続々トラベルとかナントカ

日本全792市を訪問した駅や旅の記録です

石川/輪島② 2018年の旧・輪島駅をゆく

2024年、明けましておめでとうございます。

 

元旦から能登半島の震災のニュースが飛び込んできて、被害が明らかになりつつありますが、どうかこれ以上拡大しないように、また1日も早い復興がなりますように、かて阪神大震災を経験した身として願ってやみません。

 

かつて、下記リンクで輪島市のカットを記事にあげましたが、その後再訪し色々な風景を楽しませて頂きました。そんな街並みが今回悉く焼野が原同然になってしまい、驚愕しています。

輪島市「ふらっと訪夢」

 

輝きのあった当時を忘れない為と、この街並みがいつかもういちど戻る事を祈念して、当時の風景をお届けしたいと思います。

今回は、当時16年ぶり再訪の第1弾として、前回記事で表面しか撮れていなかった「ふらっと訪夢」の屋内を見た時のものをお送りします。

 

(2018年6月当時)

 

▼まずこれは旧・輪島駅

2001(平成13)年まで鉄道が通っていた、れっきとした鉄道駅でした。

自分がここを初めて訪ねたのが翌2002(平成14)年の夏だったので、ギリギリ間に合わず、既に「駅舎跡」として、この「ふらっと訪夢」になっていました。

ただ、その当時はここまで整備されておらず、まだ駅舎跡に毛が生えた程度の地味なものでした。

 

現在は、このような充実した施設となり「道の駅輪島」として機能している他、金沢からの長距離バスがこの敷地内(旧・輪島駅前広場)へ乗入れており、鉄道がなくなった輪島市の公共交通の中心地として機能しています。

 

輪島市街図です。

この道の駅がある場所は、この地図の左下の「現在地」の所になりますが、この地図で見ると輪島市の中心地はことごとく海や川などの水際に近く、今回の震災でもかなり厳しい事になってしまったと感じます。

 

▼ふらっと訪夢の中へ一歩踏み出したところです。

最初の写真は建物の一部につき、実際は結構横長で、ここから見ると奥行きがあります。

「輪島朝市」という水森かおりさんの幟がありましたが、2008(平成20)年に水森かおりさんのシングル曲として発売されたご当地ソングで、この年の紅白でも披露された曲でした。ここから少しは距離がありますが、今回朝市通りが壊滅的な状況になっていたのを見て胸が痛みます。

 

▼ふらっと訪夢を更に中へ入っていきます。

かつて駅だったところから、駅設備の一部がここに配置されていました。

 

▼更に、ふらっと訪夢の内部です。

能登のキリコ祭り」なる大きなカラーの幕が出ていました。

切籠(キリコ)とよばれる5メートルほどの大きな提灯を使って練り歩く、能登地方の祭事です。

輪島では7、8月頃に行なわれ(各地の多数の場所で開催)るようですが、今年元旦からこのような地震が起きてしまい、開催されるのか?復興を祈るばかりです。

 

▼これもふらっと訪夢の敷地内ですが、安全 安心の街として安全祈願のフレーズが記されていましたが…自然の猛威はあまりに残酷と感じます。

 

▼そして敷地内はプチ線路を再現したスペースもありました。

鉄道廃止時終着駅でもあり、車止めもありました。

 

▼穴水-輪島間【七尾線】の歴史

として、輪島駅が稼働していた頃までの歴史が綴られていました。

輪島駅の開業は昭和10(1935)年の所に記されていて、2001年に廃駅となったので、66年の歴史でした。

ちなみに輪島駅は廃業時、のと鉄道の「七尾線」に属し、珠洲駅は同「能登線」という違う路線に属していました。輪島市もですが、珠洲市の今回の被災状況もかなり心配です。

 

▼旧・輪島駅は終着駅だったのに、なぜか隣駅表示が両側にあり、その片方(本来ブランクになっている方)は「シベリア」と表記されていました。

実際その駅名標は現存していますが、この説明板を見ないと「なんの事??」となるところでした。

実は別に理由などなく、単なるいたずら書きから当時の駅長さんの配慮で?こうなった的な事が記されていて、また「口外しないように」とも記されていました。すいません、ここでバラしてしまいいますが…。

 

▼駅があった当時から残されている旧・輪島駅のホームです。

先にある通り隣駅表示の片側に「シベリア」と表記されていました。

いたずら書きから始まったかもしれませんが、どこか銀河鉄道のようなロマンチックなものを想像したり、適度に遊び心があってよかったと感じました。

駅名標は「国鉄」時代のもので、のと鉄道に転換されたのが1991(平成3)年の事で、それ以前は国鉄・JRに属していました。

 

▼旧・輪島駅ホームの引きのカットです。

向こうに線路上に列車が停まっているように見えますが、うまく線路のラインに合わせたパネルでした。当時のホームの向こうはこんなのどかな景色だったのでしょうか。

 

 

▼旧・輪島駅の建屋です。

最初の写真はその中心部だけで、ここでもまだ左側は見切れていますが、結構長い建屋で、現役の輪島駅時代は平屋根で横に長く続いていたようで、北陸地方の小都市の中心駅のご多分にもれないスタイルだったようです。

この当時既にゴーゴーカレーがこの中に入っていましたが、昨日の「X」で休業を宣言されていました。早期の復興をお祈りするばかりです。

 

▼道の駅(ふらっと訪夢)を出ての目線です。

輪島駅時代もそうだったようですが、タクシーは結構止まっていて、交通拠点であることを感じました。

 

▼道の駅輪島を横から見た様子です。

かつての鉄道駅が道の駅になったケースをここ以外に知りませんが、何も言わなかったら鉄道駅の駅前の雰囲気が強いですね。

 

さて、ここまでお送りしてきましたが、今回火災で大々的に報じられた朝市通りは少し距離はあるものの、決して遠くにある訳でなく、この市の中心地周辺がどうなっているかいまひとつ分からず、気になっているところです。

 

一日も早い復興をお祈りしながら、引続き当時の輪島の街探訪記をお送りします。

 

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