山形県鶴岡市、山形/鶴岡① 鶴岡公園に色々とあるものにつづく鶴岡市の記事第2弾です。
(2012年11月当時)
▼鶴ヶ岡城はやはり「お堀の美しいお城」という印象が個人的に強くて、なんとも言えない佇まいがありました。
▼この周りには色んな建造物があるという事で、前記事の荘内神社や大寶館なども見えますが、他にも色々あり、この辺りの魅力がよく分かります。
▼付近の色んな建物の標識が出ていましたが、ここの右手には色んなものがあるというのが窺い知れます。
▼これは致道(ちどう)博物館というものです。
庄内藩の藩校「致道館」に因んだ名前で、その藩校で使われていたものや庄内の民俗資料などが展示される博物館になっているという事です。
純和風の門の中に洋風っぽい建物が入っているのが不思議でした。この門なら中身は茶色の板張りのものを想像しますが、なんか全然違う趣の建物が入っている感じで。
▼こんな木のユニークな渡橋があり、渡ってみようと行ってみましたが、立入禁止になっていました…。
▼こちらは旧・致道館で、純然たる庄内藩藩校の致道館(国指定史跡)です。
先述の分は致道「博物館」で、藩校そのものではなかったのですが、こちらは藩校そのものだったところで、無料開放されていました。
▼鶴岡市役所です。
レンガ色で角ばった形の印象的な市役所でした。
▼鶴岡市役所 東庁舎
とありました。
市役所別館って、えてしてこんな渋い建物だったりするので大抵見入ってしまいます。いかにも「離れ」って感じでした。
▼馬場町のタブの木
とありました。
幹の太い、枝が曲線的でとても存在感のある大木でした。
幹は最も太い所で、周囲5㍍を越えるという事で、高さ2mのところからおおきく2つに分かれ、高さは15㍍にもおよぶとありました。
樹齢は約400年といわれ、もともとは暖かい地方で生育する木だそうですが、この山形県でこんなに大きく生育するのは極めて珍しい、との記載がありました。
▼鶴岡カトリック教会天主堂 です。
この時はイントレが組まれて工事中でしたが、1903(明治36)年に建てられたという歴史ある建物です。1979(昭和54)年に重要文化財に指定されています。
これがまた下の写真のような、純和風の門の中にこのような洋風建物があるというミスマッチぶりで、鶴岡こんなんばっかりやなぁ、と思ったものでした。
▼鶴ヶ岡城 三日町口木戸跡
と標柱のあるバックに純然たるコンクリート色の渋すぎ建物がありました。
屋根部分が石柱に鉄の棒が通ってこれまた渋いいでたちのもので、これは何の建物だろうか?と見入るばかりでした。
▼朱塗りの欄干の美しいこの橋は「三雪橋」とありました。
江戸初期の1608年に、ここの内川に最初にかけられた橋で、当時は三日町橋といっていたそうです。
三日町橋の名で長く親しまれてきましたが、270年ほど経った1876(明治9)年に当時の鶴ヶ岡県令の三島通庸により現在の「三雪橋」と改称されたといいます。
この橋の上から三つの山々が望まれるところからきているとかで、その白雪を頂く姿が絶景であったとも書かれていました。
▼こちらの橋は色こそ地味ですが、雲形ともいうべき形の欄干が特徴的な「千歳橋」です。
こたらも古くからの歴史ある橋だそうで、当初は五日市橋という名前だったようですが三雪橋命名と同じ1876年に改修に伴って、今の名前になったそうです。
▼シマウマのような模様が印象的なこちらは「開運橋」というそうです。
▼本当に色んな橋が出てきますが、どれも特徴的すぎました。
これは大泉橋といいます。
欄干の端の入口部分?が豪華な雰囲気でした。絶対的な高さがあって。
▼大泉橋を渡ったばかりの地点、この一番右の建物は存在感ありすぎでした。
菅原イチローヂ商店
とありました。
検索すると「旧イチローヂ商店」の名前でいくつか出てきますが、カタカナで書いてあるとなんだろうか??と思いましたが個人名のついた商店で、正確には「菅原市郎治商店」だそうで、1931(昭和6)年頃の建物だそうです。宮川一朗太みたいな(笑)
古くは八百屋で、この近年では陶器を販売していたそうですが空き家となっていて、この2012年度中にテナントや飲食店などが入るスペースへのリニューアルを目指す、との記事が見られました。
近年の記事では、上の層は白壁、下の層は黒壁のきれいな建物に生まれ変わっていて、往年の渋さはすっかり消え果てた建物になっていました。
▼山王商店街とありました。
街の幹線道を歩いていて、色々と渋い建物がありました。
右手前の建物の色褪せや剥がれなど見ると、どうしても惹きこまれてしまいます。
▼建物や橋が色々と素晴らしい鶴岡市でした!