2021年から振り返っていく「生活と思い出と世の中と」、4回目は2018(平成30)年です。
平成も遂に30年目となり、1年間「平成」で通した最後の年で、個人的に48歳になる年でした。戌年。
●仕事
正直思い出したくない事の多い年でした。特に後半、苛烈、ハード…帰宅時間の一番遅かった頃で、22時過ぎに最寄り駅にいたら早くてラッキーと思っていたぐらいです。帰ったら食べて風呂入って寝るだけ、ストレスフルだったので、ヤケ食い気味かつすぐ食べれるものばかり、身体に良い事は何一つしてなかったですね。外部から納期を迫られ、上から下から詰められる日々…徹夜でメール返信材料の調査もしました。こんな日々を送ってはいけません。ダメ、ゼッタイ。
●旅行
平日のストレスとホントは休日もやらないといけない程、仕事プレスの強い中、その反動で色々行きまくっていました。
前年から温泉宿にハマっていたので、そんなところをよく探していました。香川県琴平の温泉宿では、プライベートで寄りながら仕事のやり残しでパソコンにて調べものとメール回答の纏めばかりしてて、むしろそっちの思い出が強くて、いつか純粋な旅したいなと。
第二の故郷・島根県松江市の「水郷祭」を初めてまともに見ました。住んでいた頃見た事なくて30年目にようやくでした。日帰り温泉に行ったり、また別日に再訪して、旧松江市外の現・松江市域を複数日滞在して、昔をなぞるように旅した思い出も。
長崎の街を初めてじっくり巡ったり、箱根に2度目の訪問をしましたが、初めて大涌谷まで行って満喫、年末は千葉の九十九里の温泉宿でお世話になりました。
海外は6月に2度目の香港へ行きましたが、弾丸でこれは後述します。
●ニュース
カーリング「ロコ・ソラーレ」の「そだねー」が流行ったのがこの年であり、「もぐもぐタイム」なんかも同じなんでしょうね。
レンタル「はれのひ」事件もこの年で、成人式の晴れ姿を楽しみにする人々からこれを奪うとは…呆れた事件でした。
神戸電鉄・三木駅の駅舎が全焼という事で、市の中心駅にしては破格の小ささですが、これもこの年だったんですね。
現時点で日本最新の市となる福岡県那珂川市が誕生し、翌年ここへ行きました。この時に新幹線の「博多南駅」へ行きました。
日大の反則タックル事件も…その後も日大は不祥事があり、イメージをだいぶ下げてしまった感があります。
●訃報
輪島大士さん(元横綱・輪島) …北の湖・輪島の時代に相撲を見始めたのでやはり衝撃でした。金のまわしで6時前に現れての横綱相撲でした。
菅井きんさん …必殺仕事人の中村主水の母役「ムコ殿!」の定番セリフでイビる役柄がはまり役ながら、「太陽にほえろ!」のジーパンの母親役で「おふくろ」をすごく体現した人、大往生でした。
津川雅彦さん …長門裕之さんの弟ですが、やはり「必殺」シリーズでゲスト出演しては「爪痕」を何か残す狂信的な悪役がインパクト大でした。その後シリーズの「必殺橋掛人」で主役も務める大出世、ここでのとぼけた役柄が好きでした。「野々村病院物語」の危なすぎるセクハラ医師がピッタリと思ってしまいましたが(笑)
常田富士男さん …「日本昔ばなし」の2人しか声優のいないうちの男役で有名でした。この声聞かないと土曜日が過ぎないくらいの。
生田悦子さん …女優さんですが、「欽ドン」でコメディアン的側面を見て初めて知った人。良いOL役。「よせなべトリオ」で「大きな恋の物語」というシングル曲も出していました。ここでは年長だったこともあってすごくオバサンいじりされてました。
西城秀樹さん …まさに「ヤングマン」が毎日流れるTVを見て育ったので、かけがえのない大スターでした。まだ63歳の若さで。確かに何度か脳梗塞の大病を患い、思うようにらなかった晩年だったでしょうが。
