続々トラベルとかナントカ

日本全792市を訪問した駅や旅の記録です

千葉/四街道 松並木美しき街

千葉県四街道市、JR四街道駅周辺の様子です。

(2011年2月当時)

▼またまた今から9年前、2011年の街の様子です。ホントにこの年には沢山色んな市を新規訪問しました。

これは四街道駅南口の駅前通りです。

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四街道市内の案内図がありました。

観光案内というよりは、施設案内の要素が濃いものですね。とにかくありとあらゆる公共施設が並べ立てられていました。

東隣には千葉市があり、ベッドタウン的側面を感じられます。

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▼こちらは四街道駅北口の駅前通りになります。

消防署が右向こうに見えます。

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▼Ito Yokadoがありました。

今も存在しているこの店舗、コロナウイルスの影響も受けましたが、この6月1日より一部を除いて通常の営業時間に戻ったようです。

ヨーカドーって店名はヨーカドー(ローマ字表記をしてたりもしますが…)で、会社名は「ヨーカ堂」なのですね。

ここのお店は四街道駅から徒歩8分の立地にあり、駅からそう遠くはないのも良いですし駐車場は1,400台分あるとの事です。

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松並木通りシンボルロード整備事業 なる看板がありました。

四街道駅の北側には松並木が多く、これらは明治中期ごろから旧陸軍の設備として整備されていたという事で、その当時から植えられていたといい、であれば樹齢100年を越えるものです。

シンボルロード整備事業とは、各地の持つ独自の文化や歴史などの個性を表現している道路を魅力的に整備するものだそうで、ここでは歴史ある松並木がその対象であるという事ですね。

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イトーヨーカドーの前の交差点付近です。

バス停は「消防署前」ですが、標識が複数本立っていました。

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▼上の写真から空にヨーカドーへ迫ったものです。

道路上の松並木が確かに存在感を放っていました。

それよりここでは右側の植込みに惹かれました。

むしろこの四街道を訪ねて最も印象的だったカット、といっても過言ではありませんでした。

この黄色いモップみたいなのは、なんていうんでしょうか。

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▼このヨーカドー前の通りは「美化推進重点地区」だそうです。

先のシンボルロード整備もあるのでしょうか、特に美観を保護する必要のある区域という事です。まちをきれいにする条例に規定され、様々なごみの放置はやめましょう、と呼び掛けられ「市内全域ポイ捨てが禁止」され、違反すれば罰せられるとまでありました。

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▼四街道らしい松並木のアップが撮れました。

この時は実はそんなに松並木の事は意識してなかったんですが。

両サイドにこれだけの高い木があるなんて素晴らしいですね。

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▼最後はこの道標の写真です。

千代田村道路元標 というものです。京葉銀行四街道支店の表の庭先にあります。

この辺りは当初の自治体名は「千代田村」として1889(明治22)年に発足し、1940(昭和15)年に千代田「町」へと昇格し、1955(昭和30)年には千代田の名前が消滅し、四街道町となっています。四街道市に昇格したのは1981(昭和56)年です。

具体的な観光地を示し難い街において、ちょっと歴史の垣間見られるスポットを最後に挙げました。茨城県常総市の中心地が水海道(みつかいどう)に対して、こちらは(よつかいどう)というのがまた面白いですね。

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愛知/日進 回文NISSINの街

愛知県日進市名鉄/日進駅周辺の様子です。

(2011年5月当時)

▼これまた前回記事の東松山市同様にちょうど9年前の2011年5月当時の様子です(この当時本当に浅く広くあちこち行ったもので…)

まずは駅にあった日進市案内図」です。

日進市で観光ってどんなところがあるのか??

