遡って振り返る「生活と思い出と世の中と」、第12回は2010(平成22)年です。
今からもう一回りも前になります。個人的には40歳になる年、近年ないほど色々な事がありました。
●仕事
部下のような後輩がいながら、基本一人で仕事していたような感じでした。思えばこの頃からも一人で仕事する癖が染みついてしまってて、役職者になってもそれが抜けきれずに現在に至る、という感じがします。それが性に合ってるのも多分にありますが…
そんな訳で自分の所属するGrの長(上司)は形式的なものでしたが、よく声をかけてもらって仕事しながら雑談もしまくってて、仕事をしてて楽しいと思えた年の最後が、今から見るとこの2010年でした。それ以降はなんらか苦しい事の目立つ時期がずっと続いています。
●プライベート
この年に父が亡くなりました。まだ65歳。前年秋に母親から、がんである事を聞かされていて、長年の歩けない生活でもう手術に耐える体力もなく、正直どこまで持つか、いつその時がくるか…しかない状態で、亡くなる3日前に病院から急に電話がかかってきて、駆け付けたら危篤に近い状態、それでも週末はもって、月曜も乗り越えて、これは峠は越すかもしれない…と安心しかかっていた火曜日に母から電話で亡くなったと聞き、定時が来てそのまま帰って…バタバタでした。
各方面へ連絡、葬儀屋手配、早速葬儀屋が晩には来て、段取りの説明、喪主を務めてとにかく大変、仕事よりも大変で、悲しんでる間もなく、遺体の傍でロウソクの灯を絶やさずに寝たり起きたり…生前孝行できなかった分、せめてものできる事をしたというところでした。
そしてお通夜、まだ今みたいな家族葬の時代でもなく、近所の方、会社の方々沢山詰めかけて香典も頂いて…という事で、後の香典返しもまた「作業」でした。通夜振舞い後は、葬儀屋のホールに泊まり、翌日告別式、出棺の時に初めて感情が湧きました。そしてお骨を拾って…人の呆気なさですが、自分の親の時に初めてその呆気なさを身をもって体験した気がしました。
その後7日7日で法要、49日まで。毎週実家へ帰っていました。そして100か日と…。それまでにお墓を建てて、もありました。
ちなみに会社を1週間も休んだのは、現時点でこの時が最初で最後です。
●SNS
この年に「Twitter」を始めました。
初めは「これ、何が楽しいんだろう」と思いつつ、誰とも相互にやり取りせず、殆ど独り言レベルでした。独り言の日記みたいな(笑)
当時放送されていたドラマ「素直になれなくて」のスナナレ会が印象的でしたが、これが当時初めてTwitterが描かれたドラマ、と聞いて、Twitterしながら見ていました(笑)
それから12年経っても毎日のようにTwitter見て、また呟き続けているとは思いませんでしたね。
●ニュース
鳩山由紀夫氏から菅直人氏が首相になりました。それまでの野党が政権を取るとなると、絶対首相になる人だと思っていましたが、あまり長く続かなかったのが残念でした。民主党政権真っ只中の時期でした。
冬季オリンピックがカナダのバンクーバーで開催されました。この9年後にバンクーバー行きましたが、ホントに素晴らしい所でした!
