続々トラベルとかナントカ

日本全792市を訪問した駅や旅の記録です

生活と思い出と世の中と(2009年)

遡って振り返る「生活と思い出と世の中と」、13回目は2009(平成21)年です。

遡って遂に2000年代に突入しました、個人的には39歳になる年でした。

 

●仕事

この年はリーマンショックで、何ヶ月か週に1日「休業日」の設定が個人ごとにありました。

土日の休み以外に、平日で月曜か金曜を選んで休んで良い、というものでした。つまり週休三日だった時期がありました。

給与は普通に出たし、会社も国からの補助金適用されたようで、休む事自体は問題なかったのですが、仕事がこなせなかった部分もあり、自分が休んでいる時によく電話がかかって来てました。

この当時はまだ他人の予定が分からなかったので、休みかどうか電話かけてみないと分からないしで。

あと、この当時パソコンの無線接続がAir-EdgePCカードでした。ダイヤルアップ接続だったような。この頃ぐらいからでしょうか、有線のLAN以外でPCのネット接続ができるようになって、便利になったのは良いですが、いよいよ職場から逃げられなくなった感もありました。

 

そしてリーマンショックは「派遣切り」をもたらしました。この時に派遣で雇われていた方々が首を切られる事となりました。自分も数年前に正社員に引き上げられなかったら完全に「我が身」だっただけに他人事ではないし、かつての仲間との「別れ」をこの時沢山しました。

他には、今の建屋に越してきたのもこの年で、以来ずっと同じ建屋で12年働き続けています。

 

●プライベート

秋に父の癌が発覚しました。肺がんでした。障碍者で歩く事もままならない身で、酒はあまり飲まなかったものの、たばこはロングピースを1日2箱吸うヘビースモーカーで、歩けない身故手術しても体力が耐えられず、もうその選択肢はなく、いつか来るその時を待つしかない状態でした。

そんな事もあって仕事や旅行などで泊まりを伴うもの避けていました。そして翌年5月までこの状況が続く事となりました。

 

●ニュース

政権交代、の掛け声のもと行われた第45回衆院選挙にて、民主党が圧勝し、政権を交代、暫くここから民主党内閣による国政運営が行われます。この時は期待感があったものでしたが…

イチロー選手が日米通算で3,086安打を記録し、日本人の打ったヒット数として最多の張本勲氏の3,085安打を更新しました。アメリカは試合数が多いのもあり、更新しやすい状況ですが、日本で純粋に3,085本打った張本氏もスゴイですよね、日本で、と限定すればおそらく超える事はでないあろう記録と思います。

森田健作さんが千葉県知事になりました。つい最近まで務めてらっしゃたので、随分長くされていたんだなと今振り返って思います。東日本大震災でも千葉県も被害に遭っていて、この対応もされていたんだなと。

裁判員制度」が始まった年でもあります。知り合いに経験者は未だおりませんが…

 