ってことで検索してみました。

下記赤字で書いたのは、個人的に観光地として行ってみたかったところを挙げてみたものでしたが、この駅の近くではあまりなく、観光地を訪ねるつもりなら最初っから足を利用する事を考えて訪ねるべき、です。(日進駅は最下部真ん中のオレンジ囲み部分です)

という事でピックアップした3ヶ所について。

 

①岩崎城址公園

模擬天守のある立派な公園で、織田信長の父 信秀が居城していたといいます。

ある意味日進市を象徴する観光地、といっても過言ではないと思います。

アクセス:日進駅から「くるりんパス」で約10分「岩崎」バス停下車

②愛知牧場

日進市域の南東端に位置し、約200頭の牛がいる牧場。牛だけでなく、ヒツジやヤギなどとも直接触れ合いができ、パターゴルフもあり、牛乳やアイスクリームの販売もあるというエンタテイメント性の高い牧場

アクセス:名鉄黒笹駅から徒歩約7分

③マスプロ美術館

その名の通りアンテナで知られるマスプロ電工の企業美術館です。

展示室が「陶磁器室」と「浮世絵室」に分かれているという独特の構成の美術館です。陶磁器というのが瀬戸界隈を感じさせます。

アクセス:名古屋市営地下鉄鶴舞線赤池駅から名鉄バス日進中央線「浅田東」バス停下車


…公共交通機関の利用であれば、最もアクセスしやすいのは愛知牧場ですね。

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▼この辺りの地区の沿革について書かれたものがありました。

冒頭に「この地『折戸』…」とありますが、この駅の開業前の仮名は「折戸」駅でした。

1979(昭和54)年開業との事ですが、当時は既存の住宅は少なく水田が多数を占めていたといいます。名古屋大都市圏構想の下でベッドタウンに位置付けられて土地区画の開発が進んだとの事でした。

ちなみに日進の名前由来は日露戦争巡洋艦の名前「日進」に因むとの事で、古い地名由来ではないようで、またローマ字表記の「Nissin」(shiではない場合)はローマ時版の「回文」になっています。

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日進市のマンホールです。

市の花であるアジサイが描かれ「下水道」と記されています。

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▼日進駅を南へ下ってすぐの所で、県道57号上です。

なつかしの「サークルK」がこの当時はありました。

サークルKは現在、日本から全撤退しており、このお店は2018年12月にファミリーマートとして別の地へ新築移転しています。

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▼更に南下して日進駅から700~800m程県道57号を下ると、日進市から東郷町への境目に至ります。

日進駅へ行けば徒歩で東郷町へも行けてしまう訳ですね。

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▼という訳でそのまま東郷町へ突入しました。

東郷町の旅記事として挙げたいところですが、ほんの数枚しかないので、日進市の旅の延長という事でここに載せます。

このデザインは町の花であるアヤメを表しています。

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▼他にこれといった写真がないので、あっけなくこの記事が終わってしまいますが、最後の写真です。

 ある意味日進で最もインパクトあった写真と思っているものです。

愛知県のネッツトヨタのお店にはこのようなキリン親子がでっかく置いてありまして、なんてもキリックスグループのキリンダム系列だから、との事でした。

この時は日進市を訪ねるという事自体が目的だったので、駅周辺を歩くに終始しましたが、先に挙げた観光地も是非とも行ってみたいものです。

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埼玉/東松山 ぼたん通り商店街にて

埼玉県東松山市東武/東松山駅からの歩き旅です。

(2011年5月当時)

▼ついこないだ行ったばかりで、なかなかupできないな…と思っていましたが、気がつけばもう9年も経っていました。という訳で本記事の写真は全て、今からちょうど9年前の姿となります。

こちらは東松山駅東口(メイン側)の駅前広場を出てすぐ左(北側)を向いたカットです。

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▼この時、ここ東松山にて宿泊しました。

その宿泊時のホテルが、ここ「ビジネスホテル ステーション」でした。ホテルの写真がブレブレですみません。

当時は駅に近くて安ければ良い、が自分にとっての基準だったので、大浴場有無は気にしていませんでした。お部屋は実に簡素なものでした。

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▼ホテルを出ての通りです。

この通りが東松山駅へ繋がっています。

なので夜は結構賑やかで、このホテルで泊まるにはその点の考慮は必要です。

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▼この辺りの通りはゲートがありましたが「ふれあいの街 ぼたん通り」との事です。