ヒデキの死は個人的にこの年最大の衝撃でした。
夏木陽介さん …青春学園ドラマヒーローの草分け的存在。そして「Gメン'75」小田切警視などのクールファイターが似合う人でした。
川地民夫さん …渋い佇まいが印象的で主にゲストで活躍されましたが、数少ないレギュラー「大非常線」井手刑事役が好きでした。
左とん平さん …脇役として貴重な存在「非情のライセンス」右田刑事や「西遊記Ⅱ」猪八戒…。「とん平のヘイ・ユウブルース」なんて曲も。
星野仙一さん …「燃える男」「闘将」がピッタリの熱すぎる野球人でした。めちゃくちゃ怖い印象でしたが、多くの選手がその一方で「すごい優しい」と言うのが意外でした。もうなかなかこんな野球人は出ないですね。
衣笠祥雄さん …2215試合連続出場の日本記録を誇る、山本浩二選手と共に赤ヘル黄金時代を支えた「鉄人」でした。
●プロ野球
松井稼頭央選手の現役引退と、菊池雄星投手の日本での最後のシーズン、ということぐらいしか記憶にありませんでした。
●大相撲
栃ノ心が平幕優勝からブレイクして、3場所連続好成績をおさめ、大関に昇進しました。
御嶽海が関脇で優勝し、長野県出身としてはかなり久々で話題になりました。
横綱陣は低調なイメージで、白鵬は休場が目立ち、稀勢の里は毎回のように休場で「激励」処分?を受けたとか。
貴乃花親方が退職したのはビックリでした。
●ハロプロ
ハロプロが20周年という事で特にアニバーサリーな年でした。
アンジュルムは色々ありました。
まずは、遂にこの時が…という感じでしたが、前身スマイレージの結成からリーダーであった和田彩花さん(あやちょ)が卒業を発表しました。卒業は1年以上先、という事で随分早い予告で、「まだ日はあるから」と思っているうちに1年2ヶ月…早かったものでした。
そんな中で迎えた武道館「十人十色+」、多くのメンバーが史上最高だったという、見てても完成度的にはひとつの到達点だったと思います。
この年はあやちょが卒業発表したものの、卒業がなく、またこの時点ではまだ新メンバー加入もない、経験値的に高かった状態のものだったという事もあるかもしれません。当時の新メンバーがカントリーガールズ兼任の船木結さん(ふなっき)と地元のロコドル時代から芸歴の長い川村文乃さん(かわむー)という、新人らしからぬ新人だったのもありますが、呼吸ピッタリ感がすごかったと思います。
そして、初の海外公演がフランスでした。さすがにこれは行けませんでしたが、その次がアジアツアー、台湾、香港、韓国を3日連続ってどんな日程だよ?ですが、このうちの「香港公演」に行きました。47歳にして生まれて初めて海外でライブを見ましたねこの時。
会場へ行ってみたら、香港にこんなにヲタクいるんだと感動でした。日本人が少なくて、たまに「日本の方ですか?」と声かけられたりしてました。ライブの会場がすごい広くて逆に埋まってなかったけど、すごく楽しめました。何より海外でアンジュルムがライブやってるそこに立ち会ってる高揚感が半端なかったですね。
8月には「ロッキン」茨城県ひたちなかで盛り上がって、室内の小さめのステージだった記憶が。この時、ビール飲みながらほろ酔いで参戦しようと思ったら暑さで脱水症状が促進されて気持ち悪くなり、慌てて水を買いに出たので、少し後ろで見てました。夏のビールは状況を考えて飲まないとですね。
11月にパシフィコ横浜で5,000人を集めての公演、新メンバーが遂に2人(伊勢鈴蘭さん・太田遥香さん)加入し、挨拶していたのを生で見れました。「はちれら」と呼ばれたこのコンビをもう少し長く見ていたかったですが…。
