続々トラベルとかナントカ

日本全792市を訪問した駅や旅の記録です

生活と世の中と思い出と(1986年④)

遡って振り返る、「生活と思い出と世の中と」。59回目は1986(昭和61)年の第4回です。

前回は当時見たドラマの本放送編でしたが、当時見た再放送のドラマや当時聴いていたラジオについて綴っていきます。

高校に入学した事もあり、それまでの禁を解くように色々とむしろ再放送を中心に見ていました。

 

●ドラマ(再放送)

必殺仕掛人

 …当時、新聞で必殺シリーズが遂に再放送される!」との記事がありました。そのぐらい長い間、再放送がされてなかったという事だったと思います。(ローカル局では再放送されていましたが…)

 当時ハマりかけていた必殺シリーズの初作という事で、再放送を見たくてしかたなかったのですが、当時高校受験の身で、最後の追い込み時期もあり、なかなか見る事はできませんでした。
 やっと見れたのが最後の7,8回くらいでした。緒形拳さんは知っていましたが、おじさんのイメージがあって、こんな若々しい役は初めて見たのと、林与一さんの顔と名前がこの時に初めて一致しました(笑)
 

必殺仕置人

 …「必殺仕掛人」の再放送後に放送されました。

 ローカルの「サンテレビ」では前年から放送されていて、個人的に必殺シリーズで初めて見た作品で、これを見てシリーズのフォーマットが理解できました。

 山崎努さんの顔と名前が一致したのがこの作品でしたが、坊主頭だったのでそれまで何となく持っていたイメージとは少し違いました。
 藤田まことさんはCMなどでよく見ていましたが、演技をしている藤田さんを見たのもこの時が初めてでした。ちなみに必殺シリーズに初出演したのも本作からで、しかも藤田さん演じる中村主水は最初は主役ではなかったのは驚きでした。
 そして当時亡くなって日が浅い沖雅也さんが20歳とは思えない貫禄がありつつ、アクションもバリバリでカッコよかったです。
 また初期に主に密偵役で活躍した秋野太作さんは、この当時本名の「津坂匡章」名義でした。

「必殺仕事人」

 …それまで見ていた「仕掛人」「仕置人」は昭和40年代のシリーズ初期作でしたが、こちらは昭和54年の作品で、シリーズとしてかなり定着した時期のものでした。

 シリーズ最長の1年半以上のロングラン放送となりましたが、本放送時は前番組が超低視聴率にあえぎ、シリーズ打切り最終作としてつくったものが、思いがけない大人気作となりました。

 当時「水戸黄門」の格さんだった伊吹吾郎さんが仕事人をしていたなんて知りませんでした。三田村邦彦さんと中条きよしさんのコンビ、のイメージが強くて。そして伊吹さんは劇中で、侍役から坊主頭のおでん屋へと転職します。
 三田村邦彦さんの実質的なデビュー作で、彼の演じる「秀」の成長物語的な要素が特に初期には強く、彼が後に出演する太陽にほえろ!の新人刑事のように描かれていました。彼が危なっかしかった初期は波乱に富んで面白かったのですが、後期は人気路線にのった感じて少し個人的には面白みが薄れました。
 当時、「笑点」の座布団運びとして日が浅かった山田隆夫さんが密偵役で出ていたのが意外でした。
 「何でも屋の加代」として仕事人の顔となる鮎川いずみさんが、山田隆夫さん演じる半吉の殉職後に後任的に登場し、当初は口数の少ない美人の元締めと仕事人との橋渡しをする役柄でした。

 高校に入り部活するようになって再放送されましたが、帰りが遅くなり17時からの再放送がなかなか見れず、半分くらい見れたかなという感じでした。
 

「新・必殺仕事人」

 …「必殺仕事人」の大成功を受けて制作された続編で、ここから三田村さんと中条きよしさんの一時代を築いた黄金コンビが始まりました。

 それまでのシリーズは半年前後か1クールが定番で、人気を博した「新・必殺仕置人」だけ41回のロングランでしたが、仕事人が1年半も放送され、その後は藤田まことさんの中村主水が登場する「仕事人」シリーズと、この間をつなぐ1クール作品の繰り返しとなり、本作もシリーズ二番目に長い1年強の間放送されました。

 この作品から、殺しのBGMに前奏?として必殺仕掛人で使用していたものをアレンジするのが定番となり、仕事人では前奏+各主題歌のBGM版というフォーマットに定着しました。これが後にマンネリを生むのですが…

 また本作から「主水○○する」というサブタイトルも仕事人シリーズとしては定着していきます。

 