東松山市は市の花が「ぼたん」であり、ぼたん園も存在します。ゲートの上部はボタンを表しているのでしょう。

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東松山市のマンホールです。

やはり市の花「ぼたん」が3ヶ所に配されています。この分は単色モノなので分かりにくいですが、カラー版だと3つとも違う色でボタンが描かれています。

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▼ホテルより更に北の地点で、ぼたん通り商店街はここから東松山駅までとされているようですが、右手には〇に「広」の字の看板が見える丸広百貨店が見えます。

丸広百貨店は川越を中心とする、埼玉県西部の各所にて展開している百貨店チェーンです。

その中で、ここ東松山店は1954(昭和29)年に開業した老舗であり、その後この地に移転したのは、1958(昭和33)年といいます。もう60年以上の歴史があるのですね。こういう百貨店って全国チェーンの郊外店に押されて衰退の一途…と多いのですが、ここの場合は一定の差別化が計れており、そのような流れに飲みこまれていないようです。

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▼大きな分度器みたいなインパクトのあるこの建物は東松山市総合会館」とありました。

多目的室や会議室、多目的ホールなどが利用できる市の施設のようでした。

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▼最後ですが、商店街である「ぼたん通り」の通信という訳で掲示物がありましたが、ここでは「ぼたんまつり」のポスターが出ていました。

4月末~5月初のGW期間中が見ごろという訳ですね。

ぼたんといえば、拙ブログのこの記事もご参考に。

lefthand.cocolog-nifty.com

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愛知/大府 時は移ろい大府センター

愛知県大府市JR大府駅からの歩き旅です。

(2014年6月当時)

大府駅前から東へ、駅前広場から最初の信号がこの「大府駅前」交差点になります。

トヨタレンタリースや銀行などに隠れるように色褪せた建物の古いおもちゃ屋さんが渋い存在感を放っていました。

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▼その信号の次の「地蔵院前」交差点の先に、このような沢山の幟が立っているところがありました。

「南無お願い地蔵尊と。

これはちょっと入ってみるしかないな、という事で。

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▼という事で入ってみます。

「大府 地蔵院」 です。

1746年創建といわれる曹洞宗のお寺でした。

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▼家の冷蔵庫なんかによく貼ってそうな戒めがありました。

全部当てはまるといえば当てはまる?かも

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▼写真横になってしまってすみません、そのお地蔵さんです。

「おねがい地蔵尊」とありました。

地蔵菩薩建立が1758年とありました。

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▼お地蔵さんと並んで立っているものを含めたカットです。

おねがい地蔵尊は右に隠れた位置にありますが、その向かって左には水子地蔵があり、更に左には長寿観世音と並んでいます。

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▼地蔵院を出て街歩きに戻りました。

ちょっとゾッとする像がありましたが、健康都市大府というアピールでこれは「スイミング」だそうです。下の台のうねりが水を表しているのでしょうね。

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▼通りがかりに目にしたauの店先にあったモーニング娘。のポスターですが、メンバーが目まぐるしく変わるので、今いないメンバーもチラホラと。道重さゆみさんや戦隊モノに出た工藤遥さんの姿も見えます。森三中とのコラボのやつですね。

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▼大府センターの文字が古めかしく残っている建物に出くわしました。

1964(昭和39)年に竣工したビルで、その時にこのマーケットも開業したといいます。1,2階が商店街で、上の3,4階は愛知県営住宅の構成です。

ただ最下階のマーケットは2019(令和元)年時点で営業しているのは1店のみだそうです。ビル竣功当時の1964年からユニー大府店が入っていましたが、1987(昭和62)年に閉店したといいます。ユニーが入っていた駅前のエリアという事で、往時の活況ぶりに思いを馳せてしまいます。

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▼その大府センターの向かいにある「はんしん」は半田信用金庫でした。

他の街にも「はんしん」は存在し、埼玉県の飯能信用金庫も「はんしん」です。ちなみに阪神信用金庫というのは存在しません。プロ野球でタイガースが敗けた時によくこういう言われ方をされます。

