遡って振り返る「生活と思い出と世の中と」。20回目は2001(平成13)年です。
21世紀最初の年で、ロイヤルベビー誕生もあれば、痛ましい事件・事故も少なからずで、波乱含みの21世紀幕開けとなりました。
●仕事
派遣社員として働いていた真っ只中で、そんな中で新システムに関わりながら時々出張にも行かせてもらったりしました。
当時31歳になる年でしたが、30歳の時点で自職場にようやく年下が入ってきたという、どんな年齢層なんだという感じですが、37歳ぐらいの時もこんな状況がありました(笑)
会社の命で、東京まで展示会を見に行ってきました。「ちょっと行ってこいや」ぐらい感じで、緩かったなと思いますが、今の時代なかなかそんな事の出来る状況じゃなくて、世知辛い世の中になった事をつくづく感じます。
●ニュース
小泉内閣が誕生し、その後長期政権を維持する事となります。「構造改革」「痛みを伴う」…よく聞いた言葉でしたね。
皇太子妃(当時)の雅子さまが女児を出産され「ロイヤルベビー」として話題になり、急遽特番になったりして、その時見ていたドラマが急に特番に差し変わったりしていました。今の愛子さまですね。
大阪府池田市の小学校襲撃事件はこの年でした。男が学校へ乱入して切りつけ、8人の児童が亡くなり、教職員含め15人が重軽傷…あまりにも痛ましすぎる事件でした。小学校は確かに容易に入れて、力の弱い小学生を襲う事など簡単にできるといえばできますが、「そんな事するか?」って感じでしたね。それから学校の門の警戒は厳重になり、校門付近をウロウロしてる者はいないかチェックされたり…、、学校行って勉強してて襲われるなんて微塵も思わないですよね…。
21世紀最初の「市」として、田無市と保谷市が合併して「西東京市」となりました。ちょうど、その年の8月西東京市になったばかりの田無へ行ったのを覚えています。ちなみに「さいたま市」もこの年の誕生です。
▼当時の田無駅
神戸市営地下鉄の「海岸線」が開業しました。1997(平成9)年頃、神戸へ通勤していた頃に、この路線の工事で地下鉄の走る地上にあたる部分もかなり道路規制がされていたのを思い出します。結局は開通を見ないままそこでの勤務が終了し、開通後しばらくしてからようやく地下鉄にも乗りました。
その神戸市の隣明石市で、7月に花火大会の見物客が朝霧駅の歩道橋で将棋倒しになり、11名死亡という痛ましい事故が起きました。
そしてまたTVを見ていて衝撃的だったのが「アメリカ同時多発テロ」でした。まさかビルに航空機が突っ込むなんて思いもしないし、こうして書いていても実に痛ましい事故ばかり起こった年だという事を改めて感じます。
●訃報
4代目桂三木助さん …落語界のシティボーイ的存在も若くして自死
久和ひとみさん …女性キャスターとしてニュース番組で活躍しながら癌により40歳の早世
花沢徳衛さん …江戸っ子気質のべらんめえ口調の似合う、堅物の頑固おやじ役が似合う名脇役
三波春夫さん …「お客様は神様です」の演歌歌手。枠にとらわれない様々な音楽ジャンルへも挑戦。
河島英五さん …独特のゴツい雰囲気を持ったフォーク歌手。「酒と泪と男と女」「野風増」などが有名。
小島三児さん …トリオスカイラインでコメディアンとして活躍後、飄々としたコメディリリーフ的な役者へ
蔦文也さん …やまびこ打線で全国を席捲した徳島・池田高校を率いた名将
河本敏夫さん …中曾根康弘氏と自民党総裁の座を争った政治家。
古今亭志ん朝さん …タレント的活動もこなした落語家。「新・必殺からくり人」では高座で息絶える殺し屋役。
左幸子さん …陰のある女性が似合う女優。「赤い絆」で山口百恵さんの真の母役も。
杉浦忠さん …シーズン38勝を挙げた南海の大エース。南海・ダイエー監督も。遠征先で急死。