「必殺仕置屋稼業」

 …ローカルのサンテレビで放送された作品で、「必殺仕置人」の後に再放送され、それまで必殺って「必殺○○人」というタイトルしかないと思ていたのが、他にもいろいろある事を知った端緒になった作品でもありました。

 沖雅也さん演じる孤高の殺し屋「市松」がとにかくカッコいいと評価の高い作品ですが、この役柄がそのまま「太陽にほえろ!」で演じたスコッチ刑事に繋がるなという事を感じます。市松役を終えてから、スコッチ刑事になるまで8ヶ月ぐらいだったと思います。とにかくいつ解体してもおかしくない危なっかしい組織の中で、毎回殺しが行われていたその雰囲気が独特でした。

 昔よく関口宏さんと混同してしまった新克利(あたらし・かつとし)さんはホームドラマで気のいい兄ちゃん的な役柄のイメージがありましたが、ここではすごく豪快な破戒僧・印玄という役柄で、それまで見た役との大きなギャップを感じたものでした。
 最終回はこの印玄の壮絶な死と共に、それまで孤高の市松が「見事な最期だった」と仲間意識を感じさせる発言をし、ラストは捉えられた市松を中村主水が逃がして、逃げ延びた市松が主水から託されたおにぎりを噛むと、カキンと音がして、そこには小判が入っていたという粋なものでした。

 日曜日の昼に再放送していて、これが最も見やすかったのですが、平日夕方の再放送と金曜夜に本放送と、必殺シリーズは当時同時に3作TVで見れる状況でした。ビデオやDVDなどソフト化されていないこの時代に、とてもありがたいものでした。

助け人走る

 …上の「必殺仕置屋稼業」の後番組としてサンテレビで再放送されました。

 必殺っぽいなと思いつつ、タイトルが「必殺○○」ではないし、必殺シリーズなのか?しばらく分からないまま見ていました。

 とりあえずフォーマットが必殺シリーズのものだったので、一連のシリーズと思いましたが、「必殺」を真似た殺人事件が実際に起こり、番組タイトルに「必殺」を冠する事をしばらくやめていた、と知ったのはこれから何年も経ってからの事でした。

 この作品は殺し屋役に田村高廣さん、中谷一郎さんと40代以上のコンビが出ていて、アクション要素に寂しさを感じていましたが、途中から宮内洋さん演じる「島帰りの龍」が登場し、イキのいいアクションを見せてくれたので、その寂しさは解消されました。

噂の刑事トミーとマツ

 …本放送も見ていましたが、松崎しげるさんの「トミコー」の絶叫でトミーが豹変する以外ちゃんと見ていなかったのもあって、再放送でちゃんと見た格好でした。

 課長役は石立鉄男さんと思っていましたが、初期は林隆三さんだった事をこの時初めて知りました。志穂美悦子さんがトミーこと国広富之さんの姉役で出ていたのも、この再放送で初めて知りました。

 中三の受験追い込みで、親から見ないように言われていましたが、抵抗して見てました(笑) 翌日学校帰りに友達と昨日見た「トミマツ」について話すのも楽しみでした。

「俺たちの勲章」

 …1984(昭和59)年に朝日放送で再放送を初めて見ましたが、この時はサンテレビでの再放送でした。

 その後は毎日放送で再放送されたり、系列のよみうりテレビでは再放送を見たことがなく、不思議なくらいこれ以外の局でばかり再放送されていました。

 この時、すごく見たかったのですが、高校からの帰りに間に合わず1回しか見れず、1984年について触れる際に改めて書きます。

「トリプル捜査線」

 …あまり詳しい情報がいまだに載っていませんが、大和田伸也さんが主演で、一郎と二郎という双子の刑事を二役で演じていました。

 これ以外は川津祐介さんや長門勇さんがキャスト紹介に出ていたぐらいの記憶にあるぐらいで、もう一回見てみたいですが…

「特捜記者」

 …近藤正臣さんが主演した事件記者モノで、松山英太郎さん、谷啓さん、小野進也さんが出ていたかな、と…これも記憶の薄いドラマです。

江戸の牙

 …天知茂さん主演の隠密モノで、「江戸の牙参上!」と天知さんが啖呵を切るシーンが印象的で、音楽も時代劇にしては斬新な印象がありました。メンバーに坂上二郎さんや藤村俊二さんなどコメディリリーフ系が多かったのも印象的でした。

