埼玉県入間市、埼玉/入間① 100年の歴史・旧石川組製糸に続く入間市の歩き旅です。
(2022年3月当時)
▼前記事の旧・石川組製糸の迎賓館を出てから、入間市駅へ戻ろうと思いましたが、もう少し歩いてみる事にしました。
まずはこの風景、丘陵に工事中の柵が並べられ、足元にでっかいコンクリート塊がありました。道路でもできるのか?分かりませんが、こんな感じの丘陵の更地を色々見かけた気がします。
▼立派なキリスト教の教会がありました。
日本キリスト教団 武蔵豊岡教会だそうです。
▼しばらく歩いてまた、丘陵の更地でした。
途中には石垣もありました。何に使う土地か全然分かりませんでした。長年何にも使っていないのかも。
▼一旦、入間市駅に戻ってきましたが、駅ビル「西武入間PePe」を横から見た姿がカッコ良かったです。
ミラー状になっているのもまた良いですが、かなり広く面積を取られていて、曲線部分もミラー状というのがまた目を惹きました。
▼最初は北口へ降り立って進んでいましたが、今度は南口側へ戻って、そこからしばし散歩する事としました。
そこで出くわしたのが、これでした。
「第三号公園 故きを温ねる公園」とありました。
「故(ふる)きを温める公園」じゃないの??誤字??と思いましたが、
ふるきを「たず」ねる公園、と読むそうです。
そして、向こうに見える門には「埼玉県入間郡武蔵町立 豊岡小学校」とありました。
現在同名の小学校は存在しているので、ここが元々の場所で、別場所に現在の小学校があるものと思われます。
ちなみにここが入間市になったのは1966(昭和41)年からで、それ以前は入間郡武蔵町でした。
▼その旧・豊岡小学校の敷地スペースに、当時使われていたであろう椅子が並べられていました。
▼前記事から通して、市街地の写真が皆無だったので、ここで載せておきます。
この通りは「アポポ通り」というそうです。
下記のような「アポポ商店街」というのがあり、「アッという間に人がポコポコ集まる」というのが語源だそうですが、商店街として成立したのが1934(昭和9)年という事で随分と歴史あるものです。
▼航空自衛隊の入間基地があるというので、とりあえず行ってみました。
別に何をしたという訳でもなく、ただ周囲を歩いてフェンス越しに見える景色を見ていました。
▼入間基地から入間市駅方向へ戻る際にあった団地群に見事に咲いていました。
▼県立豊岡高校前の一角に説明板がありました「彰義隊遭難者の碑」です。
幕末に彰義隊を名乗って、当地へ金銭調達に投宿してきた13名が、ニセの隊士と目された村人に殺害された事件があったといい、その記念として大正時代につくられたものといいます。
▼最後に「豊岡高校前」バス停です。