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大府市中央町5という地点です。

左端のミシンのお店?と思われますが、横の看板が妙に惹かれました。

ロボットというパソコン関係の会社とフカヤミシンというミシンのお店がここで同居しているようです。

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▼大府商工会議所です。

黒づくめで渋い建物ですね。

前身の大府市商工会が歴史に幕を閉じる形で2002(平成14)年に発足した、全国500余ある商工会議所の中でもかなり新しい部類の商工会議所だそうです。

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大府市役所です。

2000(平成12)年に市制30周年を記念してこの庁舎がつくられたそうです。

最上階にレストラン、地下には多目的ホールなどを有しているといいます。

角ばった建物が垂直の位置関係をなしており、その間に丸みを帯びた建物が膨れ出たような構造になっています。

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大府市役所バス停です。

標識が何本も立ち並んでいました。

大府市循環バスとして、片側1日3,4便出ており、コースが複数ある為、この市役所にはより多くの便のバスが行き来します。

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大府市とは無関係ですが、冴木杏奈さんというタンゴ歌手のコンサートポスターがありました。個人的にこの方は女優としてのイメージがあったんですが、どっちかというとそれはサイドで、メインは歌手だったんだ!と驚きました。しかもワールドツアーの一環だとかで、世界各国でコンサートを敢行していたとは!等々とにかく驚きでした。

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▼最後は、この写真でお別れです。

やはり健康都市大府のアピールがらみの像ですが、やはりインパクトあります。

スイミングもそうですが、変に小奇麗にしないラフさが目を惹くのでしょうか…??

 

さてお送りしてきました大府市の様子ですが、2006年に初めて寄った時は、ホントに駅の前と連絡橋渡ったぐらいしかしてなかったんで載せるネタもありませんでしたが、今回は2014年に再訪の形で、地蔵院他大府らしいものをいくつか見る事ができました。いつも本ブログでは今度は詳しく寄ってみたい、と締め括るのですが、今回はその詳しく寄ったバージョンで、こういう所もあるので、また見にいらしていただきたいと思います。

それでは。

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東京/稲城 稲城長沼~稲城駅

東京都稲城市JR稲城長沼駅から京王/稲城駅への様子です。

(2013年3月当時)

▼JR稲城長沼駅から、駅前の短い通りを抜けて程無く、こんな「さわやか信用金庫」というのがありました。

東京に本拠のある信金で、東京の信用金庫が合併しててできたもののようです。

向かいのお店が文化住宅の1F部分にあるような感じでした。

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 ▼「ペアリーロード稲城」と表記されたゲートが建っていました。ペアリー〇ードのように見えますが、ペアリーードです。

ゲートの上にキリンが乗っかってました(笑)

しかしところが…

後年2016年になって、このキリンのモニュメントが撤去されたようで、今はないようです。「在りし日の姿」になった訳ですね、この写真。36年間親しまれてきたという事で、1980年頃から使われていたのですね。

www.facebook.com

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▼幹線道に出くわしたところです。

ここから稲城駅方面へと歩いて行くので、このすぐ下の写真の向こう側へと進みます。

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稲城長沼の駅から徒歩5分程度の地点に、青渭(あおい)神社という神社がありました。

青渭というと「青渭通り」という通りがあったりもします。さんずいへんに「胃」だなんて、そんな漢字あるんですね。

創建年代は不明ながら延喜式に記載があるなど、多摩八社とよばれるうちの一社でかなり歴史を持った神社のようです。

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▼拝殿を近づいてみてみると、赤い柵が目立ちます。

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▼この神社では獅子舞が稲城市指定技芸」とされています。

毎年10月1日の神社祭礼当日に行なわれるという事で、途中大正時代に中断があったものの1937(昭和12)年に復活し現在まで続いているといいます。またこのような獅子舞がかつては市内至る所で見られながら、現在はここ含めわずか2ヶ所しか残っていない、とも記されていました。

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▼同じ神社の拝殿柵に「東京のナシ栽培の起源」なる案内板もありました。

