東京都府中市、JR分倍河原駅から府中本町駅への駅間歩き旅です。
(2011年5月当時)
▼分倍河原駅から府中本町駅まで1駅分歩いたわけですが、まずは分倍駅前の商店街から。
この時は快適に府中の街を歩くつもり…でした。
左手前にある「とん駒」というお店は、とんかつ屋さんですが1973(昭和48)年創業という老舗ですが、現在も営業しているそうです。

▼府中市のマンホールです。
市の鳥「ひばり」が2羽描かれたものでした。
透き通った空に真一文字に舞い上がるひばりは、誰もが「住みたくなる都市」を目指して進展を続ける府中市を象徴するものだそうです。

▼分倍河原駅前の広場スペースにて、構内タクシー乗り場がありましたが、そこはかえで通りの表示がありました。

鎌倉幕府打倒の為、進軍していた義貞が鎌倉幕府軍と合戦を交えたのがここ分倍河原だといい、分倍河原の戦いとよばれています。
義貞公というと、いかにも勇猛果敢のイメージですが、これがよく表れた像といえます。


▼再びかえで通りの表示と共に、各所への標識が出ていました。
府中市郷土の森というのは、あちこちで標識を見かけました。

▼弁慶坂
の説明版がありました。
近くの高安寺の井戸にある水を弁慶が汲んで硯の水にし大般若経を書経したと伝わります。

▼上の写真の弁慶坂の説明にあった高安寺の総門です。
ここから高安寺の写真が続きますが、曹洞宗のお寺で、多摩川三十四ヶ所観音霊場の33番札所であり、開基は室町幕府初代将軍の足利尊氏で、全国に建立した安国寺のひとつだといいます。

▼これも高安寺の参道の所ですが、六体の像が並んでいました。

▼参道には赤い幟がズラリと並んでいました。

▼高安寺の縁起として書かれた説明版です。
だいぶ掠れて読めなくなってきていましたが…。
戦国時代には一時期廃れていたものの、江戸期には復興したようです。

▼高安寺を出て、甲州街道を府中本町方面(東)へ。
雰囲気のある建物に出くわしました。番場屋という割烹料理店だそうで1970(昭和45)年創業という老舗です。

▼またまた雰囲気のある場所へ。
社名の表示や、庇の具合、窓の格子とか…コンクリート色の外壁とか…渋すぎました。

▼上の写真の向こう側の建物です。
これまた渋すぎました。
コンクリート色の外壁、壁から出たフック掛けのようなもの、庇の出具合、そして印象的な扉…

▼府中市役所最寄りの交差点(甲州街道と鎌倉街道の交差点)にある「大國魂(おおくにたま)神社御旅所」の門と塀です。
本体である「大國魂神社」は別の場所にあり、この時は訪問できませんでしたが、明治神宮、靖国神社などと並ぶ「東京五社」のひとつに数えられるすごい神社のようで、前記事の府中駅で触れた「くらやみ祭り」が例大祭になっています。
御旅所というのは、祭礼などの途中で神が巡幸の途中で、休憩/宿泊する場所を意味します。

▼という事で、御旅所の案内がありました。分倍河原駅からかなり府中本町駅へ近づいてきていて、青文字で⑤の所に位置しています。
「府中小唄ゆかりの地」とありますが、1929(昭和4)年にこの辺りで発表されたそうです。折からの新民謡ブームにのってか、青年団が吉祥寺在住だった野口雨情氏へ作詞を依頼し快諾を受け、作曲も中山晋平氏という「シャボン玉」「證誠寺の狸ばやし」などのゴールデンコンビの手によりつくられました。
現在では府中市民の誇りといえる音頭で、北島三郎さんが歌ったものがあり、祭りごとのある時は必ず流れ、府中駅の列車接近メロディーにも使われているといいます。

▼府中市庁とある府中市役所の建物です。といってもこれは今となっては旧庁舎となりました。
1959(昭和34)年建築という事でひょっとして建て替わってる?と思い調べると、2023(令和5)年より解体工事が行われ、8月には新庁舎「おもや」で業務が開始され、この旧庁舎も解体後は別館にあたる「はなれ」が建設され、2027(令和9)年に業務が開始されるようです。


などと巡ってきましたが、急にすごい雨が降ってきて、傘も何もなしで来たので、一気にずぶ濡れに。府中本町駅の近くまで来ていながら、どう行けば良いか分からくなっていて、なんとなくで走り回っていて、巧くつけずに遠回り、ずぶ濡れにさらに拍車がかかった、というものでした。旅というのは、終わりがよくないと台無しになり、こうして色々巡っていながら、思い出はラストのずぶ濡れしかほぼない感じでした…。
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