(2013年6月当時)
タイトルに2005年の旅としていますが、実はこの宇治市、自分がブログで初めて記事にした記念すべき地でして、まずはお恥ずかしながら当時の記事を晒しつつ、その後これ以降の旅の様子もお届けしたいと思います。
まずはブログ1発目の記事です。
2006(平成18)年、ブログというものを初めて開設し、2005年当時訪ねた旅として投稿した記事でした。
ここではアメブロになっていますが、当時の「Yahoo!ブログ」で始めたもので、写真が1記事あたり5枚までしか投稿できない仕様になっていて、そんな中で写真を小出しにしながら記事をupし続けていました。
記事さえ書いていけばPVが増やせたお手軽な頃で、まだSNSなんて大して普及していなくて、You Tubeもそんな普及してなければ、Twitter(現:X)なんてものも知られてなかった時代でした。
ここまでが2006年当時の訪問記で、ここではこれ以降に訪ねた宇治の様子をお送りしす。
●という訳で冒頭に記しました(2013年6月当時)、今から10年前の街の様子です。
決してメインの通りといえない所に、こんなに色々な店が並んでいました。場末感が満載という感じですが。
●この時は、それまで行かなかった宇治市役所へ行きました。
その市役所前のバス停です。「京阪宇治バス」なる表示がありました。
宇治駅から約1kmありますが、バス停2つ分(約2分)で到着します。
●その宇治市役所です。
地上8階、地下1階のたいへん立派な建物でした。
▼宇治市役所建物の足元に写っていた「平和の鐘」です。
2004(平成16)年に建設され、一般公募でその名がついたといわれます。
高さ7mのモニュメントに鐘が20個ついています。
▼平和の鐘は単なるモニュメントではなく、ちゃんと曲が流れます。
その曲目はここにありました。
8時から20時まで、1時間ごとに流れ続けるというすばらしいもので、時期によって曲目が変わるのもまた素晴らしいものがあり、これは6、7月のものですが、四季を通して流れ続け、季節ごとに曲目が変わります。
ここでは右側に「沖縄の日」の特別曲目がありますが、8月6日や9日など原爆投下のあった日も特別曲目が編成されており、平和への思いの強さが感じられます。
▼これは、その平和の鐘の足元に並べられてある「戦災遺物」で、左は広島原爆投下時の被爆石で、右は2つありますが、左が那覇市の戦災石で、右が長崎市の被爆石です。
当時の市長名による署名で「宇治市民の皆様へ」と冠された形で寄贈されています。
長崎市は当時の伊藤一長氏の署名によるものでした。現役の長崎市長として任期半ばにして銃撃により亡くなられたのは大変悲しい出来事でした。
▼宇治市役所を出発点としたランニングマップがありました。
片道1km余りで、往復で2km余りでしょうか。
太陽が丘というのも見えますが、コースは坂道になっているのでしょうか?
この時はここへ寄りに来ました。
▼産業会館の中には、このようなものがありました。
宇治といえば抹茶、Berryz工房の熊井友理奈さんと当時℃-uteの鈴木愛理さんのハロー!プロジェクトで抹茶大好きコンビが、その魅力を伝えているコーナーの見開きが展示されていました。
ここに「抹茶ーず」とありますが、当時のサイトが残っていました。
▼抹茶が宇治のウリではありますが、抹茶コロッケなんてものがあるとは思いませんでした。
▼宇治代官所跡として石碑がありました。
かつては代官所であり、1951(昭和26)年に宇治市制がスタートした時の市役所のあった場所でもあるといいます。
▼宇治茶ラッピングの自販機がありました。
▼宇治茶の店舗です。
和風建築で雰囲気のあるお店でした。
宇治茶をいくつか買いましたが、帰りに途中で忘れたようで、もったいない事をしてしまいました…
2005年にも訪問していますが、8年ぶりの再訪でした。
▼この当時の「国宝」平等院鳳凰堂は「平成修理」の真っ最中で、2012(平成24)年9月から2014(平成26)年3月までの1年半が工事期間として設定されていました。
期間中の料金設定も載っていました。現在はこの倍ですが、この時はその通常時の半額という事だったのでしょうか。
▼平等院は1995(平成7)年に世界遺産に登録され、ここにその記念碑が建っていました。
ちなみにこの時は鳳凰堂が改修中で写真を撮っていません。前回寄った時に撮ったし、そうそう変わらないのでという事もあり、その写真はありません。
橘と橋って漢字が似てますね。
▼橘橋から見た、宇治川の様子です。
土手縁のラインがキリっとしてていい感じでした。
▼宇治川 先陣之碑
という石碑がありました。
宇治は古代より水陸交通の要衝であったといい、幾多の合戦の舞台になっていて、中でも1184年の「宇治川の戦い」は有名で、源義経と木曽義仲の戦いで、義経方の武士が「先陣争い」をしたという事で、これに因んでの碑でした。
河川改修における「先人」の困難を顕彰してのものかと思ったら「先陣」で、そういう事か!と納得しました。
▼宇治川に架かる橋としてこんな朱塗りの橋もありました。
朝霧橋といいます。
1972(昭和47)年に架けられた長さ74mの大きな橋です。
▼宇治神社の社務所前の狛犬が、斜め上を向いて口を開けてて、月に向かって吠えているようでした。こんなスタイルのものはこの時初めて見ました。
▼桐原殿とありますが、宇治神社の拝殿です。
「桐原」というのは、ここの地名の事だそうです。
▼宇治神社の本殿です。
この本殿は国の重要文化財に指定されており、鎌倉初期の建造物だそうです。
▼宇治神社は「学問の神様」なのですね。
「鎮座1,700年」とありました。
この時がちょうど1,700年にあたる年で、この神社の創建は仁徳天皇が即位した西暦313年とされています。
宇治川の傍へ戻りましたが、「ヒカルゲンジ」という品種の椿がありました。
そんな名前のものがあるんだ、と学びになりました。
という事で、10年前の宇治の様子でした。
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