江戸時代の元禄年間に当時の代官が旅した地から苗木を持ち帰ったのがその起源、なる記載がありました。

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▼神社を出てここが青渭通りとされる道です。

神社の名前に由来して名づけられたといい、神社ありきなのですね。

ちなみにその通りの表示の下に地名があり「稲城市大丸」となっていました。「だいまる」ではなく「おおまる」と読むそうです。

この辺りには大丸城というお城があり、室町時代の山城とされ、またこれ以前の時代の遺跡も見られ、大丸遺跡として存在するといいます。

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青渭神社の境内にナシ栽培の起源につき説明板がありましたが、程近くにこのようなナシ園がありました。

稲城市の特産物として認識され、ここでは庭木に「ビャクシン類」というものをを植えないようにとの注意がきがなされていました。

東京都で畑を見ると、貴重なものを見たような気分になります。

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▼更に稲城駅へ向かう道中に慰霊碑群が。

「平和の碑公園」とされる場所です。

大東亜戦争終戦50年を迎えて建てられた碑や、日露戦争の戦役記念碑等が並んでいて、そこに立つ木々も立派にそびえ立っていて、それなりの雰囲気を放った場所と感じました。

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ここは長沼城・報恩寺跡とされる地です。

稲城長沼の長沼という地名ですが、源頼朝に仕えた武将の名前が長沼だったのですね。

すぐ近くに大丸城跡というのがあって、ここにも城跡とは!という感じでした。時間軸が異なるようで、大丸城は室町時代、ここ長沼城は鎌倉時代と、存在時期が違っていて、拠点とされた場所も微妙に変わったという事でしょうか。

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▼最後のこれらの写真です。

柵に「三沢川」と書かれていたのが、なんか面白かったです。

この三沢川は多摩川水系の支流という事ですが、春にはさくら回廊として見事な桜並木となり、またその夜にはライトアップの素晴らしい画像が見られました。春の夜は要チェックですね、今から一番遠い季節となってしまいましたが…

という訳で、稲城市の駅間歩き旅でした。

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京王/稲城駅 (東京都稲城市)

東京都稲城市京王/稲城(いなぎ)です。

稲城市ではJR稲城長沼駅をupした事がありますが、今回は稲城の市名そのものを名乗る駅のご紹介です。

-京王/稲城駅

【路線】京王相模原線 (調布-橋本間)
【開業】1974(昭和49)年10月18日
【訪問】2013(平成25)年3月
【1日あたり平均乗車人員】 21,596人/日 (2018年)
【近隣の都市駅】(調布方面) 調布駅→4駅
           (橋本方面) 京王多摩センター駅→3駅

             東京駅から: 49分
             大阪駅から: 3時間45分
             ※AM9:00発での最短時間

▼「稲城」の市名を名乗る駅ですが、稲城市の中心駅という訳でなくJTB時刻表ではあくまでもJR稲城長沼駅が中心の座にあるとされ、また稲城長沼より50年近く後に開業した比較的新しい駅です。利用者数は長沼駅より上で、市役所もここ稲城駅の方が近く、実質的には中心駅という事になるかとは思うのですが…。

1974(昭和49)年開業という事で、また10月18日というと巨人・長嶋茂雄選手が「我が巨人軍は永久に不滅です」と言い残して現役引退したその4日後に当たります。

 その巨人は稲城市にファーム球場の新設が発表され、またここの隣駅はよみうりランドでありと、巨人には浅からぬ縁の地という事になります。

 

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▼ホームの様子のひとつとして、電光掲示板周辺です。

次発が新宿行の電車となっていました。

京王相模原線に属し、この路線では調布までですが、電車自体は新宿まで通っており、ここから新宿までそのまま行けます。また東京駅から1時間以内で来れます。

ホームは2面2線で、この両ホームの内側を電車が通る格好です。

 

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▼という訳で、こちらは2番線にあたりますが、調布 明大前 新宿など多数の方面として記されていました。

ちなみに反対側の1番線は「京王多摩センター 橋本」方面となっています。

 

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▼向かいの1番線からKEIOのロゴの入った電車が発つところでした。

 

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▼駅を出て、ロータリー周辺です。

稲城長沼駅は駅前が手狭であるのに対して、ここは駅前広場のスペースがゆったりと取られています。(ただし、この後年に稲城長沼は高架化され大きな駅舎がつくられています)

