遡って振り返る、「生活と思い出と世の中と」。少し空きましたが71回目は1983年の第4回です。
今回は、この年に見た再放送ドラマや、本放送のアニメやバラエティその他テレビ番組、そしてラジオ番組などについて触れていきます。
●ドラマ(再放送)
「西部警察」
…当時は「西部警察PARTⅡ」の本放送中でしたが、最初の無印「西部警察」の初めての再放送がされていました。
初期は本放送時見てなかったので、初めて見る作品も多々ありました。
「太陽にほえろ!」
…これまた沖雅也さんのスコッチ刑事登場編からの再放送でした。
その後スコッチの転勤を経てもまだ続き、ボン(宮内淳さん)単独編の短い期間の途中で唐突に終わってしまいました。
しかしその翌月に沖雅也さんが自殺してしまうとは…衝撃すぎました。
●アニメ
「愛してナイト」
…同時期やっていた「ときめきトゥナイト」と混同されがちですが、ミッチこと堀江美都子さんと佐々木功さんというアニメ界のプリンスとプリンセスのような二人が声優として恋人同士になる役柄で共演したアニメでした。
佐々木さんの演じたバンドマンの役柄が「加藤剛」ってマジかよ?と子供心に思いましたが、ふんわりリーゼントの金髪に先端だけ赤毛というすごい髪型のキャラでした。
「アルプス物語 わたしのアンネット」
…世界名作劇場の作品で日曜日に見ていましたが、従来の作品が健気に生きる幼い主人公、というのに対して、ナントも救いようのない恨みや憎悪に満ちた作品、の印象が強くありました。主人公自身が弟を崖に落とされる事故を誘発した友達を強く恨み続けるという、この枠の主人公にはありえないキャラだったので。
「伊賀野カバ丸」
…少女漫画タッチの忍者アニメでした。
高校に転校してくる忍者のカバ丸と同級生の麻衣が事あるごとにぶつかりながら、互いの思いは…?みたいな感じもありましたが、基本ギャグアニメかなと勝手に感じていました。カバ丸の食べる大量の「やきそば」がすごくうまそうでした。
OP・EDともシュガーが歌っていましたが、EDはちょっと儚げで、これ聴いて明日は金曜日か…と思って学校へ行くとして教科書やノートを鞄に詰め替えたりしてました。
後にジャパンアクションクラブ(JAC)のホープ3人組(真田広之さん、黒崎輝さん、高木淳也さん)を中心としたキャストで実写版映画も制作され、師匠である千葉真一さんも出演していました。映画では黒崎さんがカバ丸を演じ、三の線も必要なこの役柄で三人組の中では彼が最適だったように思います。
「キャッツ・アイ」
…美人三姉妹による怪盗のアニメで、北条司先生の出世作でした。
アニメはなんとなく時々目にした程度でしたが、杏里さんの歌う同名主題歌が大ヒットして歌番組でも披露されていました。
いわゆるアニソンとしてベストテンにランクインするヒットをした元祖のような曲だと思います。
「キン肉マン」
…あまり見ていませんでしたが、時々見た程度で、最初はプロレスのギャグアニメかなと思っていましたが、結構ガチなバトルものの印象を受けて興味が薄れたように記憶しています。
「パーマン」
…日曜朝9:30枠の藤子不二雄作品3作目として1979年「ドラえもん」1981年「忍者ハットリくん」と2年おきに変わっていましたが、この4月からスタートしました。月~土の帯番組15分枠で放送したものを、日曜日なりに30分枠として再放送的にやっていたといいますが、関西では帯番組はなく単に毎週日曜の朝番組としてだけ放送されていました。
元々「コロコロコミック」なんかで見ていたので知っていた作品で、遂にアニメ化されたか!とそんな感じでした。
EDのフレーズで[E:#x266A]君のクラスのいちばんうしろ いちばんうしろ パッパッパッパパーマンはそこにいる というものがあって、当時中学校で一番後ろの席になった時「おまえ、パーマンか?」と言われたものでした(笑)
「じゃりン子チエ」
…元祖・大阪弁アニメとして81年から放送が続きましたが、この年3月に終了しました。「最終回とはいうものの…」というタイトルで、継続を密かに期待していましたが、ここで終わり。夏休みに「じゃりン子チエ大会」として全編再放送された時はもうずっと見てました(笑)
個人的にマンガをあまり読みませんでしたが、これだけは高校生になっても読んでました。
●バラエティ/クイズ等
…スタートしたのは前年10月でしたが、個人的に見始めたのがこの年からでした。
風見慎吾さんの「僕笑っちゃいます」が流行り始めた頃でした。
これがコニタンか…とか、これがちなみショーか…とか思いながら見てました。
