続々トラベルとかナントカ

日本全792市を訪問した駅や旅の記録です

JR北見駅【再】 (北海道北見市)

北海道北見市、昔ココログにて北見駅として記事をあげていましたが、当時の写真があまりきれいでなく、またホームなどの写真もない事から、2022(令和4)年に16年ぶりに再訪したものを今回はお送りしたいと思います。

(2022年5月当時)

駅データについては、上リンクのココログでの記事を参照頂くとしまして、前の記事をリブログできない(容量制限の関係で)為、ここで再訪版をupします。

 

▼特に前回撮ってなかったホームは今回絶対、という事で撮りました。

1911(明治44)年の開業当初は「野付牛(のっけうし)」という駅名だったそうです。

この駅の開業2年前の1909(明治42)年に野付牛「村」という自治体となり、その7年後1916(大正5)年に野付牛「町」となりました。

「村」の時代に、村名から駅名が命名されたと思われますが、1942(昭和17)年に北見市として市制施行され、この時に駅名も「北見」になり現在に至るといいます。

隣駅もまた西北見になっていますが、ここは北見市になって何十年も経った1986(昭和61)年の開業だったので、これは生まれながらの「北見」だった訳です。

柱の腰の部分に緑赤緑のペイントがズラッと並んでいて、白い柱にこのペイントが実にアクセントになっていました。

 

▼前回記事の斜里町にて、JR知床斜里駅から電車でここへたどり着きました。

ホーム上は天吊りの時計と、白い木製柱のズラリと並んだ様子が、アートな印象を受けました。

建築物として「芸術」を感じ、これ見ただけでもここへ来てよかったと思えました。

 

lefthand926.hateblo.jp

 

▼2番のりばは駅舎と反対側で、この跨線橋を越えて1番のりば、または改札口へと向かいます。

 

跨線橋の階段は、途中の段から板が変わったのか?違う色のものになっていました。

ホームの屋根柱と同様に、白を基調とした内装でした。

 

跨線橋内の様子です。

天井の三角部分は白基調の骨組みの印象的なものですが、内壁面は薄緑の平板な印象のものでした。ちょっと広めの通路がまた印象的でもありました。

 

跨線橋を渡って改札側へ降りてきたところです。

向かいのホームとは、橋から階段の下りている向きが互い違いになっていて、向かいのホームは階段が向こう側に下りています。

 

▼時刻表がありました。

ざっくり、左側が札幌方面、右側が網走方面です。

1時間に1本もない時間帯もあり、このくらいの都市駅でもあまり本数がないところに、札幌から遠く離れた都市の駅を感じてしまいます。

 

▼駅で見た事のないものを目にして、ナニコレ?と思っていましたが、

カー・キャッチャーとあり、鉄道の過走防止のための非常具、だそうで。

パッと見、雪に対応した備品かと思いましたが、北海道ならではのものではないようです。

 

▼駅を出たところで、カーリングのまち北見市とありました。

カーリングというスポーツの普及に大きく貢献したロコ・ソラーレの本拠地はここ北見市なのです。

 

▼上の写真の郵便ポストの上にはカーリングのストーンが乗っていました。

実際のものか分かりませんでしたが、実際のものは重さ約20kgもある花崗岩製のものだそうで、そんなものをあんなにも弾き飛ばしてすごいな、と感じるばかりです。

 

北見駅前の様子と周辺の案内です。

北海道の都市駅前の区画は碁盤の目のようにきれいといつも感じますが、ここもそうでした。その碁盤目街並みに突然斜めの区画が入ってきて、地図の真ん中がY字路になっていたり、そういう地形の面白さもありました。

 

北見駅前にはパラボという駅前ビルがありました。

駅前のどこかで飲食したいところでしたが、なかなか見つけられず、結局はこのビルの飲食店にお世話になりました。

 

北見駅の駅舎です。

基本、前回訪問の2006年からほとんど変わっていませんが、前回は「北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線」という路線が廃止されたばかりの頃でした。ここから33駅、140kmにわたって存在し、第三セクターでは当時史上最長(現在は三陸鉄道リアス線の163kmが最長)の路線でした。もったいない事に間のほとんどの駅は消滅してしまいました。

 

北見は前回、女満別空港からの寄り道程度にしか訪ねていなかったので、この時はまず知床を訪ねて、それからこの北見へ来ようというのがミッションでした。

という事で、北見を楽しむ様子は次の記事以降にて。

 

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