前回記事のJR五十猛駅の2つ西隣の駅です。
-JR馬路駅-
・路線 JR山陰本線(京都-幡生間)
・開業 1918(大正7)年11月25日
・訪問 2008(平成20)年10月
・1日あたり平均乗降車人員 11人/日 (2018年)
・近隣の都市駅 (京都方面) 大田市駅⇒4駅
(幡生方面) 江津駅⇒6駅
・鉄道での所要時間 東京駅から: 9時間46分
大阪駅から:6時間40分
※AM9:00発での最短時間
・駅規模ランク
ホーム ★★☆☆☆ …1面2線
跨線橋 ★☆☆☆☆ …なし
駅舎 ★☆☆☆☆ …なし
▼ひらがな表記で「まじ」です。 ウソではありません(笑)
高知県にも同じ馬路の字で「うまじむら」という自治体があります。
大田市駅から西へ4駅目の駅で、開業したのは1918(大正7)年で歴史上だと米騒動がよく挙がる年ですが、この駅の開業2週間前の11月11日に第一次世界大戦が終結しています。
東京からだと鉄道では9時間半を越え10時間に迫るレベルです。大阪からでも6時間半を越え6時間40分を要し、鉄道ベースでこれ以上かかるのはここより西以外にどこがあるのか?調べてみたいものです。
1日あたりの乗車人員はわずか11人で、前回記事の五十猛駅よりも僅かに多く、かろうじて2ケタですが、やはり駅としての存亡にかかわるレベルには変わりないと思います。
1918年の開業から1954(昭和29)年までの36年間、この地は邇摩郡馬路村であり、この間のみ自治体名と駅名が一致していました
▼ホームは1面2線あります。
ホームには室内型待合室があり、上り下りでホームか分かれているため、浜田方面や米子方面など明記されています。
名所案内として「琴ヶ浜海水浴場」があり、砂浜を歩くとキュキュッと鳴る「鳴き砂」の海岸として有名な所、そんな名所が近くにあります。
ちなみにホームではこの先はなんにもありません。
この手前側から出口へと続きます。
▼待合室の内部です。
ここは駅舎がないので、駅関連の情報はここに集約されていて、色んな掲示物や運賃表など諸々ありました。
1日あたりの乗車人員かわずか11人となっていますが、これだけでベンチが8脚ありました。
灰皿が2つもありましたが、13年ほど経った今は時勢から見て、もうないでしょうか…??
▼この馬路の散策地図がありました。
琴ヶ浜という名所がありながら、駅利用者が少ない駅ですが、こういう宣伝やPRに費やされてるんだなと感心しました。
ここにちゃんと「マジです」とありました。
▼運賃表は路線図式ではなく、駅ごとに並べて記されていました。
最初は上りで各駅ごとに記されていて、大田市駅までは230円で、出雲市までは820円、ここまで各駅ですが、そこからは少し飛ばして主要駅の運賃表示でした。
次が下りで江津駅まで400円、こちらは西浜田ぐらいまで各駅で、その先は主要駅ごとでした。
そして…今は亡き「三江線」の運賃表示もありました。
今では三江線の部分はカットされているのでしょうか…??
▼ホームの待合室と反対側のカットです。
右(南)側は山林という感じで、向こうには緑の中に家屋が見え隠れしていました。
ホームの真ん中に電柱がありましたが、その向こうに乗車証明書発行機がありました。撤去の向きが加速されたそうで、今はもうないかもしれません。
出口へは、これを向こうに進んで構内踏切を渡る形で駅舎沿いの通路へと進んでいきます。
▼ホームから構内踏切を渡って、この通路を向こうへ進んでいきます。
右側で更地になっている部分が、かつて駅舎だったところですが、撤去された跡が更地としてクッキリ分かり易く残っています。
▼駅舎の跡地がよく分かるカットです。
庇の出っ張っていた部分の突出まで分かる更地になっていました。
駅舎があった頃のカットを見ましたが、立派なものが建っていました。
向こうは駅前広場に相当するスペースという事になります。
▼駅から出ると、右側にこの下り坂の道路がありました。
これが駅前道路という事になり、突き当たりを左折して街へ出ます。
▼馬路駅の全体的な様子です。
右端のコンクリートの向こうの更地が馬路駅駅舎だったところで、その向こうのホームの様子がよく分かります。
手前側のフェンスに「馬路駅」と表示がありました。
以上、馬路駅でした。