「ちなみに」って今では一般化してますが、この番組キッカケで言われるようになったのでは…?と思います。
佐藤B作さんもこの番組でブレイクしたといえます。名前だけは知ってましたが、それにしても「B作」ってなんだよ?と思いました。
佐藤栄作氏から来てると知っていても。
「欽ドン!良い子悪い子普通の子おまけの子」
…1981年に「欽ドン!良い子悪い子普通の子」としてスタートしていましたが、このタイトルでの最終年となった'83年は二代目「フツオ」の後藤正さんが引退し、「フッくん」「ツッくん」「オッくん」の3人で「フツオ」をやっていて、全員がずぶの素人でしたが、「はじめてだから」ってそういう感覚で見てました。
そして、10月から番組名に「おまけの子」を追加して内容をリニューアルして出演者が激増しました。
欽ちゃんの妻役にアクション女優として名高い志穂美悦子さんが起用されたのは驚きでした。この頃から山口良一さんのポジションが上がった?感が顕著で、この妻コントに良い・悪い・普通の姑の3役を演じ、「欽一」と呼ばせていました(笑)
研究レポートなどのコーナーで、山口さんが志穂美さんの師匠に当たる千葉真一さんのマネで「悦ちゃん!」とすごむシーンが笑えました。
先述の3人のフツオはオッくんこと境田晃一さんが選ばれ一本立ちし、「おまけの子」として遠藤由美子さんが起用されました。
そして先生コーナーか新設、良い先生役にあの柳葉敏郎さんが起用され、銀縁メガネで東北弁丸出しでまさか後年あんな風に時代を引っ張る役者になるとはその時全く思いませんでした。
この番組のエンディングはハガキの当選者発表で、今の時代ではありえない「○○県 ○○○○○さん」みたいな感じのテロップが流れてて、この時代はこれが普通でしたが、これを見ると「月曜も終わったな」と感じながら、次の火曜の支度をしていました。
…大橋巨泉さん司会のクイズ番組で、世界のいろんなものに対する値段を当てる番組です。レギュラー解答者が石坂浩二さん、ビートたけしさんと豪華で、ケント・ギルバートさんやチャック・ウィルソンさんなど外国人有識者枠もありました。
この番組でブレイクしたといっていい小倉智昭さんのハイテンションなリポートナレーションも大きな顔でした。
「たけしのお笑いサドンデス」
…素人がギャグを披露して、それを審査員がジャッジする番組で、当時たけしさんの冠番組は多くありましたが、視聴率の振るわないものも結構あり、この番組は9ヶ月で、その前後の番組は2、3ヶ月で終了する事もザラでした。
「タケちゃんの思わず笑ってしまいました」
…ビートたけしさんによるギャグコント集で特番形式で、年に数回放送されていました。
一番記憶にあるのは「太陽にほえろ!」のパロディーで、よくありがちな形式で一旦作って、たけしさんが解説者に扮してそれらのシーンの「クサイ」演技を色々と指摘し、その上で「リアリティーのあるものだとどうなるか」を再現コントで流していたもので、また出てくる役者陣が加納竜さんや荻島真一さん、小野進也さんなど普通に刑事ものとして通用するレベルの役者を揃えて、あえて対比ドラマを作っていたのが面白かったです。
…関口宏さんが司会の、世界各国の動物たちに因むクイズ番組で、後にエリマキトカゲやウーパールーパーなど話題になりました。
●ラジオ番組
「理恵と歌おう」
…「三菱ドライビングポップス」の冠のついた番組で、何代かの方がパーソナリティーを担当していて、たしかこの前年に中原理恵さんが担当されたと思いますが、この4月から聴き始めました。月~金は夕方17:34~数分の帯番組で、日曜には昼に30分枠で放送されていました。
中原理恵さんが「欽ドン」降板後しばらく見かけなくなってから、この番組でそのコミカルなトークを聴いていました。
…前年からスタートしたようですが、この年4月から聴き始めました。
10時スタートなので10 o'clockというタイトルですが、「イカテン」とよばれていました。あの「イカ天」が流行る何年も前で、自分の中でイカテンといえば、このラジオ番組の方です。
当時の世良公則さんは「太陽にほえろ!」出演中だったので、共演者がラジオにゲストで参加していて、そういう回はなぜかあまり聴けませんでしたが、神田正輝さんがゲストで登場し「兄貴」「いっちゃん」と呼び合ってた回を「録音」していました。
「サンデー・ダークダックス」
…ダークダックスがホストになって、マンスリーゲストを迎えてトークする番組で、1965年スタートのこの時既に18年を迎えていた長寿番組でしたが、彼らの年代とは全然下の若い歌手やグループとの交流を時々耳にしていました。