(2006年10月当時)
▼松任(まっとう)駅前の蒸気機関車が保存されている向かいに、このようなゾーンがありました。井戸と滑車とセットになったものが。
そしてそこに各観光地への方向標識も併せて立っていました。
更には傍に句碑がありました。「朝顔や つるべとられて もらひ水」というもので、加賀千代女(=かがの・ちよじょ:1703~75)というここ白山市出身の女流俳人で、朝顔を多く詠っている事から白山市の市の花が朝顔になっているともいいます。
▼駅前通りの一角です。
もう15年近くも前の様子につき、幾分様子が変わっているかもしれませんが、「緑と花のまち 松任市」とありました。当時は松任市から合併により白山市に変わった翌年でしたが、駅前一等地ともいえるこの辺りの看板が「松任市」と旧名で残っていたのはなかなか驚きでした。
旧・松任市は合併前は約67,000の人口を有する市でしたが、近隣の2町5村と新設合併して白山市になり現在に至ります。
▼願念寺という真宗大谷派のお寺がありました。
松任駅から南へ徒歩約5分の所にありますが、松が門からせり出していたのが印象的でした。
▼駅前の幹線道で、中層程度の建物の商店が並んだ通りとなっていました。
右手前のサンキョウ・フーズとあるのは三共フーズという白山市の会社だそうです。
▼次のお寺は聖興寺というお寺です。
中野山聖興寺といいますが、これまた真宗大谷派のお寺で創建は1494年という歴史あるお寺です。改称・移動を経て現地にありますが、松任四ヶ寺のひとつとされています。
山門が荘厳な雰囲気でとても立派なものでしたが、特にちょうど門のフレームの部分の装飾がものすごく凝ったものになっていました。
▼これも聖興寺山門のサイドの部分になります。
「史跡 千代尼塚」とありました。
ここは冒頭触れた句碑の俳人・加賀千代女ゆかりのお寺であり、千代尼塚の千代もそこから取られています。その塚は1799年に尼の25回忌にあたって建てられたといいます。
▼松任金剣宮という神社の灯篭などがありましたが、実際のお堂へは行きませんでした。
▼千代女の里・松任市とペイントされた床がありました。彼女がよく詠んだテーマともいえる朝顔の絵と共に。
白山市になった翌年につき、まだこの辺りの未整備な部分が残っていたようです。
▼千代女の里 俳句館
という建物がありました。
実はこの訪問当時の2006(平成18)年にオープンしたばかりの頃でした。
北国で俳句の活動を続けた加賀千代女の里である事から、俳句を通じての交流施設ということで、俳句や当時の物品展示は勿論、俳句を募集したりなど交流面も活発に活動展開されているといいます。
▼さて、ここからは2008(平成20)年再訪時の様子をお届けします。
この時は松任駅近くのホテルに宿泊し、すぐ近くにあったこの松任城跡を訪ねただけの格好でしたが、まずはこの大きな石碑にて松任城の略年表がありました。
松任範光という人物が鎌倉初期に築城したといわれ、その後戦国時代まで話が飛びますが、上杉謙信が手取川の戦いで攻略して落城したとか、ここに記されているように知行安堵で講和成立ともいわれています。
賤ヶ岳の戦い後は前田利長が入るなどしましたが、1614年江戸初期の一国一城令に先んじて廃城になったとされます。
▼松任城跡の様子です。遺構はほとんど残っていないようです。
この当時は「おかりや(御仮屋)公園」と呼ばれていたもので、その後遊歩道や橋が設置され、石垣が一部復元されるなど「松任城跡公園」として2011(平成23)年にリニューアルされており、この写真は過去の姿となっている訳ですが、文字通り「まっとう」な公園に生まれ変わったというところでしょうか。
白山市といえば、この松任が中心地になりますが、それ以外にも素敵なスポットを訪ねる事が出来たので、そこも後日載せたいと思います。