続々トラベルとかナントカ

日本全792市を訪問した駅や旅の記録です

生活と思い出と世の中と(2002年)

遡って振り返る「生活と思い出と世の中と」。20回目は2002(平成14)年です。

 

今からもう20年も前になる事に驚きですが、日韓共同開催のワールドカップでサッカーに沸きました。

ノーベル賞の受賞が複数あり、これも明るい話題として挙がりました。個人的に32歳になる年、楽しい事も沢山ありました。

 

●仕事

派遣社員身分で働いていた真っ最中で、局面的には2000年から2004年くらいまでほぼ一緒でした。

会社の飲み会が盛んだった覚えがあり、またそれを良しとした時代でもありました。

昼休みに若い子らとバドミントンしたりで元気に過ごしてて、仕事的に楽しい時期でもありました。

 

●ニュース

やはり日韓共催のワールドカップですね。基本サッカーに興味なく、選手もあまり知らなかったのですが、この時は結構TVで見る事により覚えて、一時的にサッカーに親しみのモテた時期でもありました。

それまでというと、時差もあってリアルタイムで見る事も稀で、日本は大体予選敗退してたのでまず見る事もありませんでした。そこへもってきて、この年はベスト16までいった訳で、全体的なサッカー熱の底上げになったと思います。

ブラジルがやはり強くて、ロナウドリバウドロナウジーニョ、イギリスはベッカム、ドイツのGKカーンなど色んな選手がTVに出てきたものでした。

日朝首脳会談が開催され、拉致被害者が帰ってきたのも印象的でした。

ノーベル賞小柴昌俊氏と田中耕一氏の受賞も印象的でしたが、田中氏がホントに庶民という感じでした。

アゴヒゲアザラシ多摩川の「タマちゃん」の話題もこの年でした。

東北新幹線で、盛岡から八戸へと延伸され、青森県に初めて新幹線が通るようになりました。

 

●訃報

北の洋昇さん …元関脇・北の洋、緒方昇氏として大相撲解説をされていた

峰恵研さん …「サザエさん」の隣人「浜さん」の声優。仮面ライダーの怪人役でも声優として

はせさん治さん …「魔女っ子メグちゃん」のチョウさん、「一休さん」の秀念さんなど、独特の声の脇役キャラ

5代目柳家小さんさん …丸顔の親しみやすい落語家で、CMでも多く活躍

伊藤俊人さん …「古畑任三郎」などの脇役で活躍も40歳の早世

村田英雄さん …演歌界の大御所。足を切断したりしながらも壮絶な人生。

室田日出男さん …東映ピラニア軍団から世に出て役柄を広げた一人。「野獣死すべし」の刑事、「RUN」でもクセものの刑事役

山本直純さん …作曲家。大河ドラマ武田信玄」の音楽、「戸締り用心火の用心」のCMにも登場

伊藤一雄さん …パンチョ伊藤氏として、長年プロ野球ドラフト会議で独特の選手名読み上げを

戸川京子さん …戸川純さんの妹、子役から活躍を続けてきた

武上四郎さん …ヤクルトの選手にして監督も務めた「ケンカ四郎」

笹沢佐保さん …「木枯し紋次郎」などで有名な作家

范文雀さん …ハーフ系の役柄を得意とした女優。「Gメン'75」末期の賀川陽子刑事役など。

 

プロ野球

巨人は長嶋監督の勇退に伴って、原監督が初めて就任したのがこの年でした。阪神は野村監督から星野監督へという事で、監督人事で話題になった年でもありました。

阪神星野伸之投手が引退、オリックスから請われて阪神へ来ましたが、阪神では思うような活躍ができず、通算200勝ならずに引退となりました。横浜・野村弘樹投手も引退、まだまだ早かったですが故障で後半は厳しいものがありました。石井浩郎選手も最後は横浜でユニフォームを脱ぎました。

ロッテで首位打者を獲った平井光親選手や、近鉄の渋い控え捕手で活躍した古久保健二捕手も引退しました。

ヤクルトではブンブン丸のニックネームで主力として務めた池山貴寛選手が引退、最後は腰の痛みが相当酷かったようでした。

中日へ出戻った大豊泰昭選手も引退、その後51歳の逝去は早すぎました。

巨人・松井秀喜選手が日本で活躍したのはこの年までで、この年その集大成の如く50本塁打を放ち、メジャー行きに本塁打・打点の二冠王を獲り華を添えました。

新人王はセ・リーグがヤクルト・石川政規投手で20年経った今も現役を続ています。パ・リーグ日本ハム正田樹投手で、その後は意外にも振るわなかった印象でした。

巨人・桑田真澄投手が最優秀防御率を獲り、国内で最後のタイトル獲得となりました。パ・リーグの投手部門は近鉄パウエル投手が大活躍していました。

日本シリーズは巨人[E:#x2716]西武で、意外にも?巨人の4連勝であっさり日本一が決まりました。

 

●大相撲

武蔵丸が3回優勝、栃東千代大海が1回ずつで、朝青龍が初めて優勝した年でした。貴乃花はまだ現役でしたが翌年1月に引退する事となり、その前年であるこの年は1場所出ただけで、あとはすべて休場していました。

武蔵丸は3回も優勝したものの故障明けでのなんとかの優勝で、その直後は成績が振るわず長期休場も伴いながら、勝ち越しすらなく翌年引退する事となります。

引退は元幕内では朝乃翔、大至、湊富士肥後ノ海といったところでした。関脇では寺尾が遂に引退、突っ張りを武器に軽量ながら息の長い土俵生活でした。今なかなかこういうタイプの力士いないですよね。ケンカ相撲ともいえる闘志あふれる関脇・貴闘力もこの年に引退しました。

 

●旅行

この翌年に知り合いからデジカメを譲り受けましたが、この年までは写ルンです」を都度買って写真を撮っていたので、撮る枚数が限られていて、今から考えると窮屈なものでした。使い終わった分も現像に出すまでは持っておかないといけなかったので、その分荷物になったりと。

そんな形でしたが、旅行はほとんど行っておらず、財政的な問題もあり?夏のお盆の頃に行ったぐらいしか記憶にないですが、この時は「能登」へ初めて行きました。輪島や、今は亡き珠洲駅がまだ現役稼働していました。輪島では夜に公民館だかで「御陣所太鼓」を観ました。Photo_20220828215601今は亡き珠洲

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