遡って振り返る、「生活と思い出と世の中と」。33回目は1993(平成5)年の第1回です。
長らく自民党の政権が続いていた「55年体制」に終止符が打たれ、自民党以外の政党が政権を奪取した年であり、また現在の天皇陛下が皇太子時代に御成婚され「ロイヤル・ウエディング」として話題になった年でもありました。今からもう30年も前になるのですね。
●ニュース
冒頭の通りですが、自民党55年体制の崩壊により、それまでの野党連立政権が誕生し、細川護熙首相の内閣が発足しました。
生まれてこの方ずっと、自民党政権しか知らない身としては新時代が到来したような気分でしたね…、あんな短命政権になるとは…この時は夢にも思いませんでしたが…。新党さきがけや新生党といった政党が誕生したのもこの年でした。
そして「ロイヤル・ウェディング」。時の皇太子さまのご成婚はいつか?と話題になっていましたが、決まるや祝福ムードに包まれた日本がそこにありました。
新幹線の「のぞみ」が運行開始されました。それまで東海道・山陽新幹線は「ひかり」「こだま」だけでしたが、のぞみはやはり早いなと数年が感じる事となりました。この当時はあまり新幹線に乗っていなかったので分かりませんでしたが。
北海道南西沖地震が発生、奥尻島で多くの死者が発生するという痛ましい事件もありました。
●仕事
「仕事」というカテゴリでこの文を書くのは、この回が最後です。
この年に大学を卒業して、学生から新社会人になったので、まさに社会人一年生、就職した年でした。
3/30に実家へ戻ってきて、4/1からいよいよ働き出す慌ただしさ、2日間の集合研修を経て、4/3から配属先へと散っていきました。
毎日覚える事ばかりで、社員として働くという事が初めてで、日々慣れずにしんどかったですね。
店舗勤務だったので土日の休みがなく、平日の連休が楽しみでしたが、これもあっという間に過ぎていきました。
ごくたまに3連休をゲットできた時は嬉しかったものでした。なにせGWも盆も何もなかったので。
夏ころまでなれない日々でしたが、8月に後から人が入ってきた時に、一番下っ端は変わらずながらも少し慣れてきた感がありました。それからでしょうか、社会人としての生活リズムに馴染んできて、仕事とプライベートの使い分けとか、分かるようになってきました。
●学生生活
仕事が4月から始まったなら、学生生活は3月に「なんとか」終わりました。
「なんとか」と書いたのは、、すんなり4年間で卒業できたわけではなかったからです。
2月末に大学の学生課から電話があり、「後期の一般教養試験が不可になった」「指導教授を訪ねて追試を受けさせてもらえ」との事でした、この時の「凍りつき具合」は半端ありませんでした。ヤバイヤバイ、もうそれしかありませんでした…
「このままでは4年で卒業できない…」
1年次に一般教養の単位を落としてしまい、学年が上がってから一般教養を受ける事を避けてきて、4年次に巻き返すつもりでしたがやはり出れずに試験も失敗、恐れていたものを蓋をしてきていました。。がやはり隠し切れず、無情にも「通告」されました。
それでも「チャンス」はもらったので、それこそここでやっと「本気」になりました。指導教授経由で、教科の教授をお訪ねし、そこで出されたお題を丸暗記して、「再試」に挑みました。ここでやっと合格し逆転で「単位取得」となり、無事に4年で卒業できることとなりましたが、それまでの何日間かは「地獄」でした。卒論出した後にこんな事があるとは…というところで。
年明けは、初めて年末年始に親元へ帰省しませんでした。「卒論」の追い上げがあって、のんびりする間がなかったので。正月も卒論を書いていました。多少バイクで出かけて気晴らし程度の事はしていましたが、卒論終わるまで何ヶ月も髪を伸ばし続けたり、「卒論ありき」の生活でした。
卒論提出はギリギリまでかかりましたが、終了間際はいろんな事で気持ちがギリギリになり、わーきゃー喚きながら書いていた、と言っても過言ではないレベルでした。ちょっともう精神的にもヤバかったです。
卒論発表はとても寒い日で、最高でも氷点下だったかな、という日でした。その後の謝恩会とか、色々と学生生活最後のイベントごとが続きました。
卒業式は後輩たちが盛り上げてくれて、思い出深いものとなりましたね。
その後ギリギリまで部屋じまいができず、住み慣れた街を離れるのが嫌で、ぐずりながら荷造りを開始、なんとか3/29くらいまでにはまとめる事ができましたが、がらんとした部屋にすごく寂しさを感じていした。喜怒哀楽いっぱい感じた「濃い」4年間だったので、終わらせたくなくて。
●プライベート
仕事の項で書きましたが、来てはあっという間に休日が過ぎた感じでした。
最初は常に開店前に出勤していましたが、シフト制になり、9:15くらいに出て9:30に入るとかそんな感じで出勤するようになってから、幾分楽になりました。晩は閉店19時で決まっていたし、早番だと18:30に帰れたので、遅くまで働く事がなく、そういう意味でもリズムをつかみやすかったと思います。
学生生活への恋しさが強くて、月に一度くらいは学生時代過ごした街へ出かけて(電車で4時間!)、キャンパスに入って留年した友達と遊んだり、出くわした後輩と出会って楽しんだりしてました。夜中は後輩のところでギターの弾き語りに合わせて歌ったり…今なら絶対できなそうですが、そういう時代でした…
一方で、金がなかった為、これまで楽しめなかった「旅行」を楽しむこともできました。
泊りはありませんでしたが、滋賀県や岐阜県に、和歌山県にも初めて行きました。兵庫から日帰りで、というささやかな旅をしてました。観光を楽しむというより、未踏の「県」や「街」に足を踏み入れる事が目的だった気がします。
あとは、「ワープロ」を初めて買いました。卒論でワープロは使っていましたが、先輩からの借り物で、自分のものとしては社会人になってやっと、10万円近く出して買いました。当時はPCなどないので、ワープロを持ってるかどうかぐらいでした。そういう感じのステータスとしては。そのワープロを使って学生時代の後輩などに手紙を出したりとかしていました。
次の記事では当時の流行や見たもの等TVメディア関連を中心に綴ります。