に続いてのヒーローは…
山下真司(やました・しんじ)さんです。
この人に見るヒーロー性は、「太陽にほえろ!」か「スクール・ウォーズ」に二分されるのではないかと思いますが、むしろ後者の方が注目され脚光を浴びた度合いが高かったかもしれません、世間的には。
個人的には「太陽にほえろ!」のスニーカー刑事にヒーロー性を見ました。
これはタイミング的なものもありますが、「太陽ー」というドラマは、新人刑事が登場しては華々しく活躍し殉職の形で卒業降板する、これを繰返していたドラマで、彼の登場時は番組スタート後7年が経っていました。
当時小学3年生でしたが、それまでに「太陽ー」の再放送を何度か見て、どんな刑事がいて、誰が殉職して…というのは子供なりに理解し歴代刑事を「再放送」の形では見ていましたが、「本放送」で新しく刑事の登場を目にしたのは、このスニーカーが初めてでした。
長髪にジーンズシャツ(劇中でそう表現されていました)で、どこかかつてのジーパン刑事を彷彿とさせるいでたちで、ジーパンの再来的な事をいう人もいました。
彼の登場前の番組は「視聴率絶頂期」で、ボン(宮内淳)、ロッキー(木之元亮)のコンビで2年余り不動のメンバーで人気を保ち続けていました。元々はロッキー登場後1年でボンが殉職予定であったそうで、おそらくその後釜がこのスニーカーであったと思いますが、ボンの人気が高く「助命嘆願」があり殉職は延期となり、スニーカー登場も延期となっていました。
それまでの新人刑事役の役者は自身の登場前にチョイ役で1回テスト出演するのですが、山下氏は2回もテスト出演する事となり、1979(昭和54)年7月、ついにボンが殉職し、後任として「満を持して」の「スニーカー刑事登場!」となりました。
スニーカーは、久々のイキのいい新人刑事として大いに注目されました。その前の新人が2年前でもあり、またこの新人がヒゲもじゃのロッキーだったので、久々の正統派タイプの新人登場だった訳です。
演じる山下氏が陸上選手であったといい、そのダイナミックな激走フォームがとにかくカッコ良く、いつ見ても全力疾走していました。
このドラマがデビュー作の山下氏は登場後一夜にして世間の大注目を浴び、一躍ヒーローになった訳です。何しろ当時の人気絶頂ドラマの実質的な主役も同然の新人刑事役な訳ですから。
しかし彼は登場したタイミングがあまり良くなかった…、番組自体が当初のマカロニ・ジーパンのような新人オンリーではなく全刑事がそれぞれ活躍する「群像劇」化した事や、更にはそれまでどんな裏番組を当てられてもことごとく退けてきた番組でしたが79年10月「3年B組金八先生」の登場により、番組の視聴率が初めて揺らぎ始め、存続の「危機」を迎えるようになります。
それらのあおりで、スニーカーの存在感も薄れていき、番組は「打倒金八」に舵を取り始めます。
80年4月に、かつて在籍し転勤した事になっていた「スコッチ刑事」(沖雅也)を復帰させるというテコ入れを決行し、その3ヶ月後にはスタート当初から8年間活躍を続けてきた殿下(小野寺昭)を殉職させ、ドック(神田正輝)を登場させ、次々と人事刷新によって若手を増やし、路線も少しコメディー要素を入れつつ番組は変貌していきました。
金八の存在がなかったら恐らくはスコッチ再登場はなく、殿下は殉職しても(=演じる小野寺氏の希望が強く延命していた)ロッキー・スニーカーの若手コンビは1年間は持った(実際は8か月間)と思いますし、2人のコンビネーションを描いた作品も放送された事だろうと思います。
そんなこんなでスニーカーのキャラクター描写がしっかりなされたのは最初の3か月間くらいで、あとは次々登場する新刑事に存在感を奪われた格好になったのはなんとも残念でした。
そして81年9月、登場後わずか2年あまりで、後輩刑事の加入を待つことなく、また殉職ではなく「退職」の形でスニーカーは去る事となりました。殉職でなかったのは当時ボス役の石原裕次郎氏が重病で入院の最中で「ボス不在中」に殉職させる事が出来なかった為といわれていますが、先輩のロッキーより先に降板するのが当時とても疑問でした。小学生だったので「ロッキーが結婚し子どもができたから殺せなかったんだ」とか思ってましたが、マサカでした…。
