神奈川県小田原市の旅第2弾です。
(2018年10月当時)
▼前回、小田原城址を訪ねて途中までのところでしたが、今回はこの常盤木門の別アングルから始めます。とにかく格好いいお城、である事を感じます。
🏰前回記事
▼同じ小田原城の公園スペースへ。
初めてここに行った1999(平成11)年には大きな「ゾウ」が一頭、寂し気に佇んでいましたが、その姿はありませんでした。
そのゾウは「ウメ子」といい1950(昭和50)年にタイからこの小田原城へやってきて長年飼育されてきて、2009(平成21)年に亡くなったといいます。
で、残っていたのが、右側にある大きな柵でした。
ゾウの印象が強すぎて、他に動物いたっけ?トリかな?と思いつつ、近づいていきました。
▼鳥ではなく、「サル」舎でした。
ピーク時は約70種類もの動物が飼育され「小田原動物園」として栄えていたといわれますが、小田原城が国指定史跡になる事によって、動物園を撤去する事になり、ゾウの死後は引取り先の決まらなかったこのサルだけが残っていたといい、そんな状況下でこの時訪ねた格好です。
これは2018年当時の姿ですが、その後2023(令和5)年末には、遂にこのサルたちも茨城県への譲渡が決まり、今年の初めにはサル舎の撤去もされたといいます。
ということで、これはそのサルたちの「在りし日」の姿となりました。
▼そんな在りし日のサルたちの姿を。
▼金網ばかりにピントが当たってしまい、中がうまく撮れなかった写真ばかりでしたが、エサのジャガイモ半切りみたいなのにサルが物色する姿です。
サルは特に、こういうのでボスとか格上とか下とか厳しい社会である事をここで見てても感じました。
▼前回記事でも触れていませんでしたが、素晴らしい天守です。
小田原城は国史跡であり、日本のお城の中でもとりわけ素晴らしい存在ですが、天守は国内に現存する12ヶ所「外」のものであり、明治初期に廃城となってほとんどの建造物が取り壊されています。
この天守は1960(昭和35)年に造られたものですが、当時の姿を再現したものではなく、街の復興シンボル的に造られたのかな、と感じました。
それでもやはり壮観ではあります。
▼小田原城だけで旅として十分、とも感じましたが、時間がありかつ小田原城は前回も訪ねているので、行った事のない所へも…という事で行きついたのがここでした。
天台宗 本源寺とありました。
元々法華宗のお寺であったようですが、1686年に天台宗へ改修されたといいます。
▼同じ境内に聖徳太子堂というのがありました。
▼本源寺の拝殿です。
赤い縁取りが随所にあって印象的でした。
▼再び街へ出てきました。
歩道部に屋根の付いた商店街の一角へ。
街灯の傍には「大工町」なる表記がありました。
古い街のようで、往時の写真を見る事ができました。
▼その大工町のアーケードを歩いていて、八百八商店というところに出くわしました。
昔ながらの純然たる八百屋さん!
▼神奈川県立小田原城内高等学校 建学100年記念碑
というのがありました。
1903(明治36)年に開学した、小田原高等小学校女子部補習科がその始まりで、1950(昭和25)年に小田原城内高校の名前となり、この碑は2003(平成15)年に100周年記念として設置されています。
そのすぐ後、2004(平成16)年に小田原高校に統合されており、消滅しています。
▼街を外れて海辺へやって来ました。
「御幸の浜」というのがありました。
1873(明治6)年に明治天皇と皇后が当地で地元漁師の地曳網をご覧になり、以後この地を「御幸の浜」と称されるようになったといいます。
▼御幸の浜へ出てみました。
特に史跡的な側面がある訳ではなく、夏は海水浴場としてオープンされるとの事で、普通に海水浴場でした。
小田原訪問3度目にして、初めて海を見る事ができて、改めて小田原に海がある事を認識した旅でもありました。
▼最後は、街中で見かけた1,000円ガチャガチャです。
当たったのは電卓でしたが、さして使いもしませんでした(笑)
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