(2010年8月当時)
▼本諫早駅のすぐ前で、左に隠れている部分が駅になります。
右側には諫早市役所があり、当駅からの近さが窺えます。
右側にあるのはNTTのビルと鉄塔です。
▼諫早市役所の旧庁舎でしょうか。今となっては調べてもよく分かりませんが、それらしい幕が張ってありました。
この当時新庁舎が供用されたばかりのようで、9階建ての正面から見ると正方形の綺麗な立派な建屋ですが、ここでは行き当たりませんでした。
幕は当時の4年後にあたる2014(平成26)年に開催される「第69回国民体育大会」について張ってありました。
国民体育大会は終戦直後の1946(昭和21)年よりスタートし毎年開催され、この2014年時は「長崎がんばらんば国体」として本大会が長崎県で行われ、諫早市で開・閉会式が開催されたといいますが、4年後にご当地開催という事で早くも幕を張って気合の入ったところを見せていた、という感じでした。
▼1990年3月17日に造られたという諫早ライオンズクラブの手による花時計があり、これは同クラブの結成25周年記念事業とのことでした。
あちこちで見かける名前ですが、そもそもライオンズクラブってなんだよ?という疑問に対して、この諫早のクラブが現存する事も含めHPがあったのでリンクを貼りました。
平たく言うと「世界最大の奉仕組織」という事でした。
この花時計ついては節目の各時期の記念事業としてここで挙げられていました。
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▼河原の対岸に水月楼という名の建物がありました。
水月楼という割烹と、本明というお食事処で構成されるお店のようで、最初見た時温泉宿か何かと思いましたが、飲食店でした。本明ではうなぎ料理がウリのようで、昭和の雰囲気満載でしたが、現在も現役でやっているようです。
▼アーケードのある商店街に出くわしました。
AeRと書いて「アエル」と読むそうですが、「アエル栄町商店街」といいます。
一連の商店街のブログがありました。
当時は夏の甲子園で長崎県代表として長崎日大高校が出場決定しており、横断幕が掲げられていました。
長崎日大高は1993(平成5)年に初めて夏の甲子園に出場し、90年代00年代の甲子園常連校で、この2010(平成22)年当時9回目の出場を果たしましたが、これを最後に春夏通じて甲子園の出場は10年以上ない状態となっています。
▼最後の写真は、十八銀行の建物が素晴らしかったので撮ったものです。
この10年前から情勢は変わり、現在は十八親和銀行と商号を変え、福岡フィナンシャルグループの傘下になったといいます。
この素晴らしい建物は1931(昭和6)年築といわれ、旧諫早銀行の本店だったといいます。
この後は本諫早駅へ戻りましたが、有名な眼鏡橋を見るのをすっかり忘れてしまっていました。
再訪するには地理的にハードルの高い場所ですが、今度は見たいものです。代わりに別の長崎市で眼鏡橋見ましたが…