甲賀市ではJR貴生川駅をupした事がありますが、今回は「信楽高原鉄道」の駅の御紹介です。
- 路線:信楽高原鉄道信楽線(貴生川-信楽間)
- 開業:1933年5月8日
- 訪問:2008年5月
- 1日あたり平均乗車人員:432人/日 (2016年)
- 近隣の都市駅:(貴生川方面)貴生川駅→5駅
- 鉄道での所要時間: 東京駅から:約4時間
大阪駅から:2時間弱
▼駅名標です。
もちろん、あのタヌキの焼き物で有名な「信楽焼」の「しがらき」です。
なので横ちょには象徴的なでっかいタヌキの焼き物が置かれていました。
信楽高原鉄道の終着駅にあたり、JRと信楽高原鉄道で共有している貴生川駅から分岐しており、そこから5駅でここへ到着します。
現在は甲賀市に属していますが、平成の大合併前は 信楽町として人口約14,000人の自治体に属しており、高原鉄道の沿線駅で始発の貴生川を除く他の駅はすべてこの信楽町に属していました。
開業は1933(昭和8)年と昭和初期で少し遅い感じですが、当初は国鉄駅(国鉄信楽線)として開業しました。この年は滋賀県では滋賀銀行の設立された年でもあります。
しかしわずか10年後に営業休止となり、更に4年後の1947(昭和22)年に再開されています。
その後1987(昭和62)年の分割民営化まで国鉄駅として存在していましたが、同年7月に信楽高原鉄道の駅へと転じる事となり現在に至ります。
信楽高原鉄道といえばどうしても1991(平成3)年の列車の正面衝突を思い出してしまいますが、あれから29年になろうとしています。
▼ホームは2面2線ありますが、旅客用に使用されているのは、ここに写っている1線のみで実質1面1線です。もう1線は夜間停泊などに使われているといいます。
▼ホームにはユニークなタヌキたちが並んでいました。
それまで個人的に持っていた信楽焼のイメージは、立ったタヌキが徳利ら「通い」を持っているもの(=「酒買い小僧」というものだそうです)でしたが、こんなやつもあるのかな?と初めて目の当たりにしました。服着たものまであったりして。
ちなみに信楽きが国から伝統工芸品として指定されたのが1976(昭和51)年との事、え?そんな新しいの??と逆に驚きました。もっと古くからの伝統工芸品だと思っていたので。
ただし、信楽焼そのものの歴史はあり、鎌倉後期には常滑焼の技術が伝わった頃から本格的に始められたといい、室町時代には茶道の隆盛とともに栄えたといいます。またこの辺りは焼物づくりに適した陶土が豊富で、陶工たちにとって理想郷といわれたともいいます。
また色んなものがこれまで時代の変遷によって創られてきたという事で、徳利や茶壺、神具・仏具、火鉢や糸取鍋、戦時中は陶製の手投げ弾や地雷なんかも造られていたといいます。実に多種多様でした。タヌキ専門だと勝手に思っていました。生産額でみて、信楽焼におけるタヌキの割合は実に3%しかないそうです、これも驚きでした。
そのタヌキの置物が最初に造られたのは明治時代以降で、1951(昭和26)年に天皇の行幸で日の丸を持ったタヌキを沢山並べて注目されたといいます。
今ではタヌキは「タをヌク」(他を抜く)という事で縁起物として喜ばれているそうです。すっかりトレードマークになっています。3%しかないですけど(笑)
▼ 駅前の通りはこんな感じで、建物も途切れがちでのどかな雰囲気でしたが、この時はゴールデンウィークの真っ最中で、この手前は大賑わいでした。
▼信楽駅の駅舎から段々アップの写真です。
看板が立っているように、この時は「駅前陶器市」という事で賑わっていました。
そして…
駅舎の暖簾には「たぬき」の大きな文字と
ズラリと並べられたタヌキの大群が!!!
駅舎自体は極めて小規模ですが、なにせこのタヌキのインパクトが凄い駅です。
駅舎の真横にも巨大な信楽焼タヌキが立っていました!!!
これだけタヌキまみれの駅、一見の価値ありと思います。