(2011年4月当時)
▼上田駅の南西部に、このような赤い橋があり、千曲川が流れている所に美しく整備された花が咲き連なっていました。
下の堤防は遊歩道になっていて、芝生広場として整備されていました。
▼4/21 アリオ上田 グランドオープン
の幕が出ていました。
この訪問が2011(平成23)年4月29日の事で、オープンして9日目という出来たてのホヤホヤ状態でしたが、駅から少し離れた場所(徒歩5分程度)にあるという事でした。
これまで開店したアリオの中では最も小規模のものだったそうです。
▼上田駅北側(お城口)駅前のメイン道路ですが、上田プラザホテルの建物が印象的でした。
街灯が1つの柱からツインで出ているのも印象的でした。
上田駅は北側を「お城口」といい、南側を「温泉口」といいます。
▼上の写真から少し進んだ所です。
左折すると上田城に至る地点ですが、「ゆたかや」という呉服店の建物が大変立派なものでした。創業は1961(昭和36)年という事で60年は越しているものの、もっと老舗を想像していました。
▼上田藩の産業会所跡という事で説明板がありました。
明治期には金融機関になったという事で、第十九国立銀行となりました。
その後、六十三銀行と合併し、十九∔六十三で「八十二銀行」になった、ってそんな足し算の合併するんですね。
▼通りには「真田十勇士」の紹介看板がありました。
真田十勇士というと、和歌山県九度山町のイメージが個人的には強いのですが、ここ上田も十勇士に因んだ街なのですね。
というか、この上田(市域にある旧・真田町)こそが真田氏発祥の地であり、九度山はむしろ流刑地だったんですね…。
そしてこれは十勇士のうちの「霧隠才蔵」です。
「アッと驚く」忍術を使う伊賀忍者とありました。
昔、「猿飛佐助」というテレビドラマ(バスの旅で有名な太川陽介さんが佐助役で主演していた)で、この才蔵を倉田保昭さんが演じていました。才蔵がカンフーを使っていたか分かりませんが、すごい忍者ではあったようですね。
▼ここには十勇士の幟が並んでいました。
そういえば、十勇士の存在を知ってから「根津甚八」の元祖がこっちだった事を知りました。俳優の故・根津甚八さんが後付けだったという事ですね、根津は本名でしたが。
▼十勇士の中心ともいうべき猿飛佐助の看板です。
少し見えにくいですが…
石川五右衛門と術を競った事もある、と書いてありました。ホントに??という感じでしたが。
▼現・大手町についての説明板がありました。
旧は上級武士の屋敷が並び、新参町と呼ばれていたそうです。
▼渋い建築が目に入り、調べてみると「蚕都 上田館」とありました。
上田は「蚕都(さんと)」と呼ばれ、養蚕の盛んな地域であったといいます。
最近では、蚕って?ぐらいのレベルではないかな、と思いますが、昔は学習雑誌で「蚕の繭」が付録についていたぐらいで、少なくとも今もうそれはないだろうなと思います。
この建物自体は1913(大正2)年築で、この当時で間もなく100周年を迎えようとしていた状況でした。
という訳で、今回は上田駅からお城の方までの行程をお届けしました。
次は上田城を往きます。