遡って振り返る、「生活と思い出と世の中と」。24回目は1998(平成10)年です。
この年は個人的にターニングポイントになる年で28歳になる年でした。
世間的には長野オリンピックが開催され、26年ぶりの日本でのオリンピックに湧き上がりました。
●仕事
この年は特に後半が激動でした。
この前年11月初めからアルバイトを始め、再就職の為の「ならし」として規則正しい生活へ修正していました。
3月くらいから再就職活動を本格的に始め、バイトしながら時々企業の面接に行っては落ちる…を繰り返していました。
そんな中7月某日ある企業の面接を受けたら、その場で「すぐ来れるか?」となり、快く返事し、8ヶ月お世話になったバイト先へ辞める意思を伝えました。ここでも何もなかったわけではなく、4月頃から現場から事務作業へ回されて計算して書類をまとめたりしてて、元々「ものづくり」系の作業で入ったバイトでしたが、社長が他に適性があると思ってくれたのでしょう。そのうちに「正社員にならないか?20万くらいは出せるで」と来ました。それは有り難い話でしたが、今は他方面で再就職活動しているんで、と正直に言ってバイトを続けさせてもらいました。
すぐ来てくれ、と言われた会社へ7月末に初出勤。あさ7:30~でした。1年4ヶ月ぶりの正社員!と張り切っていましたが…。
すぐ来てくれ、という会社ほど「ヤバい」と気づくべきでした。最初はセールストークの勉強とかしていましたが、程なくノルマノルマで怒声が飛んだり、客宅行ったらピンポン鳴らしたらすぐ突破や、とか聞こえてきて、いわゆるDQN(ドキュン)会社でした。今でいうブラックもブラック。毎週のように求人が載っていて、すぐに来いというのも無理ないな…というそんな会社でした。パシリみたいなこともしょっちゅうしましたし、ヤ○ザみたいな怒声を副部長とやらが飛ばして「分かってのんかお前ら、オー?」みたいな感じでした。朝と帰りの挨拶は所長に「ざす!」と大声で言わないと帰れず、トサカみたいな?リーゼントヘアの所長が「おつかれさま」といえばやっと帰れるみたいな…朝7:30に来て、晩11:00すぎ終電の心配しながらの日々でした。
これは無理…、、と思って10日ほどで辞めました。朝電話して胃炎だと申告して(そんな朝に病院やってない・笑)、所長が「診断書送ってくれ」と言い、診断書の代わりに退職の旨手紙に書いて出し、以来ドロンしました。その会社はもうありません。その10年くらい後に行政処分を食らって、以後名前を聞く事はなくなりました…。客宅へもしつこく居座り…とかなり悪評まみれだったようで。
再び、前年10月以来10ヶ月ぶりの無職に逆戻りでした。その頃には生活資金はかなり底をつきかけ、一刻も早く仕事を…という事で応募しまくりましたがどれも通らず、バイトでもいい、と応募してもこれすらなかなか通らず…、ようやく通過したのが宅配荷物の夜勤積み込みバイトでした。28歳にして社会人になって初の夜勤をしました。1日でガタガタになって…宅配荷物をトラックからおろして、場所別にレーン分けしますが体力が全然持たず、小荷物専用に回され、それでもガタガタになって帰ってきて、ここで辞めたかったですが、2日は働かないと給料が出ないので、ナントカ2日働いて辞めました。
またまた無職に…、10/20頃の事で、その後すぐハローワークへ行って別な仕事に応募、派遣社員でした。派遣先へ行ってそこで面接し、後日ナントカ通してもらえました。その派遣会社へ入社し、派遣先で就業する形で。この派遣先こそが今勤めている会社の前身で、紆余曲折ありつつも今日まで働かせて頂けています。
この時持ち金が1万円を切り、幸い5万強の家賃は振込済でしたが、毎日晩は残った米だけみたいな生活で、いよいよダメなら最初だけ会社から前借も…??と考えたほどでした。時給1,300円の生活でしたが、やはり保険と厚生年金を会社が折半してくれるだけで大助かりで、バイト生活の頃はほぼ増えなかった持ち金がちゃんと貯まるようになっていきました。もっとも、この年内ではほんの数万の貯金になっただけでしたが、生活資金0の破産寸前のところだったので、本当にギリギリのところで救われました。これが自分の社会人生活で最も貧乏だった時代でした。
とにかく今いる世界で仕事を始めて、覚える事は多かったですけど「ここなら大丈夫」という感じでやっと年末に安心して働けたのを覚えています。すごくいい感じで丁寧にイチから色々教えてもらえました。
●ニュース
やはり冒頭の長野五輪がまずありました。
スキージャンプの原田選手の時の実況「高くて、たかくてたかくて…」というのがすごい印象的でした。
衝撃だったのは和歌山の「毒入りカレー事件」でした。ヒ素を混入させて4人死亡63人が中毒症状となり、以後各地でも続発したという怖い事件がありました。必ず模倣犯というものは現れますね。
金融破綻や政治汚職事件も多い年でした。新井将敬氏の自殺など。
郵便番号の7ケタ化がこの年から始まりました。それまで5ケタで慣れ親しんでいたのですごく不思議な感じでした。
●訃報
景山民夫さん …放送作家ながらメディアにも積極的に出演。出火により死去
石ノ森章太郎さん …「仮面ライダー」「HOTEL」はじめ様々な作品を世に送り出した漫画家。
新井将敬さん …国会議員として活躍も金融スキャンダルの波にもまれ死去
剣晃 …大相撲元小結。原因不明の奇病に侵され治療法もなく、現役中に30歳で死亡
稲場義男さん …「ザ・ガードマン」のレギュラーの一人。その後は主にお偉方の役どころで多数出演。
大泉滉さん …長めの髪と伸びたヒゲがトレードマークで、ユニークなコメディリリーフとして活躍した俳優。
hideさん …X-JAPANで活躍も32歳で謎の自殺。
宇野宗佑さん …1989年竹下内閣総辞職を受けて、平成初の首相になった人物も在任期間は短命に終わった。
牧冬吉さん …「仮面の忍者赤影」などで活躍し、コメディリリーフから小悪党まで多彩に演じた俳優。
村山実さん …元阪神のエースとしてザトペック投法で有名になり、兼任監督も務め、引退後平成になった時も監督を務めていた。
黒澤明さん …「世界のクロサワ」ともいわれる名監督。死去の際には号外が配られた。
秋山武史さん …石原プロ所属の俳優として、「あぶない刑事」などにレギュラー出演するも45歳の早世。
淀川長治さん …黒縁メガネで「サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ」のフレーズが有名な映画評論家。
中山昭二さん …「ウルトラセブン」のキリヤマ隊長、「特別機動捜査隊」でも主任として活躍、時代劇悪役でも存在感あった俳優。
森乃福郎さん …関西でお昼のワイドショーを担当していた噺家。「日本のアランドロン」と自称していた。
何故か昔ほど、色々と語る量があって、長くなりすぎるのでここで一旦切ります。
次は1998年その②としてお送りします。