(2008年6月当時)
▼これもかなり前で、もう13年前になりますが、更新ペースが遅いためになかなか新鮮なネタがお届けできずすみません。
ここでは富田林がこんな街、と分かりやすいカットが後で出てきますが、それらの御紹介の前に市街地の様子をお送りします。以後この手のカットは登場しないので…。
▼16世紀末の富田林寺内町(じないまち)の景観図
として出ていました。
16世紀末といえば戦国時代ですが、そんな戦国時代の16世紀半ばにこの寺内町ができたそうです。証秀上人という人物が当時の守護代よりこの土地を購入し、寺院と庄屋が連携し、町全体が寺社の境内の性格を持った「宗教自治都市」として誕生したといいます。「城下町」がお城を中心に造られた町であるように、寺内町はお寺を中心に形成された町です。
当初は「富田が芝(とんだがしば)」と呼ばれていたそうですが、芝が言いにくいのか「林」という言葉が使用され「富田林」というようになった(諸説あり)とあります。
一つのまとまったエリアに縦横道が通っていて、かつての平安京などにあった碁盤の目のようでした。この絵にも寺院らしき建物がめちゃくちゃ多く見られますが、これから歩く道のりには幹線道など殆ど登場せず、寺院や和風建築が多数みられる事となります。
▼という訳で寺内町を歩いて行きます。
富田林寺内町は「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されており、大阪府ではここだけであり、大阪で古風な街並み観光をしたいと思ったら、まずこの富田林に行けば良いかなと個人的には思っています。
通りは最初から「つし二階」の古風な和風建築の建物が出てきますが、そこの軒先で古着が売られていました。
▼当時は寺院を中心に形成された町だったようですが、このように店も軒を並べていました。
▼いかにもという感じの和風の建物はここからいくつも登場しますが、この建物は庇の下の「駒寄せ」が印象的でした。
駒寄せはてっぺんに横木が一本通っている事が多いですが、ここではそれはありませんでした。駒寄せは元々は牛馬を留め置くものだったそうですが、今では軒下に犬などが入らないようにする役目を果たすもの、だそうです。野良犬というものがすっかりいなくなった現代においては、猫が入らないようにとったところでしょうか。
手前にも同様のものが斜めになったものがありましたが、これも同様の役目を果たすものと思われます。
▼白壁の和風建築が立ち並ぶエリアに来ました。
左手前の建屋は印刷会社で、向こうには小さく医院の看板が見えました。
2F部分の窓下の連子状の木枠が独特の感じでしたが、これは装飾なんでしょうか。
▼さらに続く和風建築の数々。
右向こうには少しの軒の高い建屋が見られますが当時お金があったんだろうなと思わされます。
▼2階部分がせまい「つし二階」に加えて黒壁で、また典型的な「虫籠窓」の建屋は日本建築のエッセンスがギュッと詰まったものといえると思います。
▼土壁の剥き出しになったところもありました。
両サイドですごく対照的な状態の建物となっていました。
▼ここは白壁に板張りの荘厳な建屋が両サイドにありました。
ただ個人的にはこれらはあまりにきれいすぎて逆に歴史を感じられなくなると関してしまいます。しかし見た目はあくまで美しく、そして素晴らしいですね。
一軒一軒を詳しく訪ねず、景観のお届け重視で流し歩きのスタイルで通していますが、一軒一軒訪ねるとその歴史が学べて、街に対する深みも増すと思います。
▼屋根も重厚でしっかりした建屋が多かったのも印象的でした。
▼ここは東・奥谷家住宅とありましたが、奥谷家の分家で建物は1826年築といわれている、約200年を迎えようかという歴史ある建物でした。
寺内町といいつつ、結局お寺を訪ねることなく和風建築の通りをぶらついていましたが、これだけでもかなりの見応えがあり、もっと時間があればもっと楽しめるかなというところでした。
▼寺内町を出ましたが、プチ自動車教習所のような雰囲気の交通公園的なものがありました。教習所のコースを模した公園かと思いますが、子供たちが自転車で走り回りながら信号はちゃんと守っててほっこりしました。