遡って振り返る「生活と思い出と世の中と」。30回目は1995(平成7)年の第1弾です。
阪神大震災に地下鉄サリン事件…世の中が震え上がるような出来事が立て続けに起こった、そんな印象の強い年でした。
●ニュース
やはりなんといっても阪神大震災でした。
兵庫県に住む身としては切っても切れない事件で、それまでの24年と少しの人生で感じた事のなかった大きな揺れは、揺れというよりは敵機が攻め込んできたのかというぐらいの衝撃でした。朝の5時46分というまだ起きていなかった時刻もあって、その瞬間は余計にそう感じました。半分寝ぼけていたので。
最初は被害状況がまるで掴めませんでしたが、時間が経つごとにその凄惨な状況が如実になり、自宅の全壊・半壊などもあり、自分は幸いな事に阪神地方ではなかったので、最悪の事態こそ免れましたが、神戸市周辺の方は大変でした。JRも須磨駅ぐらいで寸断されてて、大阪から来れない為、北上して山陰線経由で神戸から大阪へ、通常の何倍もの距離と時間をかけて行き来していた時期もありました。
また兵庫県在住の事もあり、他県の旧知の友人より心配されていたのもありました。久々に話した相手とは5時間も話したり…
そして地下鉄サリン事件…、ドラマでつくったような事件が現実のものとして起こった…ものすごい事件でした。まさに大規模テロ…。1999年や2000年に世界が滅ぶ、とかいろんな説がありましたが、一番危なかったのは、この年だと思います。
横山弁護士やああいえば上祐とか…そして村井氏の殺害シーンが大勢のマスコミの詰めかけるテレビカメラの沢山あった中で映し出されていたの衝撃でした。日本転覆のような、特撮もののような悪事が現実に行われていた事が本当に衝撃でした。
Window95の発売は、パソコンというものをマニアの持ち物から一気に庶民の持ち物へと変えていきました。
それまではNECのPC-**01MarkⅡやらMSXパソコンやら…という時代でしたので。。それでもまだPCを持っている人の人口はそんなになくて、身の回りで持っていた人もこの時期ではまだ少なかったです。
●仕事
最初の会社に入って3年目、25歳になる年でした。
職場の近くに引っ越した翌年で、歩き通勤していた頃でしたが、11月20日をもって転勤になり、この会社では最後の勤務地へ赴任する事となりました。それまでは職場のガラスが派手に割れたり、シャッターが壊れて下りずに帰れなくなったり、従業員同士が喧嘩して夜まで言い合いしてたり、客の家まで商品を動かしに来いと言われて行ったり…まぁ色んな事がありました。。
阪神大震災の日も出勤しましたが、ほとんどお客さんは来ませんでした…1日に10万も売れなかったし、この店で勤めていて最も売り上げの少ない暇な日だったと思います。
●旅行
初北陸はこの年でした。福井、富山、石川…この年にすべて行きました。平日休みでしたが、最初の会社での4年間で最も旅行した年だと思います。金沢は兼六園に行って、ちょっと百万石の街を楽しみました。富山か、高岡か忘れましたが、駅の待合エリアで休憩していたら新聞社がインタビューに来たこともありました、ハイジャックがあったか何かで…。
初東北もこの年で25歳の誕生日という記念すべき日に、東北地方に生まれて初めて足を下ろしました。
それは山形県酒田市でした。酒田駅から庄内空港行きのバスに乗って庄内空港から帰ってきて、これは全くの予定外でしたが、これが生まれて初めて乗った飛行機でした。
←1995年のJR酒田駅
平日休みの身でもあったので、母校の卒業式を見に行き、2つ下の後輩の卒業を見送ってきました。
●ライブ
何回も下見として最寄駅から試しに会場へ行ったりするくらい、楽しみでした。
生まれて初めての永ちゃんのライブは球場でした。裸の上から革ジャン来た人とか「カッコから入る」人が沢山いましたね。そういう自分もリーゼントにして行きましたが(笑) オーロラビジョンに米粒ぐらいな大きさの永ちゃんしか見えませんでしたが、やはりライブの参加は何倍もシビれました。YAZAWAタオル5000円で買ったりしましたし。
今回はまず、これぐらいにして続きを書いていきます。