に、しっかり「ひこにゃん」の写真も載っていました。

ひこにゃんが有名になってからというもの、本当にこの町はひこにゃんで売っているなという事を感じます。熊本のくまモンも同様ですが…。

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彦根駅前はAL PLAZAがあります。滋賀の都市駅前には定番の風景といっても過言ではないですね。

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▼駅前広場から駅前通りへ出るとこんな感じです。

左手にAL PLAZA、右手にいろいろなビルが立ち並んでいました。

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▼駅前広場にあった「井伊直政公像」です。

現在の静岡県井伊谷というところに生まれた、とありました。

関ケ原の戦いで功をあげ、佐和山城を与えられ十八万石の大名となりましたが、江戸幕府開府の前年1602年に亡くなり、子らがその遺志を受け継ぎ彦根城を開城させた、ともありました。井伊家の発展の礎を築いた人物として郷土の英雄の象徴的存在ですね。

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ひこにゃんは商売にひっぱりだこの様子が窺えました。

右下のはご当地キティひこにゃんVer.でしょうか。

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▼佐和町商店街

というところに昔ながらの広告看板が残っていました。手前の上も下も「丸十食品」というところのものですね。調べると佃煮を主とした食料品店のようで。

この商店街は、彦根では最も短い商店街とされています。

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 ▼佐和山町商店街が続いていく様子です。

コンクリート色がかなりくすんだ建物が続いていて、すごく年季を感じました。

それぞれいつ築の建物なんだろうか?と思わされてしまいますね。

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▼石材店だったか、こういうところでよくドラえもんの石像などよく見かけますが、さすがにここではひこにゃんでした。

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▼旧 彦根

と書かれた説明板がありました。

彦根城下の親町のひとつという事で、城建設前は彦根村であり、その名を受け継いだものとされています。1889(明治22)年に彦根町大字彦根となり、1937(昭和12)年に彦根市彦根町となったといいます。更に1969(昭和44)年には佐和町と元町に分かれた、と記されていました。

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彦根城へ近づいてきて、ここには「いろは松」という松並木がありました。

47本あったので、いろは47文字の頭を取ってこのように名づけられたといい、地上に根を張り出さず、人馬の邪魔にならない優れモノでわざわざ高知から取り寄せられたといいます。

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護国神社前というバス停がありました。これは「彦根ご城下巡回バス」というもので、バックには彦根城のお堀があり、駅から歩いて行けますが、こういうバスで巡ってみるのも趣があって良いかもしれません。

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▼井伊大老歌碑

というのがありました。

彦根駅前に勇壮に建っていたのは江戸幕府開府の前に亡くなった井伊直政公像でしたが、ここでは幕末の井伊直弼公の句です。「桜田門外の変」はあまりに有名ですが、これにより亡くなるわずか2ヶ月前に詠んだ句とされています。

幕府の為に心を砕いてきた心情を詠んだものとされ、その大役が故に殺されることになってしまうのはあまりにやりきれないものがあります。

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 ▼井伊直弼・青春十五年の館

として

特別史跡 埋木舎(うもれぎのや)

というのがありました。

左手にはきれいなお堀と城郭建造物が見えます。

埋木舎について、元々井伊直弼というのは、井伊直政の子孫にして彦根藩主の家系に生まれてはいるものの、親である藩主・井伊直中の十四男で、その隠居後に生まれた事もあり、世継ぎではなく、屋敷で貧しい一生を過ごさねばならない見であったのが、不断の努力で大老にまで昇りつめたといい、この向こうにある館がその直弼の若き日を形成したもの、とされている訳ですね。

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▼お堀周辺の彦根城の様子です。

実に風情がありますね。

滋賀県のお城というと、長浜城彦根城、それに安土城くらいでしょうか個人的にパッと浮かぶのは。

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▼お堀を両サイドにした彦根城の道、入っていきます。

二の丸佐和口多聞櫓というのが見えています。

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▼これは開国記念館というものです。

といっても先ほどの佐和口多聞櫓を再現したもので、直弼の没後100年にてなされたといわれています。

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▼これは敷地内のお堀周辺ですが、「本日のひこにゃんとしてスケジュールが記されていました。

彦根城博物館にいるということでしたが、インターバルが設けられていました。お昼ごはんも食べるんでしょうね(笑)

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登り石垣

についての説明板がありました。

山の斜面のような石垣をこう呼ぶそうで彦根城には、そのような所が5か所あるといいます。豊臣秀吉朝鮮出兵で、朝鮮各地に築かれた倭城において顕著にみられる、とありました。

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彦根城は有料です。

彦根城単体で一般600円とありますが、公式サイトを見ると800円となっていました。

hikonecastle.com

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重要文化財である彦根城馬屋、この時「特別公開中」とありました。

城内に残る馬屋というのは大変珍しく、ここ彦根城にしかないものだそうです。

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彦根城の外堀沿いには、こんな鳥も見られました。

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▼土産物店の前にひこにゃんがドカッと座っていました。

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▼最後はこのカットだけ2020(令和2)年1月再訪時のものですが、この上までの写真で天守を取っていなかったので、ここで彦根城を象徴する天守のカットです。

彦根城は日本に12しかない現存天守のお城であると共に、なかでも日本で5つしかない「国宝」のお城です。

それだけすごい所です。

彦根は今、ひこにゃんという強いキャラを得ていますが、是非にこの彦根城を見て行かれたら、と思います。

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