「俺たちの朝」

 …前年サンテレビで「俺たちの旅」が再放送され、約1年後に放送されました。

 勝野洋さんが「太陽にほえろ!」のテキサス刑事役で壮絶な殉職を遂げて卒業し、一本立ちした初主演作でした。

 なのでテキサス感丸出しの勝野さんによる青春ドラマでした。「俺たちの旅」から秋野太作さん、森川正太さんがスピンオフし、秋野さんはそれまで本名を平仮名にした「津坂まさあき」名義でしたが、本作の役名がそのまま芸名になりました。
 相棒に小倉一郎さん、「俺たちの旅」でいう田中健さんのオメダのポジションでしたが、ちょっと線が細くて、ヒロインに長谷直美さんが配されました。

 末期に、デビュー間もない柴田恭兵さんが複数回ゲスト出演していました。

西部警察

 …本放送から見ていましたが途中からだったので、初期はほとんど見れていませんでした。

 1983(昭和58)年に一度再放送していましたが、これが全然見れずに3年ぶりに再放送してくれて、ある程度は見れました。
 この年に買ってもらったラジカセで「録音」した回もありました(笑)

 初期と、後に人気定着した頃との作風が全然違っていて、初期は結構ラフでした。

非情のライセンス

 …天知茂さん主演の刑事ドラマで、彼の代表作となりましたが、サンテレビで再放送されたのはおそらく第二シリーズの前半のみだったと思います。天知さんはこの前年に急死されて、この再放送を見た時に顔と名前が初めて一致しました。

気まぐれ天使

 …石立鉄男さん主演のホームドラマでいわゆる「石立ドラマ」の後期作品です。
 この番組の途中ぐらいまでカーリーヘアの長髪だったように記憶しています。

 ヒロインが初期は大原麗子さんでしたが、いつの間にか酒井和歌子さんになっていて、後輩の「エノ」こと榎本は森田健作さんが演じていましたが、後輩に「エノ!」と叫ぶシーンは、「教師びんびん物語」で違うコンビにて再び目にする事となりました。
 酒井和歌子さんがバイクを颯爽と乗り回す若い美人部長を演じていたのが印象的でした。

「気まぐれ本格派」

 …「気まぐれ天使」の後番組で、一連の「石立ドラマ」の最終作になります。
 この時の石立さんは長髪ではなく、チリチリのカーリーヘアは残ったものの、大映ドラマで活躍する頃の髪型になりました。
 弟役に秋野太作さんが扮し、いずれも二枚目半のキャラがぶつかりハチャメチャなケンカをするシーンが多くありました。

▼1986年11月14日のTV欄(関西版)

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●ラジオ

「奈保子のときめきトワイライト」

 …「三菱ドライビングポップス」と冠される形の一連のラジオ番組で、何年間に一度パーソナリティーが代替わりしていくものですが、この年から河合奈保子さんが担当し、約4年間放送されました。
 それまで一貫して「○○(パーソナリティー)と歌おう」という番組タイトルでしたが、この番組からその定型が崩れました。

 前番組からの流れで、平日は10分のミニ番組で日曜日は「SUNDAY PARTY」として30分の拡大版が放送されていました。日曜は時々、公開録音もあってライブが放送されていたこともありました。

「理恵と歌おう」

 …「奈保子のときめきトワイライト」の前番組で、中原理恵さんが1982(昭和57)年から担当していて、1983(昭和58)年から聴き始めました。
 構成はやはり平日10分、日曜30分でした。バラエティで名をはせた中原理恵さんの軽妙なトークは毎回面白く、日々の楽しみで中学時代は特に聴いていました。高校に上がってから聴かなくなってしまいましたが、いつの間にか奈保子さんに代わっていました。

世良公則ちょっとイカした005」

 …「世良公則ちょっとイカした10 o'clock」という日曜朝10時からのラジオが1985(昭和60)年に深夜枠へ移行し、深夜0時05分からの放送でこのタイトルになりました。朝から深夜へ移行し、カラーもだいぶ変わってしまって、また世良さんの曲調がロック解禁といわんばかりに、それまでのシティポップス的な路線から急速にロック化したのもあったと思います。
 1年間放送され、この年に終了しました。

中村雅俊のまあまあホリデー」

 …「中村雅俊のサンデースケッチ」という中村雅俊さんパーサナリティーラジオの後番組で、この4月から1年間放送され、その後「中村雅俊のまかせてホリデー」へと再びタイトル変更となり、同じ時間枠で度々タイトルが変わっていました。この3つの中で最も印象の薄いタイトルでした、あまり聴いていなかったのかもしれません…