遡って振り返る、「生活と思い出と世の中と」。
1980年の1回目として、当時のニュース・事件等に自分の生活を絡めて思い出したものを綴っていきます。
当時は小学3~4年の年で、それほどニュースを覚えている訳ではなく、ただニュース番組はよく目にしていたので、覚えているものに限り書き連ねていきます。
●モスクワ五輪のボイコット
生まれて初めて、リアルタイムで認識した最初のオリンピックがこのモスクワ五輪でした。アニメ「小ぐまのミーシャ」など関連したものも盛り上がっていましたが…
しかし当時の開催国「ソ連」のアフガニスタン侵攻などによる影響で、東側諸国が軒並みボイコッとして出場を見合わせ、日本もこの集団ボイコットに乗る形になってしまいました。参加を目指して一緒運命練習してきた選手たちの無念そうな姿は印象的でした。
●ルービックキューブの大流行
突然、瞬間風速的に流行り出した六面体は、あっという間にブームが来て、みんながやり始めて…しかしみんながやめていくのも早かったものでした(笑)
六面全部揃えたことがある、と自慢してきた子もいました。
初めて触った時は憧れのものに触った嬉しさでいっぱいでした。
でもこれに限らず、飽きたものはいつの間にどこへ行ってしまったのか、ことごとく自分の手元からなくなっているのが今思えば不思議でした。
当時リアルでは3面揃えたぐらいが最高だったのですが、大人になってから買い直して…今はとても便利な世の中で、You Tubeで六面揃える方法の動画を見て、50歳をすぎてから生まれて初めて六面を揃える事ができました(笑)
自分は関西なので、小さい頃から漫才番組はよく見ていましたが、段々とその頻度が増えていき、明らかに漫才番組が増えている事を感じるようになりました。気がつけば「漫才ブーム」と呼ばれる大流行となっていました。
横山やすし・西川きよしの「やすきよ」や「ツービート」「B&B」を筆頭に「阪神巨人」「紳助竜介」「ザ・ぼんち」「コメディ№1」「青空球児・好児」「前田一休・写楽」などなど…
それまで見る事のなかった関東の漫才師の漫才も頻繁に見るようになり、秋には「笑ってる場合ですよ」という昼の帯番組がスタートし、これは完全に漫才ブームを反映したキャストで、以後2年間「笑っていいとも」がスタートするまでがブームの期間とされています。
翌年の「俺たちひょうきん族」のキャストやアニメ映画「じゃりン子チエ」の声の出演などは、この漫才ブームの反映といえます。
当時、学校のクラスであった「おたのしみ会」なんかでも、友達と漫才をやることになって、そのネタ合わせで友達と練習をした事もありました。
●「ライオン」の発足
これはこの年にこうなった、という事をリアルで知っていた話ではありませんが、昔は「8時だヨ!全員集合」のスポンサーとして「ライオン油脂」と「ライオン歯磨」が併記されていたのをよく覚えています。
いつの間にか、この併記がなくなったな…と思っていたら、この時に対等合併して「ライオン」になった訳ですね。
●ロッカッキーの発売
「♪つい、つい、ついつい、手が出るロッカッキ~」というフレーズが今でも口をついて出て来るほど記憶のあるスナック菓子で、当時デビューしたてのマッチこと近藤真彦さんがCMに出ていたのをよく覚えています。
●パンダ「ホアンホアン」の来日
前年の1979(昭和54)年に、日本では上野動物園にたった2頭だけいたジャイアントパンダのランランが亡くなり、日本にパンダがカンカンだけとなっていました。
という訳で日本へ送り込まれたホアンホアンは、希望の星のような存在でした。しかし数か月と経たないうちに残っていたカンカンが亡くなりました。
前年4月にテレビ朝日系でスタートした「ドラえもん」は一躍爆発的人気を得て国民的アニメとなり、早速に翌春には映画化されたという事です。
当時父親と一緒に映画館へ行って、見てきました。
この作品は単行本にも載っていて先に知っていましたが、うちは映画を見るという習慣が殆どなく、親と映画に行ったのはこれだけだったので、思い出深いものがあります。
