(2019年9月当時)
▼和泉市を初めて訪ねたのは、2007(平成19)年にJR信太山駅等を訪ねた時でしたが、駅付近を歩いただけだったので、和泉市の何かを訪ねたいと思ってやってきたのが12年後の2019(令和元)年秋の事でした。
温泉宿を探して、ここに行き着きました!
弥生の里温泉
しかしここは、今調べたら今年2023(令和5)年2月28日をもって閉館した、とありました。。
という事で、「在りし日の」姿としてお送りする事となりました。
よって、ここからの記事は「現存しないもののかつての姿」としてお読み取り頂きたいと思います。
▼右側に弥生の里温泉の宿があり、ここに宿泊させて頂きました。
JR信太山駅から歩いて1分の駅近で、旅人としてはありがたい好アクセスの宿泊施設でした。
和泉市には「弥生文化博物館」があり、弥生文化が眠る里とされ、そんなところからこの温泉名称もついたのだと思います。
▼弥生の里温泉の入口へ来ました。
日帰り温泉もあり、宿泊もできるタイプの施設でした。
二本の太くて丸い支柱が重厚感を醸し出していました。
現存しない為、過去形で綴っています。
▼ロビーの一角です。
この時は4階の部屋に泊まっていました。
「ケイエスビー」弥生の里温泉と冠されていますが、大阪で有名な企業「ケイエスビー」が運営していた施設でした。
20世紀の間は、この温泉ではありませんが、健康器具等の商品のCMが流れていました。
▼ここからしばらくはホテルの部屋内の様子です。
洋室でした。
日帰り温泉併設の宿って、和室よりも洋室の方か多いと感じます。
▼普通に洋室で、部屋はこんな感じでした。
▼本館は弥生館とされ、案内がありました。
大浴場が3Fにあり、夜は23時まででした。
そして朝風呂もありましたが、1時間半と短かったです。
▼弥生の里温泉とありますが「いやしの宿あすか」という名前がありました。
ボディケアのみも可でした。
▼弥生の里温泉の道挟んで向かいには「和泉市立 人権文化センター」がありました。
▼防災セーフティーロードというのがありました。
防災活動を支援する施設を整備した道路、ということで、ここでは先の人権文化センターが該当します。
▼12年ぶりに訪ねた信太山駅です。
この翌年に、反対側にも駅舎ができる事となり、ちょうどその工事をしているところでした。
なのでこの時はまだ、この建屋だけが駅舎でした。
2007年当時、駅舎の隣にあったパン屋さんはなくなっています。
宿を出て、信太山駅まで戻ってきましたが、ここからまた歩き続けることとなりました。そのあたりは次の記事にて。
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