12月に「アタック№1」の舞台を観に東京へ。あやちょ最後の舞台でしたが、主人公の相原こずえ役とは!空気で膨らました棒?を使って観客も応援の形で参加型の舞台になっていました。そういえばアンジュルムの舞台はこれ以降ないですね。
年末にまたロッキンに出演して幕張へ。大きなステージになっていて、それをかなり前で観れて感動モノでした。その足で西へ帰って忘年会…と大変でした。
この年に出た「46億年LOVE」は、グループ最大の盛り上がり曲として、ダントツの再生回数を誇っています。
アンジュルム以外だと、モーニング娘。'18が尾形春水さん、飯窪春菜さんとWはるなが相次いで卒業し、juice=juiceは先日5/30に卒業したばかりの稲場愛香さんが、ハロプロ研修生北海道の纏め役から、ハローのメンバーに復帰しました。
その復帰先が元々いたカントリーガールズではなかった事が、えらく話題を呼びました。色々事情があっていいと思いますが、最初のグループを「卒業」の形で出て、そこには戻れないだろうというのはありました。またカントリーは前年にメンバーたちを「兼任」の形で、他のグループへ移籍させていて、今更そんなグループに戻せないだろう、という向きはあったと思います。
こぶしファクトリーは本格的に5人体制がスタート。前年末から遂に5人となり、結成当初の8人から1人ずつ減っていってましたが、最終的にこの5人で最後まで走る事になります。新メンバー加入プランもあったようですが、メンバーたちが拒んだのもあったようです。元々表現力の高いメンバーが残ったのもあり、パフォーマンス力は抜群に上がったと思いますが、商業的な成功には結びつかず、そのせいではないでしょうが2年後に解散に至りました。この年の岡山県アリオ倉敷のイベントで、整理券番号2番を引いたのが自己最高記録で、間近で感動しながら見てました。
つばきファクトリーは、この年初めてライブツアーが行われました。それまではイベントを精力的にこなし、単発でライブがあった形でしたが、待望のライブツアー公演が行われいくつか見ましたが、うち愛媛の公演が、当日四国を渡る電車が停まってしまい、間に合わなかったことがありました。昼公演だったので諦めて、夜公演だけ参加できましたが…えらいアクシデントでした。
そして5月に、こぶしファクトリーとつばきファクトリーのいわゆる「こぶつば」という同期グループで、「KOBO」と題された合同ホールコンサートが行われました。翌年にはこぶしが単独でホールコンサートを開催し、つばきも翌年予定されていましたがコロナ禍で中止、2021年秋にホールを越えて「武道館」を実現しています。こぶつばの並び立つ姿がこれっきりで終わるとは、この時思いませんでした。
全体では、10月に「ハロフェス」というコンサートイベントが埼玉県のくまがやドームで行われ、この時BEYOOOOONDSのグループ名が発表されました。
色々書きすぎましたね、すみません。
●その他ライブ
太田裕美さんのコンサートで京都へ行きました。
イルカさんや庄野真代さんなどとのジョイントが結構ありますが、単独を京都劇場でやるのが近年の定番で、この頃はがん発覚の少し前だったと思います。今は病気と付き合ってかと思いますが、全快を祈るばかりです。この時はMCで昔の話を沢山知れて面白かったです。
当時の京都といえば、駅前の京都タワー辺りの地下に「yuu」という日帰り温泉がありましたが、2021(令和3)年6月末日をもって閉店となました。何度かお世話になってただけに残念でした。
そして、久々に甲斐よしひろさんのコンサートへ飛び込みました。当時65歳?メチャメチャ元気でした。前に彼のコンサート観たのが1996(平成8)年だったので、22年ぶりでした。枯れなど微塵もなく、久々に純粋にロックのライブを見ました。
色々書きすぎて壮大になってしまいました。以後考えなければ…