前の宮内淳氏がそうだったように、太陽を降板しても次に何かのドラマで見れる…と普通に思っていたら、なかなか見れませんでした。
何かのドラマの1キャストとしては出ていたようですが、山下氏には新人として卒業後の主演ドラマが初めて当たらず、当時はダイドーの「スポーツエネルギー」という飲料のCMで見かけた程度でした。その間に髪を切り、このCMで髪の長い彼と短い彼が見れた、と記憶しています。大人になってから思ったのは、あまり良い引き際ではなかったようで。
「太陽にほえろ!」の○○刑事というのは、その後大体活躍してどこかしらで見れたものですが、彼をなかなか見れず、「このまま埋もれていくのかな…」的な事をぼんやり思っていたら、スニーカー卒業の3年後に突然、全く関係のところから主演ドラマの情報が飛び込んできました。
当時中2で、中学生の学習雑誌でその記事を見かけましたが、『主演は「太陽にほえろ!」のスニーカー刑事、山下真司さん…』と書かれていたのを今でも覚えています。
「太陽にほえろ!」の刑事には子供ながら「卒業生」を見るような感覚で見ていたので、それは嬉しかったです。
本放送はあまり見れませんでしたが、大映ドラマらしい、激動のストーリー進行で、実話をもとにしながらも大映らしい表現は随所に出ていて、また「熱血漢の泣き虫教師」というキャラクターもどこかスニーカーに通じていて、彼にピッタリだと思いました。
当時大映ドラマといえば、出せば当たるといわれたぐらい勢いがあり、またキャストも関連メンバー総出と言っていいぐらいの布陣でガッチリ固めて「失敗は許されない」感が今見るとなお一層ありました。当時のラグビーブームにのったもあったでしょうね。
当時大映で新進気鋭といって良い松村雄基さん・伊藤かずえさんといったところが登場し、妻役はやはり大映常連の岡田奈々さん、更には新顔で岩崎良美さん、アイドル人気のあった宮田恭男さんなど、それはもう豪華でした。後にブレイクするところでは不良生徒やくの小沢仁志さんなどもいました。他業界に行かれましたが「イソップ」など脇役の存在も光った作品でした。
重鎮陣も大物が数多く、校長には「太陽ー」で共演した下川辰平さん、「西部警察」の刑事たちのたまり場のマスターだった佐原健二さん、同じ大映「夜明けの刑事」シリーズからは坂上二郎さんと梅宮辰夫さん、大映常連の名古屋章さん、そしてどこからもってきたか和田アキ子さんの存在感も忘れられませんでした。なかでも梅宮さんの「兄貴」「漢」っぷりは光るものがあり、彼が演じる「マスター」がそのまま悲しい最期を迎えるのもこのドラマらしい激動感でした。最後のシーンで死んだマスターが幻影となって大喜びしてる姿は泣かずにはいられず。
だいぶ話それましたが、「太陽ー」では完全にブレイクしたとは言い切れぬまま卒業を迎えましたが、ここでは完全に俳優としての地位を確固たるものにした山下氏でした。大体の俳優は「太陽ー」でブレイクして飛躍するのでなかなか珍しいタイプですが、結果的に良かったのだと思います。
その後大映作品に次々出演し、終了後すぐ「ヤヌスの鏡」、翌年「天使のアッパーカット」とキャリアを重ね、大映と彼の持つ熱血要素がうまくミックスしていたと思います。
87年には再び刑事ドラマに出演、準主役的な役どころで、「太陽ー」で共演した小野寺昭さんと組んだ「大都会25時」です。
当時は「あぶない刑事」が放送中で、「太陽にほえろ!」「特捜最前線」といった長寿ドラマが次々に終了する激動期でした。この作品は実質「特捜ー」の後番組的位置でしたが…。
この作品で彼にヒーロー性を見出した人はあまりいないと思いますが(既に他番組のイメージがついていた、という意味で)、アクション重視でなく人情系のドラマでは、このような熱いキャラクターを持て余してしまったかな、という感じでした。
その後50歳を過ぎてからでは「ケータイ刑事」シリーズで、かつて「太陽ー」で演じた五代潤の役名で出演していますが、コメディ要素が強くて、かつてならしたオジサン的存在だったので、ここにはヒーロー性を見出すことはないと思います。
4日後の12月16日には70歳を迎える山下真司氏、まだまだアクションが出来そうな気がしますが、これからの役者キャリアらも注目していきたいと思います。