三重県津市、津城跡を中心とした旅の記録です。
(2012年9月当時)
↓You Tubeへアップしました。
ブログでは、ダイジェストとしてお送りします。
▼津城跡へ行くにあたり、最寄り駅として津駅ではなく、近鉄で隣の「津新町」駅からアプローチしました。中心駅ではありませんが、なかなか大きな駅です。

▼津新町駅から北東方面へ1km弱で、津城跡の付近まできました。
津市役所と隣り合わせに位置しています。

▼右側が津市役所、左側が津リージョンプラザという、ホールや展示会場のある複合施設があるという、城跡の前はこんなロケーションでした。

▼津城跡へ。
お堀も見事ですが、特に石垣が目を惹く城跡です。
バラバラの大きさや形の石が組み合わさって整然とした石垣になっているのが実に見事で、見応えがあります。

▼津城跡の説明板です。
織田信長の弟・信包(のぶかね)の築城とされます。
信長の弟ですが、本能寺の変以降も長く生き、江戸時代の1614年まで存命でした。
当初は五層の立派な天守があったそうですが、関ヶ原の戦いで荒廃しましたが、江戸時代になってからは藤堂高虎が入り、 城下町として大改修が加えられました。

▼城跡敷地に入るや、見事な石垣がお出迎えです。
こんだけバラバラな石が積まれてよく崩れないな、と思わされる箇所が多々ありました。

▼ラフな石垣に絡みつくように、うねうねと伸びた木々の枝も見事でした。

▼お堀の水面に映える樹木が良い感じです 。

▼津城跡は「お城公園」の呼び名で、日本庭園としてつくられたスペースがあり、噴水が複数ありました。


▼津を城下町として大規模改修を行った英雄・藤堂高虎公の銅像がありました
黒田官兵衛・加藤清正とならぶ 「築城三名人」とされる人物で、今治城築城で実績をあげ、江戸城にも同様の方式を用いて、津城の築城にも腕を振るいました。
また、津藩は代々藤堂家が藩主を務めました。
藤堂高虎の説明板もありましたが、今治城、津城だけでなく、膳所城、伏見城、江戸城、篠山城、丹波亀山城、大阪城、二条城…と数々の築城を手掛けているすごい人物である事を改めて感じました。


▼丑寅櫓(うしとらやぐら)
の説明板がありました。
津城は、かつては天守のあった五層の立派なお城だったそうですが、廃城になって以降はしばらく廃れており、遺構は石垣と堀のみです。
1950年代から復興の動きが見られ、建てられたものはこの「丑寅櫓」でした。

▼という事で、津城の建物として象徴的な丑寅櫓の姿です。
1958(昭和33)年に復元されましたが、当時の姿とは無関係で、場所も違うところに建てられた「模擬櫓」で、こういう史実との乖離が、この城跡が観光客で賑わない理由のひとつかもしれません。
そして、この櫓は中に入ることはできません。


▼櫓は模擬ですが、石垣は遺構であり、その見事な石垣をあちこち見ては撮りました。
築城でもそうですが、この石垣もまた藤堂高虎公の功績によるところ大といいます。



▼立派なお城、
という感じの絵面ですが、天守ではなく櫓です。
櫓ですが石垣が高くて、立派な建造物感を引き出していました。


▼津城跡を出て「丸之内」といういかにも城郭な名前のアーケードに出くわしましたが、周りに何もなくて、アーケードだけが長々と続いていました。
しかしこの後、このアーケードのサイドには地銀である「百五銀行」の本部棟が立ち、12階建ての高層建築物のサイドのアーケードとなっています。


▼旧・塔世橋(とうせばし)高欄
という事で説明板がありました。
太平洋戦争中に津市にも空襲があり、この橋にもその戦災が残っています。
現在の橋は1992(平成4)年に架け替えられたもので、当時の傷跡を今の世にも残したいとの思いで、この部分は当時のまま残されています。


▼津の街を北へ、国道23号上を津駅方面へ歩いて行きます。
右側に見える「中日」のマークの茶色いビルは、個人的に津の街で真っ先に連想するものですね。

▼歩いているうちに出くわしたのは「四天王寺」です。
聖徳太子による創建といわれ、津市で最も古いお寺とされています。
ここは最初の入り口となる総門です。

▼四天王寺の山門です。
塔世山・四天王寺、この山門は指定有形重要文化財に指定されています。

▼その向こうにまだ門がありました。

▼四天王寺から歩く事10分、最後は津駅へ戻って、この旅は終わりました。

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