につづく大仙市の記事です。
さて、前回記事に続いて花火通り商店街を歩いていきます。
▼商店街を歩いていて目に留まった所で、軒先から眺めてみると…
花火玉やら筒やら色々なものが!
さすがは花火の街。
「のびのびらんど」という市民交流プラザですが2005年にオープンして、今年で15年になるそうですが、大曲の象徴的な施設のひとつと感じました。中まで入る事は遠慮しましたが、この表を見るだけでも良かったです。
▼更に商店街を進みます。
紅白のポールが目に入りましたが、旧大曲市表記と現大仙市表記が混在していました。
▼商店街沿いにあったお稲荷さんです。
この辺りになると駅からの距離もそれなりにあり、商店が立ち並ぶという感じではありませんでした。
前に標柱があり「大仙市指定文化財 御前井」とありました。
御前井は「ごぜんい」と読みます。
この地を治めた佐竹藩主が参勤交代で大曲本陣に滞在時する時に、藩主向けの献上水として汲み上げられた井戸で、当時は2基あったそうですが現存するのは1基のみだそうです。
▼旧・大曲市としてのマンホールがありました。
やはり花火は必須アイテムですね。
あとは丸子川と大平山の風景、との事です。
▼更に進んで駅から約500mの地点で、丸子川の流れる丸子橋に差し掛かる所です。
真夏の徒歩500mはかなり暑いです…。
ここにある「丸子のこみち」は川沿いの歩道で、散歩にはうってつけなのですが、この時期は何より暑いです。
石碑が建っているのは「富樫氏土屋館跡」というもので、土屋館は「つちやかん」ではなく「どやだて」と読みます。
1508~1536年の間、富樫氏がこの地に居館していたといいます。
▼これも丸子のこみちのところにあった説明板です。
枕流館(ちんりゅうかん)という明治期から昭和初期にかけての情報拠点がこの辺りにあった事が記されていました。元々は旅籠屋だったものが、文人の集まるサロンのような形へなっていったといいます。著名人として政治家などでも犬養毅、柳田邦男などの人物も宿泊していたといいます。
▼丸子橋と丸子川の様子です。
丸子川は雄物川水系の一級河川で、長さは16.3kmこの大仙市と美郷町を流れているといいます。
この前日は大雨で秋田新幹線の運休が云々されていたようで、そのせいか水位が高い感と水が濁っていた感がありました。
▼丸子橋を通過して、ふたたび商店街の町並みへ。
右側の木造建屋が渋すぎました。
隣(手前)のカラーテレビの看板がそのまま残っているのも良かったです。
▼上大町11番町というバス停へ来ました。
ちょっとくたびれた感のあったバス停標識でしたが、歩道の車道側に立っているはずのものが、ここでは随分車道から離れて立っているなという印象でした。バスからしたからこんな陰に隠れたようなところで人が待っていても分かりにくくないですか?という感じでした。
▼大曲の名所のひとつ、諏訪神社へ来ました。
その歴史は古く801年に征夷大将軍 坂上田村麻呂が討伐へ向かう際に居を構えた所とされています。
毎年2月15日には「大曲の綱引き」という大規模な綱引き行事が行われています。
▼諏訪神社の境内へ入り手水舎へ。
今のご時世がよく表れていますが、新型コロナウィルス感染拡大防止のため…という事で、利用が停止されていました。
▼諏訪神社の拝殿です。
屋根裾が末広がりでまた微かに上向きで、いい感じのフォルムになっていました。
前面の真ん中はなんでしょうか、いわゆる妻が幾重にも構成されていて、これもまたカッコ良いフォルムに何役も買っていると思います。
▼拝殿のカットでも見えていましたが、向かって左側の狛犬の頭部が苔で緑になっていて、まるで緑の頭髪のようでした。ありそうでないカットのような気がします。
▼拝殿の中も素晴らしかったです。
中にはお伊勢さん系の小冊子がおいており、コロナ収束祈願のコラボのお酒の紹介もありました。
▼諏訪神社を後にして、通りに戻りましたが、ここは「栄町商店街」との表示がありました。
写っている建物はペットショップですが、この近くにて「大曲道路元標」の石柱がみつかったとありました。しかしこの石柱は材質から、建っていた時期から色んな事が不明なようです。
▼再度、通りから少し逸れて、大仙市大曲体育館と武道館です。白いものが体育館、手前の黒っぽいのが武道館です。
体育館は1973(昭和48)年建設で、2002(平成14)年に大規模改修をしたといいます。
▼これもまた通りを逸れた所ですが、大曲高校付近にあった「一里塚」です。
ここは「米町」という所で、ここで米の積み下ろしをしていたところからそう名づけられたようです。大曲の中心として機能していた時期もあったそうで、その中心に一里塚があるという訳です。
向かいには地蔵さんがあるという事で、付近の役者が住み着いた事もあり、役者の供養塔もあるという、歴史的なものが色々詰まったエリアという事でしょうか。
そんな古い歴史も気になるところですが、向こうの年季入りまくりのアパート?が現役で稼働しているのか?も大いに気になるところでした。
今回記事も途中になりましたが、ここで一旦切ります。
今回は看板を色々見たような部分が多かったですが、次はここへ行ったという明確な名所わスポットを当てます。