●訃報

牟田悌三さん …ケンちゃんシリーズのお父さん役など俳優としても、またラジオ番組でも人気

青山孝史さん …元フォーリーブスの人気アイドル。再結成後もツアーで精力的に活動。

山内一弘さん …ロッテや中日で監督を務め、打撃コーチとしても数多くの選手を指導。

渥美国泰さん …インテリ悪役を得意とし、数多くのテレビドラマにゲスト出演

大木実さん …「清水次郎長」の大政など、参謀的な役どころを得意とした俳優

金田龍之介さん …ギョロっとした目つきが印象的な、存在感のある悪役を中心に活躍。

清水由貴子さん …アイドルから「週間欽曜日」でバラエティーへ。介護疲れか自らの手で早世

七田眞さん …七田式といわれる、右脳を使った記憶トレーニング法で人気を博した学者

忌野清志郎さん …RCサクセションを率いたロック歌手。他のグループやソロでも過激なパフォーマンス

三沢光晴さん …「ノア」の社長を務めたプロレスラー

長谷部安春さん …アクション系作品で多くメガホンをとった映画監督

川村カオリさん …「翼をください」などで知られる独特の存在感を放った歌手

田川誠一さん …「新自由クラブ」の代表を務めた政治家

山城新伍さん …俳優にバラエティーの司会に才を発揮した夜の帝王。 

細川隆一郎さん …ギョロ目とハッキリした物言いで存在感のあった政治評論家

臼井儀人さん …「クレヨンしんちゃん」で有名な漫画家。遭難死。

中川昭一さん …首相を目指した父を継ぎ政治家に。父同様志半ばの死。

加藤和彦さん …フォーククルセダーズやサディスティック・ミカ・バンドなどで日本の音楽シーンを牽引

南田洋子さん …女優にして長門裕之さんとのおしどり夫婦ぶりが有名

五代目三遊亭圓楽さん …落語界のプリンスにして笑点の司会として長く活躍

三村敏之さん …元広島の二塁手として現役を務めたプロ野球選手、監督やフロントでも活躍

森繫久彌さん …日本俳優界の大重鎮。96歳の大往生。

田英夫さん …ニュースキャスターから国会議員へ、社民連初代代表

亀山房代さん …タレントからぼんちまさとさんと漫才コンビ結成などするも早世

 

プロ野球

パ・リーグ日本ハムが2年ぶりの優勝を遂げたのが印象的でした。北海道へ移転後、数々の話題を振りまいたものの、チーム力も上がっているという事を再度認識させられたように思いました。

引退選手としては、阪神・秀太選手が引退、スーパーサブとして存在感を発揮していました。そして阪神では、赤星憲広選手も33歳の若さで引退、首の痛みなどでこれ以上続けると生命に関わるレベルと宣告され、まだまだ走れる選手でしたが苦渋の決断でした。

中日では立浪和義選手が40歳で引退、早くに2,000本安打を達成し、最後は代打として起用されていました。今年からその中日の監督を務めています。また井上一樹選手は38歳で引退、立浪選手とは対照的に早くから出た訳ではないですが、長く選手生活を積み重ねてきました。

広島は緒方孝市選手が引退、一軍に上がるまで時間がかかりましたが、上がってからの活躍は目覚ましく、ケガが多いながらも足もあり長打もある選手として40歳を過ぎても活躍してきました。その後は監督も務めましたね。

同じ広島で主力として活躍し巨人⇒西武と移った江藤智選手は39歳で引退、後半は思うような活躍はできませんでしたが、大砲の存在感は発揮していました。同じ西武で、やはり巨人から移籍していた清水隆行選手も引退、仁志・清水の1・2番コンビは巨人の定番でした。

ロッテ・小宮山悟投手が44歳で引退、最後は1球セーブを挙げる離れ業で、締め括りました。大豊作だった1990年ルーキー組(野茂、与田、佐々岡、潮崎、酒井等)の最後の生き残りでした。更にロッテでは高木晃次投手が引退、「阪急」に在籍した「投手」としては最後の生き残りでした。(野手では中嶋聡捕手)

 

●大相撲

殆どがモンゴル勢の優勝で、まだ朝青龍が現役でフルに過ごしていました。新大関になった日馬富士白鵬とほぼこの3人で優勝を争っていた時期でした。

また大麻問題で引退(解雇)力士が出るなど、その後の八百長野球賭博につながるような、土俵外の悪しき事案が発覚した年でもありました。

主な引退力士は、まず元大関の出島です。大関に上がるまではたいへん順調な出世をしていた感がありましたが、蜂窩織炎などに苦しみ2年で大関を明け渡し、以後は平幕、時々三役になるような状態でした。

その他平幕以下の力士のみですが、皇司が引退しました。38歳まで現役を務め、元関脇・栃司の入間川親方の育てた力士として「~司」の先駆けにして代表的存在でした。あと潮丸も引退、その後親方になりましたが、早世してしまいました。

 

SNS

このブログを始めたのが、この2009年でした。

旅行ブログとして写真を載せまくっていましたが、ココログフリーという無料ブログにつき、10年ほどで容量限度が間近になり、やむなく別ブログを立ち上げて、そこで旅行記事をあげて、このブログではこのような旅行以外に触れる事に舵を取りました。そんな事で往時の写真華やかなブログになる事はもうありませんが、それでもまだ12年続ける事自体はできています。

 

●旅行

先述通り、父の具合があり秋以降は行っていませんが、夏までは3年ぶりに東北地方へ行ったりしていました。青森県弘前城跡など。

弘前城

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京都の西舞鶴駅から舞鶴城跡まで歩いて行って、そこに猫がめちゃくちゃいたのを覚えています。

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