(2021年9月当時)
▼まずは我孫子駅南口の周辺案内図です。
この地図は下側が北ですが、我孫子駅から南へ向かって一直線で「手賀沼」です。
ハッキリ言ってこの我孫子市の旅では、手賀沼一択の感じで行ってました。
▼我孫子駅すぐ北のバス停です。
駅前広場にあるものではなく、駅前の通り上のものです。
こちらは我孫子駅南口につき、「北口行」となっていますが、北口は駅反対側になります。手賀沼から我孫子駅へ戻ってくる方です。
ただこの「あびバス」というバスでは便数が1日数本しかない状態でした。
手賀沼からしょっちゅう我孫子駅行きバスが通っていたので、他のバス会社で駅前広場まで乗り入れるものもあると思います。
▼我孫子市のマンホールです。
市の花ツツジと、手賀沼、そしてそこで泳ぐ鳥はカモではなくて、市の鳥「オオバン」だそうです。オオバンはツル目クイナ科だそうで、カモみたいなのとは全然違う鳥で、黒くて丸々とした体形に細い足が突き出ていました。
▼手賀沼手前のにあった「八坂神社」です。広い敷地をもつ神社ではありませんでしたが、1396年創建という歴史ある神社でした。
ちなみに我孫子駅から手賀沼へは、距離にして1km強といったところでしょうか。普通の時期なら全然歩いて行けるんですが、この時あまりに暑くて、帰りだけバスに乗りました。暑かったのと、それまで3都市くらい歩いてクタクタだったのとで。
▼すぐ向こうは手賀沼公園という地点で、色々な標識が出ていました。
結構見どころあるんだなとここで感じさせられました。
志賀直哉邸跡とありますが、志賀直哉(1883-1971)が1915(大正4)年頃から1923(大正12)年までこの手賀沼の畔に住んでいたそうで、彼の30代のほとんどがこの地で過ごしていたことになります。白樺文学館というのも彼が白樺文学の代表作家である事からきていると思います。
武者小路実篤(1885-1976)邸の表示も見えますが、志賀の翌年にやはり我孫子に移住しており、当時の作家陣が何人かこの地に住んでいたようです。
▼手賀沼のうなきちさんなる我孫子市マスコットキャラクターの自販機がありました。
ミニSLの看板が見えますが、子供に人気という感じでした。
手賀沼は、沼としての景観意外に手賀沼公園という名の通り「公園」として様々なエンタメ要素も含まれているスペースでもあります。
▼そのミニSLのコーナーです。
実際に家族で乗って動いているところも見れました。
▼ここからが本格的に「手賀沼」の写真ですが、ボート・遊覧船・釣り船ののりばがあり、沢山の船が停まっていました。
沼というと、湿地や濡れた泥的なイメージを持ちがちですが、ここの場合は湖みたいな感じですね。
と書きましたが、湖と沼の違いは何でしょうか??
答えは「深さ」です。
深さ5メートル以内であれば「沼」で、これ以上が「湖」なんだそうです。明確なんですね。
▼遊覧船乗り場周辺以外の沼の様子です。
ちなみに手賀沼は面積4k㎡ほどですが、2km×2kmの形ではなく、かなり細長い形になっているのと、戦後からの大規模な干拓事業で8割ほども埋め立てられて面積が著しく減少したといいます。
▼水辺の名物ともいえる水鳥もしっかり居ました。
この白い鳥はコブハクチョウという本欄に日本にはいない外来種で、クチバシの上部にコブがある事からそう呼ばれています。
▼最後は手賀沼を離れて、すぐ傍のアビスタという生涯学習施設の前にあった大きな説明看板です。
手賀沼の畔で学ぼう、という事で、先述の作家の邸宅や文学館など、作家陣が愛して住んだ街ならではの我孫子の魅力を感じる事ができるかと思います。この時はそこまで時間がなかったので巡る事自体も割愛しましたが、これを見て気になった方が行ってみたよ、なんて反響があればこの上ない幸いです。
ともあれ新年一発目の旅記事でしたが、今年もこんな感じでやっていこうと思いますので、お付合い頂ければ幸いです。よろしくお願いします。