(2012年8月当時)
▼鶴岡駅から駅前広場を隔てて真ん前に建つ「MARICA」です。
駅を出て、渡り廊下を繋いで、右が西館、左が東館の構成ですが、こちらは「東館」です。
この時が2012(平成24)年ですが、既に2007(平成19)年から商業テナントがすべて閉店し、空き店舗状態で、当時これを見ててそれとは知りませんでした。2005(平成17)年までは、1985(昭和60)年に開店したジャスコ鶴岡店が入っていたといいます。
そんな廃屋同然の建屋に「ようこそ鶴岡へ」の歓迎看板はなんだか虚しいものがありました。
この5年後になる2017(平成29)年よりリニューアルオープンしており、つるおか食文化市場「FOODEVER」などがつくられ、息を吹き返してきています。
▼駅前通りへ。
庄内ホルモンとかいきなりご当地の名前のついた店がありました。そしてそこにはオロナミンCとかボンカレーの看板が!不滅ですね、これらは。
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▼ここは旧最上町
とありました。
酒井氏の転封の折に最上家が改易となり、この辺りはその主人を失った浪人たちが足軽として抱え置かれた町であったといいます。
▼蓮乗寺という日蓮宗のお寺がありました。
徳川四天王・酒井家直願祈祷所 とありました。
創立は1285年とされ、日本史上でいうと元寇のあった頃ですね。
歴史と伝統のあるお寺なのですね。
▼荘内大祭 というのがあるとの事で、交通規制のお願い看板が出ていました。
8/15にパレードがあるという事で、この訪問日が8/12でまさに直前でした。
↓このページを見て載っていたのは、参勤交代の再現でこれをパレードするものと思いますが、旧藩主を慕う市民の手でつくられているって素晴らしい伝統ですね。
看板の最下部に荘内大祭実行委員会とかじゃなくて、荘内大祭「奉行所」とあるのが面白いなと。
大学キャンパスの多くは山形市にありますが、この農学部はここ鶴岡キャンパスにあるという事です。
▼鶴岡盆の踊り祭り
というお祭りにおいても、通行規制がなされていました。
荘内大祭のパレードが8/15で、この盆の踊り祭りが8/12でした。
盆時期は祭りで盛り上がる町なんですね。
▼道中にはきれいな花壇もありました。
コミュニティの力というものですね。地域の素晴らしさ。
鶴ヶ岡城が鶴岡公園となっているよくあるパターンですが、ここを入っていきます。
▼鶴ヶ岡城のうつりかわり
という説明板がありました。
鎌倉初期、当初は大宝寺城とよばれ、大泉氏の築城といわれ、江戸時代には庄内藩の藩庁でした。
天守はなく、隅櫓が2つ建てられていたといい、鶴ヶ岡城と改称されたのは、最上義光の隠居城として改築されたからといいます。
内堀と外堀でぐるっと綺麗に囲まれたお城ですね、この形を見ると。ただ往年の面影を見せるものは少ないともありました。
▼鶴岡公園内には、いろんな神社や館、博物館等ありました。
▼ここは 二の丸 大手門跡
とありました。
荘内大祭が近かったので幟が見えますが、いろんな所にかかっていました。
▼お堀にはスワンがいました。
ちゃんと滞留スペース?をつくってもらってるんですね。
▼開湯1300年
という幟もありましたが、湯田川温泉とありました。
山形県のサイト?にも載っていて「鶴岡の奥座敷」として、2012(平成24)年に開湯1300年を迎える歴史ある温泉として、という事は来年で1310年になる訳ですね。
かつては「白鷺の湯」といわれていたそうで、1羽の傷を負った白鷺がここのお湯で傷を癒したという、すごくどこにでもあるような話ですが。
▼荘内神社というのがありました。
ここでは庄内ではなく「庄内」でした。そういえば「荘内」大祭でもあるのですね。
庄内藩主であった酒井家の4人の先祖を御祭神としている、といいます。
▼荘内神社の拝殿と社務所です。
こじんまりとした木目の前面に出た明るい色の拝殿でした。
▼鶴ヶ岡城の本丸御殿御玄関跡
がありました。
こう書かれると、ここがお城の玄関なのか…と想像してしまいますね。
▼これも鶴岡公園の一角で
大寶館
という素晴らしい建物がありました。
大正天皇の即位を記念して1915(大正4)年に建てられたものといいます。もう100年以上の歴史があるのですね。
バロック調の窓にルネッサンス風のドームを乗せたという構成で、白壁を基調としながら、てっぺんに赤いアクセントが付けられているのはなんとも印象的です。1981(昭和56)年に市の有形文化財に指定されています。
今は郷土人物展示資料館として使われているといいます。
鶴岡公園の中には、色々なものがありすぎて長くなりすぎてしまうので、一旦ここで切ります。