東北新幹線が八戸-新青森間が開業したり、宮崎県で「口蹄疫」が流行したのもこの年でした。
●訃報
成川哲夫さん …スペクトルマンで有名な俳優。「トミーとマツ」のシリーズでも刑事役レギュラー。その後空手の師範代に。
田の中勇さん …「ゲゲゲの鬼太郎」目玉おやじで有名な声優。「天才バカボン」の警官役も
夏夕介さん …「愛と誠」「宇宙鉄人キョーダイン」などに出演した俳優、「特捜最前線」叶刑事として7年間活躍。
玉置宏さん …「ロッテ歌のアルバム」など名調子の司会ぶりが印象的
南方英二さん …チャンバラトリオの最年長。低音でドッシリとしたキャラクター
木村拓也さん …広島、巨人などで渋い存在感で活躍。コーチとして練習中に倒れ早世
島野修さん …元巨人選手にして、阪急ブレーブスのマスコット「プレービー」の中の人として活躍
池田駿介さん …「キカイダー01」イチローとして30代でヒーローに
つかこうへいさん …「蒲田行進曲」などの演出家として有名
高津住男さん …「ケンちゃんシリーズ」後期のお父さん役で有名。妻・真屋順子さんの献身的な介護も話題。
梨元勝さん …「恐縮です」のフレーズが有名な元祖突撃芸能リポーター
花田勝治さん …「土俵の鬼」とよばれた初代・若乃花。二子山親方として相撲協会理事長としても活躍
谷啓さん …「ガチョーン」があまりに有名な、クレージーキャッツのメンバー。俳優としても活躍。
池内淳子さん …ホームドラマの主人公のイメージが強い女優。ニッポンの美人お母さん的存在。
大沢啓二さん …ぺらんめぇ口調で個性的なキャラの大沢親分。日本ハムなどで監督を務め、コメンテーターでも存在感。
●プロ野球
先述「訃報」の欄にてふれた巨人・木村拓哉コーチの突然死が衝撃的でした。シーズンの始まる時、前年現役引退してコーチになったばかり、という本当に「これから」の時期だっただけに余計に…。
そしてその後、同じ巨人の同級生で、片や現役を続けていた谷選手のホームランがまた印象的でした。同級生である木村氏に向けて放った「タクに捧げる一発」として感動的でもありましたね。
オリックス・小瀬選手の転落死がありました。いまだ真相は分かりませんが、これからという選手で本当に残念でした。
ロッテが日本一となり、西村監督は就任1年目での偉業達成となりました。2000年代後半からこの時期くらいまでのロッテは強かった印象があります。
工藤公康投手が現役最後の年でした。最後は古巣の西武に戻っていて、渡辺監督よりも年上でしたが、47歳まで現役として一軍のマウンドで登板していた姿を覚えています。
●大相撲
野球賭博に揺れ動いた1年でした。
そんな中で白鵬の63連勝が衝撃でした。
そして横綱・朝青龍の引退、、記録上は偉大な横綱でしたが、その立ち振る舞いが色々問題視されたのが残念で、その引退の仕方も残念なものがありました。
初場所はその朝青龍が優勝したものの、その後突然の引退劇となり、結果的にこれが最後の優勝となりましたが、これ以外の5場所はすべて白鵬が優勝しました。
魁皇が幕内在位100場所を達成しました。
引退力士としては、先の朝青龍以外には、まず大関・千代大海です。突っ張りを武器に前へ出るファイターで、大関在位65場所は現在も魁皇と並ぶ歴代1位の大記録で、関脇に陥落して臨んだ場所でしたが1勝もできず無念の引退となりました。
また北桜もこの年に引退、独特の闘志あふれるスタイルで、そして豪快な大量の塩まきも見どころでした。この頃まではこんな個性的な力士多かったですよね。記録を見ると最高位が前頭9枚目で幕内在位わずか12場所とありましたが、もっと上にいてもっと活躍していた印象があり、記録より記憶に残る、存在感のある力士でした。弟・豊桜と同時入幕という快挙も達成しています。
また小結まで務めた海鵬も引退、青森出身で元・北勝海の八角部屋に入門、地味ながら安定して幕内で49場所活躍しました。
同じ元・小結の岩木山も引退、ゴツッとした風貌が印象的で、引退間際まで幕内にいましたが、病気などで休場が続き引退となりました。
●ハロプロ
この年の暮れにBerryz工房にハマってからというもの、以来ずっとハロヲタです。
つまりハロヲタ元年になったのがこの年でした。You Tubeのもたらしたもので、ホントに暇さえあれば動画見てました。
この頃は「イナズマイレブン」の主題歌に立て続けに起用されていた時期でした。「雄叫びボーイWAO」とか「本気(マジ)ボンバー」とかアイドルファンでなくても、見たらハマるでしょ?とか思ってました(笑)
●旅行
この年は前半は父親の状態もあって、旅行らしい旅行はほとんどしませんでした。
後半は近場を中心に山道を歩いたりとか、そんな事をしていました。夏の灼熱でフラフラしながら、山城の道を歩いて、今から思えば苦行でしたが何を目指してたのか…と思います。これはしかし、進みだしたら引き返せないという「性」がなせるもので、どうしようもないものですね。
40歳の誕生日は福島県の「いわき」市に泊まって迎えました。福島県の太平洋側ってあまり行かないので、レア感がありましたし、その後もこの「いわき」へは一度も行ってません。(写真は「いわき駅」にて)