水谷則博さん …ロッテの先発左腕投手として通算100勝を達成。51歳で急死。
三代目江戸家猫八さん …物真似師として活躍しながら、「鬼平犯科帳」などで味のある俳優としても活躍。
南原宏治さん …アクの強い、存在感のある悪役俳優として、刑事ドラマや時代劇などで活躍。
●プロ野球
巨人の長嶋監督がこの年限りで勇退、原ヘッドコーチが監督に昇格し、阪神ではの野村克也監督から、中日の監督を退任したばかりの星野仙一氏が阪神新監督に就任するなど、監督人事にも話題が集まる年でした。
ペナントはセ・リーグがヤクルト、パ・リーグは近鉄がそれぞれ優勝しました。近鉄は12年ぶりにして最後の優勝となりました。
日本シリーズはヤクルトが制して日本一になりましたが、若松監督が優勝に対して「おめでとうございます!」と挨拶し観客を沸かせました。
新人王はセ・リーグが阪神/赤星憲広選手で、25歳でのデビューですが足を中心に売り込み見事新人にして盗塁王となりました。パ・リーグはオリックス/大久保勝信投手で1年目から抑えで活躍、彼もまた25歳になる年でのデビューでした。
西武に移籍していた西崎幸広投手が引退、日本ハム時代は新人から「トレンディーエース」として活躍していました。また中日の今中慎二投手も引退、早くから頭角を現し大活躍しましたが、故障などで長く続かず、太く短い野球人生でした。
●大相撲
相撲史に残るともいわれる貴乃花の最後の優勝はこの年で、その後異例の7場所連続休場となりますが、その直前に武蔵丸に敗れて相星決戦となり、それも明らかに状態の悪い中で「鬼の形相」で武蔵丸に勝ち見事優勝しました。
賜杯を受取る時に小泉純一郎首相からの「痛みに耐えてよく頑張った!感動した!」のシーンは生で見ていましたが、インパクトは絶大でした。別な意味で痛みに耐えるのは御免だという一部国民の声もありましたが…。
引退力士としてはまず横綱・曙です。いつの間にか引退してた、という感じですが、むしろ1998(平成10)~1999(平成11)年頃に休場続きだった頃の方が危機的で、前年2000(平成12)年は全場所勝ち越しで休場なしだったので、明けて1月の場所で休場し突然の引退には驚きました、というより少し後に「引退してたの?」って感じで驚いたのですが、両ひざが相当悪かったようです。この年ではないもののその後、貴乃花、武蔵丸と相次いで引退し、時代が変わっていく事を感じました。
他の引退力士は敷島、智乃花といったところでした。智乃花は教職を捨てて力士になったという変わり種で、個性的な業師として土俵を沸かせました。
●旅行
盆に1年半ぶりに関東へ行きましたが、前回実現できなかった川崎市の「昔住んでいたマンション」へ。25年ぶりにようやく探し当てました。まだネットも乏しく、情報量も乏しかった中で探してて、後で親にサプライズで見せたりしてました。
3~5歳くらいまで住んでた場所で、建物自体ほとんど変わってなくて逆ビックリで、周りはそれなりに変わっていたものの面影は残っていて、幼少時の朧げな記憶なりになぞる事ができました。
靖国神社にもこの年初めて行きました、それも8/15に。本当にただの興味本位でしたが。
GWには2年連続で沖縄へ、初沖縄だった1997(平成9)年以来の沖縄本島へ。前回は南部の糸満や豊見城などへ行っていましたが、この時は名護など北部へ行きました。名護市役所の建物が立派すぎて、今まで見た中でもここ以上にインパクトのあった市役所はありません。今帰仁(なきじん)城跡なども行きました、日本版「万里の長城」のような。
派遣社員身分でお金もなかったので、そんなにいつでもあちこち行ける状態に無く、お盆とかGWとか結構限られていました。
さて、次からは20世紀の年へ遡っていきます。