に続く横手市の記事第2弾です。
(2020年8月当時)
前回記事では、宿泊したホテルを中心にお届けしましたが、今回はお出かけしたところをお届けします。
▼ホテルをチェックインしてしばらくくつろいだ後、明るいうちに横手公園へ行こうと夕方に出かけました。
ホテルから横手公園まで2km弱との事でしたが、東北地方といえど何せ暑い盛りでもあり、少しでも歩いていくのを避けたい一心で、この標識に沿って横手バスターミナルへ行きました。一応麓にあたる部分のバス停はありましたので。
「かまくら館」もあったのですが、この時行く事を断念したまま行けずに帰る事となりました…。横手に来たら行きたい所のひとつですね。
▼ホテルから歩いて横手バスターミナルまで来て、ここはその向かいにある「よこてイースト」の敷地で「納涼まつり」の幟が立ち、テント群がありました。
▼これが横手バスターミナルです。
横手駅から歩いて2~3分の所にありますが、駅前よりこちらの方が交通機関の中枢という感じで、大曲のバスターミナルへも行きます。
この屋根下の左側、柵沿いにいくつかの乗り場があって、そこで発着するようになっています。
また、この建物の下のフロアが待合室になっています。
▼横手バスターミナルから5分余りで着いた「横手郵便局前」バス停、ここが一応横手公園への最寄バス停にはなります。ここから少々歩く必要があり、横手駅から来ると公園入口を少々オーバーランした位置にこのバス停はあります。
▼横手公園へ向かう道中で、トンボが止まっているのを見かけました。
それでトンボにピントを当てて撮ることができました。
あれ?羽が1対しか確認できず「ふつう2対なかったっけ??」となりました。
▼降りたバス停近くでお堀の脇へ行ってみましたが、こんなお稲荷さんがありました。
「蛇王神社」とありました。蛇とは特に関係ないようでした。
▼その蛇王神社から堀向かいに眺めた所にまた神社の建物らしきものがありました。
ここへは遠回りの形で橋を渡って行かなければならず、また横手城の建物を明るいうちに見たいのがあり、ここまで行く事は断念しました。
▼この辺までバスでやって来たのは「羽後交通」のものでしたが、これとは別に横手郵便局入口というバス停名にて横手市循環バスで運行されていました。
1時間に1本、1日10便とコミュニティバス系としては多い方だと思います。
▼横手公園入口側へ戻る形でアブローチしたところ、色んな標識が出ていました。
▼公園入口に近づいていくところで、写真真ん中あたり、山の上にチラっとお城の建物が見えてきました。今回の目的地はズバリここです。
高さはあるのか、上る時どれだけしんどいのか…??ついつい考えてしまっていました。
横手公園(横手城)含むアプローチが示されている街なかでした。
だいぶ陽が低くなってきていて、早く登らないと日が暮れてしまう…という状況でした。
▼少し離れた所ではふんだんに標識がついていたのに、直前で切れるような形で少々迷いながらようやく行き着いた横手公園の入口です。ここをまっすぐ進んでいきます。
▼上の写真の突き当たりが、横手公園へのアプローチとなる階段つきの山道でした。
これを上がっていきます。写真は3枚別々のものが横並びになっています。階段山道の風景として左から右へ流れていく形です。
あまり人が通っていないのか?道が少し整備され切れてなかったり蜘蛛の巣があったり、多分ほとんどの方は車で上るのかなと。
どれだけしんどいのか??と思っていましたが、5分位上るととりあえず城の高さまで行き着きます。
▼階段を上り終えて、ようやくまず横手城跡の案内板まで行き着きました。日暮れ時とはいえ夏の暑い中、階段を上り続けるのはどうかと思いましたが、思ったほどしんどくはありませんでした。
そして横手城跡の紹介です。
横手城は16世紀中ごろに小野寺氏によって築城されたといわれています。この小野寺氏は関ヶ原の戦い後に反徳川派と目され改易となった後、入れ替わりが激しく、一国一城令で破却されそうになりましたが、重要拠点と目された事で破却を免れたとありました。結局幕末の戊辰戦争まで持ちこたえましたが、そこで落城し、1871(明治4)年に廃城になったといいます。
▼お城山ご案内として地図つきの案内板がありました。横手公園は昔から「お城山」として親しまれてきた旨の記載がありました。
現在地は真ん中左下のオレンジの部分で、そこから左上にお城の天守が立っています。
▼横手城跡前の駐車場からの街の眺望です。
パネルもついていて、見えるものが何か主要なものについては記載がありました。横手川や鳥海山など。
▼夕日と共にした形での眺望です。
少々来るのが遅くて、まともに写真が撮れるか?と思いましたが、良い時間帯に撮る事が出来ました。こういう時はカメラを色々調整して、色んな明るさ暗さを出してみたいなと思ってしまいます。
▼さて、今回の横手観光のメインである横手城跡天守のカットです。これを見るために今回来たようなものです。(もちろん温泉にも入りに来たのですが…)
この横手城は実際は天守はつくられなかったようで、この天守は愛知県の岡崎城をモデルにした「模擬天守」だそうで、1965(昭和40)年に建設され、東北地方では最初の模擬天守といわれています。
▼模擬天守の1F部分は資料館からの展望台になっています。
この時期独特のカットと思いますが、入場に際してのマスク着用の絵と共に「検温」の協力呼びかけが記されていました。このコロナ禍にしかないカットという訳です。
▼最後はこのカットです。
天守の傍にこのようなお食事処があり、この建物の2Fでパスタを頂きました。ソフトクリームやケーキから食事までなかなか幅広いメニューで、ここで食べた頃にはかなり暗くなっていましたが、横手城跡は単に建物だけでなく、他に食事のできるお店もある、という事をここで書いておこうと思います。