前年まで巨人に在籍して、しょっちゆうTVで見ていた張本勲選手がこの年からロッテでプレーする事となり、40歳になる年でしたが、日本プロ野球界で誰一人達成した事のなかった通算3,000安打をホームランで記録し、ヘルメットを放り上げて満面の笑みで走り回っていたのを見ました。
●大平首相急死
この年春に衆議院が解散となり、その選挙戦の最中に現職の大平正芳首相が急死するというアクシデントが発生し、後任首相の人事にも追われ鈴木善幸氏が選出されましたが、子供心にこの時期の首相というのは、お爺さん然とした方が多かったなと感じました。当時だから良かったでしょうが、今なら無関心そうとか鈍感そうとか叩かれたのでは??とも思いました。
愛甲猛投手の横浜高校が全国優勝しましたが、「大ちゃんフィーバー」として早稲田実の荒木大輔投手が1年生にしてエースとして颯爽と登場し、愛甲投手に投げ負けるも決勝まで進んで大旋風を巻き起こしました。
これらの事も勿論記憶に刻まれていますが、瀬田工(滋賀) 20-5 浜松商(静岡)というものすごい試合も記憶にあります。
長崎県代表に瓊浦(けいほ)高校というのが出ていましたが、ルビないと読めないレベルでした。山梨県は日川高校で福岡県が田川高校と紛らわしかったです。
で、この甲子園大会は親と一緒に甲子園に唯一、観に行きました。8月15日、地元兵庫の滝川高校試合のある日でした。福井県の敦賀高校との対戦(「つるが」と読む事を覚えたのもこの大会で福井県代表になった時でした)で、観戦したスタンド席には福井県の新聞が置かれてあったのも新鮮でした。当時小4で都道府県というものを覚え始めた頃に、地元紙以外の新聞を初めて見た瞬間でした。
それと、この年から個人的に、高校野球の都道府県大会予選の勝利校名をノートに記して、ベストいくつになるか毎日書いてチェックする事を始めました。(80~84年くらいまで?)
たとえば20校出るとすれば、1回勝つとベスト16なので「16 興南」という感じで、更に勝つと「8 興南」となり、負けるとそのまま書き残し…という具合で、これをやってから地名に詳しくなり、後の旅にも活きたような気がします。
●王選手引退、長嶋監督解任
巨人ファンでTVを見てきた身としてはつらい出来事が立て続けに起き、長嶋監督の電撃解任もですが、やはり王貞治選手の引退が衝撃でした。
小学生には「物事の終わり」が一時代の終わりのようなもので「なんでもいつまでも続く」と勝手に思っていたので、このような「終わり」がなかなか受け入れられませんでした。
しかもシーズン30本もホームランを打って、あくまでレギュラーをやっていて衰えた感じがしなかったので余計でした。打率は確かに2割3分まで落ちていましたが、当時はまだ打率の概念を分かっていなかったので、このタイミングでの引退が不可解でした。
一方でひっそりと引退したのが、西武にいた野村克也捕手でした。しかし彼の引退もTVで見ました。45歳まで現役だった事が驚きでした。
●山口百恵引退、結婚
この年は本当にいろんな物事が終わりを告げ、本当に時代の境目にいたような感覚が、子供心にありました。
2年前の春にキャンディーズの解散がありましたが、これは結婚を伴うものではありませんでしたが、百恵さんは三浦友和さんとの結婚を公表し、その上での引退という事で当日の「11.19」の数字はハッキリと心に刻まれています。
●名古屋女子大生誘拐事件
あまり詳しくは理解できていませんでしたが、誘拐された方について大丈夫かな?と家族と話していた記憶があります。翌年残念な結果になった事を知りましたが…。
●ドリフ頂点の時代
♪カラスの勝手でしょ~ とか、ヒゲダンスとか早口言葉とか、またドリフ全員で出たCMで永谷園のふりかけ「味ぶし」など、ドリフに関する新たなギャグや商品がついて回り、この時期がドリフの絶頂期だと個人的には思っています。
その後は裏番組の台頭やメンバーの不祥事などあり徐々に人気に陰りが見えるようになる事を、なんとなく感じました。後から考えると余計に、この時期が絶頂期だった事を感じます。