バスが行き来していましたが、駒沢学園や新百合ヶ丘駅などへ行くバスが出ていて、また成田・羽田両空港行きのバスもあるという事です。

 

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稲城駅の入口から中の様子です。

駅舎自体は結構コンパクトに見えますが、中には結構お店が入っていました。

 

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稲城駅の駅舎です。

この時、JRの稲城長沼駅から歩いてここへ来たのですが、距離にして1km程度で、接続こそないものの両駅間を歩いて行く事は全く可能です。

コンパクトな駅舎ですが奥行きがあり、またすぐ向こうにはKONAMIスポーツクラブの入ったビル(=京王リトナード稲城)があります。

 

次の記事では、この稲城駅とJR稲城長沼駅との駅間移動の様子をお送りしようと思います。

 

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広島/三原 三原駅から三原港

広島県三原市JR三原駅からの歩き旅です。

(2004年6月当時)

三原駅周辺は三原駅と三原港のカットぐらいしかなく、今回記事の写真は2004年と今から16年も前の様子で、鮮度も需要も高くない記事になること必至ですが、三原駅周辺の様子としてお送りしたいと思います。

まず最初はこの三原市のマンホールです。

駅記事にも像の写真がありましたが「やっさ踊り」のものでした。

毎年8月の第2日曜を含む「金土日」に行われる「三原やっさ祭り」で披露される踊りで、1567年に三原城が築城された際に踊り始められるようになったといいます。

 

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三原駅前の通りを入って三原港へ向かいます。

「マリンロード商店街」というそうですが、港へ向かうところなのでピッタリなネーミングですね。

 

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▼ボヤけてますが街の様子です。

三原港のすぐ北の地点で、歩道橋は「三原市城町」となっています。

現在お城の面影が残るのは、この駅何南ではなく、反対側の駅北ですが、この辺りも三原城の敷地内であったという事でしょうか。

NTTの建物が左手に見えていますが、NTT三原電話交換所という事です。昔はNTTといえば花形でしたが、最近は無人化になっていたり、かなり様相が変わってきていますね。

 

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▼左手に三原港のターミナルビルの建物が見えてきました!

三原駅から南へ徒歩約5分、尾道もそうですが、広島の市の中心駅から徒歩圏内で港へ行ける街です。

 

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▼三原港ターミナルの待合室から眺めた様子です。

コインロッカーや売店もあり、土産物眺めるだけでも時間が潰せました。

 

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▼三原港の待合から乗船場への改札周辺の様子です。

ちなみにここから行ける島は以下の通りです。

 

佐木島(さぎしま)

 人口776人。毎年夏にトライアスロンが開催される。

 フェリーで25分(1日12便)。高速船で15分(1日10便)

 

佐木島(こさぎしま)

 人口8人。明治27年製の灯台が現役稼働。

 旅客船で15分(1日4便)

 

生口島(いくちじま)

 尾道市。人口約9,000人。レモン発祥の地といわれる。

 瀬戸田港までフェリーで28分(1日19便)

 

因島(いんのしま)

 旧・因島市、現・尾道市。人口約23,000人。村上水軍の島。

 フェリーで重井港まで40分(1日7便)  高速船で20分(1日12便)

 

といったところで、小さな島から旧の市であった大きな島まで色んな航路があり、便数も比較的多くて島めぐりにはうってつけ、という感じなので三原に来たら陸路もいいですが、航路も是非にとおススメします。

ここでも色んな行先への電光掲示板が出ていました。

 

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▼最後に三原港の桟橋の一部のカットです。

この雑なカット1枚のみに終わってしまったのですが、撮ったのが2004年当時で撮り方とか今と全然違ってて、色んな事を意識していないので、風景が何か撮れればいいわ、ぐらいな感じでした。

という訳で三原駅から三原港だけの記事に終始してしまいましたが、振り返ると驚くほど巡っていない事に気づいた三原の街。今度は陸路で良い風景を撮りたいものです。

 

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