(2018年11月当時)
▼徳山には何度か訪ねていますが、まずここでは最新の訪問時のものをという事で3年前の姿をお届けしたいと思います。
駅前広場が絶賛工事中で、このようなガチャガチャした雰囲気でした。
▼これまで徳山ではメインの通りは歩いていましたが、この時はちょっと路地裏も寄ってみようかと、こんな所を歩いてみました。
クリーニング店の看板が昭和チックで惹かれました。
▼上の写真より少し向こう側へ歩いたところです。
このお寿司屋さんの佇まいも、ずっと前からあったような感じで、2Fの窓と物干し掛けに年代を感じました。
▼徳山駅前の代表的な商店街である「銀南街」の中央店舗の案内図がありました。
銀南ま名前由来はイチョウの「銀杏」で、かつてこの地のお寺に植えられていたといいます。
シャッター商店街ではなく、ほぼキッチリ店舗が詰まっていました。
▼銀南街の文字が見え、中央街の文字も見える地点です。
ここにある店はかなり年季モノのようでシャッターが閉まっていたりもしますが、調べてみるとまだ現役のようです。
こんな感じのお店が続いていて、異空間に来たような感じでした。
▼中央街の一角の様子です。
この辺りはちょっとしゃれた感じにはなっていました。
中央街は戦後の闇市を起源とする商店街だそうです。
▼銀南街のマップの右下に載っていた「まつき食堂」へ寄ってみました。
開店以来約70年愛された味として中華そば等が紹介されていました。
店内は撮っていませんが、どちらかというとこじんまりした感じで、TVを見ながら中華そばを食べていました。
▼徳山駅近くの周南RISING HALLというライブハウスです。
2015(平成27)年にできたという新しいライブハウスですが、前身は「テアトル徳山」という旧・映画館を改装したもので、キャパは山口県最大の550人程度という事です。
この日はハロー!プロジェクトの「こぶしファクトリー」のライブがありました。
こぶしファクトリーは2020(令和2)年3月に惜しまれつつ解散してしまい、今は存在していませんが、当時はハロプロ随一のパワフルに歌えるアイドルグループとして人気を博していました。当初8人から相次ぐメンバーの脱退で残念ながら5人へと減ってしまいましたが、5人で活動していたこの後半期こそがグループのクオリティが最も高く、まさにこれからというところでの突然の解散でした。
そして、この日のライブではとりわけ印象的な出来事があり、ライブでいつものセットリストをこなしていたところ、突然音響トラブルで音が出なくなり、大抵なら中断してもおかしくないところを、彼女たちはアカペラで歌い続け、その後音響が復旧するまで一切の中断なく、ライブを進めていってました。ハプニングは大変な事ですが、この対応力の素晴らしさには感動しましたし、失礼ながらイレギュラーに立ち会えた「得した感」もありました。
完全にライブ感想記になってしまっていますが…。
▼ライブハウス内にあった、こぶしファクトリーのメンバーたちのサインです。
彼女たちの解散後の進路は様々で、一般人になった人、学生兼タレントや舞台女優を軸に活動する人等々ですが、左下の最年少メンバー・井上玲音(いのうえ・れい)さんのみまだハロー!プロジェクトに残っていて「juice=juice」に移籍の形で現役メンバーとして活躍中です。
▼ライブの後は、徳山駅近くの居酒屋で晩ごはんを頂きました。
ホントに「ごはん」も頼んでますが(笑)
▼居酒屋から宿泊のホテルへの帰り道、だいぶ酔いも入りフラフラしながら見かけたバス停は「銀座」でした。
徳山駅の隣のバス停で、いろんな路線が通る為か本数はかなりあります。もっとも徳山駅までなら全然歩いて行けますが。
▼これは2014(平成26)年当時のものですが、駅から少し離れて徒歩15分くらいの所に「周南TIKI-TA(チキータ)」というライブハウスがありました。キャパは300程度でしたが、ここでもライブ観戦をしたことがありました。
しかしこのライブハウスはこの2年後の2016(平成28)年に閉店してしまいました。
帰りに駅までの歩き道で、同じライブを見た人たちが一斉に帰って行くのを見ながら帰ったのを思い出しました。
今はこのコロナ禍でなかなかこのような事はできませんが、RISING HALLの方はまだ存続しているようで、ナントカ踏みとどまってほしいものです。
▼徳山といえば、駅前通りのイチョウ並木が真っ先に浮かびます。
初めて来た時にその印象が強くて、それが10年以上経っても変わっていませんでした。
下の2枚の写真のうち、上側は2018年当時、下側は2006年当時のものです。
11月や12月に来ることが多くて、ちょうどこの辺の景色の良い時期になっていた訳ですね。
周南市には他にも思い出深いシーン、カットがありますが、それらはまた少し後に譲る事にしたいと思います。