続々トラベルとかナントカ

日本全792市を訪問した駅や旅の記録です

俺たちのヒーロー列伝・その8 舘ひろし(1950~)

 

俺たちのヒーロー列伝・その7 渡哲也(1941~2020)

 

つづいてのヒーローは…

 

これまた流れどおり?!

 

舘ひろし(たち・ひろし)氏です。

 

石原裕次郎、渡哲也につづく石原プロのスターに上り詰めた舘氏。

この方は1990年前後「刑事ドラマのエース」と呼ばれた、刑事ドラマ俳優となっていましたが、それ以前の強烈なカリスマ性を誇ったキャラクターこそ「ヒーロー」っぽいと個人的には感じた訳です。

 

舘氏は今でこそ俳優としてすっかりイメージが定着していますが、芸能界デビューは遅く、1975(昭和50)年25歳の時で、それもロックバンドのリーダーという形でのデビューでした。

そのロックバンドとは「クールス」

日本においてロック、またはロックンロールという音楽や名称自体がまだ一般大衆に染みついていなかった頃、ようやく矢沢永吉氏率いる「キャロル」がそこに風穴を開け、宇崎竜童氏の率いる「ダウンタウン・ブギウギバンド」が[E:#x266A]あんた あの子のなんなのさ?のフレーズで世を席巻し始めた頃でした、そんな中を、オールディーズの入ったシンプルなロックンロールで「殴り込み」をかけた訳です。

 

この「甘い暴力」はデビュー作ではなく翌1976(昭和51)年リリースのシングルかと思いますが、真ん中が舘氏です。本人曰く「お山の大将」だったとの事ですが、まさにその通りで「ボス」と呼ばれセンターに君臨し「いつもどうすればカッコよく映るか」と考えていたといいます。後のような「ダンディーでムーディー」な雰囲気とは全く違っていますね。

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クールスはバイクチームと称していますが「ハーレーと原宿をこよなく愛するバイクチーム」とという事です。このバンドには参加していませんが、岩城滉一氏と舘ひろし氏がある店で偶然鉢合わせて、置いてあるバイクの話で盛り上がったのが結成のキッカケだったといいます。言ってみれば二大スターの共演ですね、これだけの面々を輩出したグループ、というだけでもすごいと思います。

後に岩城氏は俳優デビューが決まっていたという理由でバンドメンバーから外れますが、クールスの結成時には「ボス(舘氏)の意見が絶対」という事で血判状を押しての「鉄の結束」を誇ったといいます。

またクールスは、キャロルの解散コンサートで親衛隊(といって分かる人はある年齢層以上)を務めていた事もあり、「クールスはキャロルの弟分」とか「舘ひろし永ちゃんの弟分」とか言われていたそうですが、彼らの関係性は上下ではなくあくまで「対等」であったといいます。友達の一大事だから何かできる事はないか、という事で馳せ参じた、という事だと思います。

 

クールスはロックバンドとして楽曲作成や発表、ライブなどをこなしていきますが、東映を中心に映画にも出演しました。しかしそこで「舘ひろしとその他大勢」的な構図での出演となるなど舘氏と他のメンバーとの軋轢が深くなっていったといい、結局舘氏自らが結成したクールスでの活動期間は約1年半「脱退」の形で終止符を打ち。残ったメンバーがクールス(クールス・ロカビリークラブなどと名前を変えつつ)として活動を続ける事となりました(一応、現時点でもまだ解散はしていない状況です)

 

クールス脱退後はソロのロック歌手として再スタートを切り、時々映画にも出ていた舘氏は「野性の証明」などにも出ていましたが、役者としての転機はやはり1979(昭和54)年西部警察への出演になるかと思います。時に29歳でした。

石原プロの前作「大都会PARTⅢ」の時も出演交渉があったそうで、その時は音楽活動の優先という事で断っていたそうで、これを経た後の出演となった訳ですが、契約満了により第30話で番組史上最初の殉職者となりました。

それまで音楽活動や映画などで、ある程度知る人ぞ知る存在(想像ですが…)ではなかったかと思いすが、日曜8時の多くの人が見る事がハッキリしているドラマ、しかもキャスト紹介上は渡哲也氏に次ぐ二番手であり、当時大都会PARTⅡで二番手を務めていた寺尾聡氏を差し置いてのこの位置は期待感の現れではなかったかと思いました。

何にせよ「ハーレーを乗り回す刑事」として、この巽刑事(タツ)を演じて暴れ回ったこの当時こそが、一般へ鮮烈な印象を与え、最もカリスマ性を発しまくっていたころではなかっただろうか、と思います。ちなみにこの銃の替えはまだ後の定番スタイルにはなっておらず、過渡期を感じさせます。

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しかしその後ファンからの復帰ラブコールが起こったり、自分の次に殉職により卒業した五代高之氏の労いに撮影現場に訪ねたりなど、番組と縁の切れない状態だったそうで、結局降板から1年半ほどたった1981(昭和56)年暮れに別の刑事役で復帰するという、少々強引な形でのカムバックとなりました。

鳩村刑事(ハト)として戻ってきた当初は、リキ(寺尾聡氏)が健在で微妙な立場で、サングラスなし、髪を少し短くし、基本スーツスタイル(ライダースタイルもありましたが)などにして、前の役との差別化をそれなりに図っていた感がありました。

前のタツ役が鮮烈すぎてインパクトはどうしてもタツに譲る部分はあったと思いますが、PARTⅡに入ってからはオキ(三浦友和氏)、タイショー(柴俊夫氏)とコンビを組みながら、確実に人気を高めていき、不動の地位を築いたのはこの当時でした。この当時は石原プロに入社し正式に石原軍団のメンバーとなり、また「泣かないで」で自身初の明確なヒットにも恵まれ、いわゆるブレイクしたという表現も合うかと思います。

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1984(昭和59)年に西部警察のシリーズが終了し、翌1985(昭和60)年石原プロ制作「ただいま絶好調」に出演、クレジット上は渡哲也氏主演ですが、実質的には舘氏が主人公で、彼が演じるロックバンドのリーダーが「マジソン・スクエア・ガーデン」へ向かうまでの道のりをコメディタッチで描かれ、いよいよ主役を張って一本立ちしていくのを感じさせました。

 

そして翌1986(昭和61)年に「あぶない刑事」石原プロ制作外での初主演を果たします。

番組スタート当初まだ「太陽にほえろ!」が放送されており、おなじ日本テレビ系で両番組が共存していた時期がありました。

当初は割とアングラな雰囲気で、そんなものすごい人気があったとは思えませんでしたが、彼と柴田恭兵氏が演じる刑事たちのオシャレっぷりにスポットが当たり、ジワジワと回を追う毎に人気上昇していき、1年間の放送終了時には映画製作も決まっていて、トントン拍子に人気ドラマへと駆け上がっていきました。この変遷は当時高校生ながらずっと見てきましたが、まさかこうなるとは…という感じでした。

次に続いた「あきれた刑事」が不発に終わると半年後には時間帯を変え、かつて「太陽にほえろ!」が放送されていた金曜8時枠で1988(昭和63)年10月より「もっとあぶない刑事」としてスタート半年間放送され、人気のうちに終了し、映画も3作目が制作されるという人気っぷりで、あぶ刑事で彼を知りファンになった人もいたかもしれないし、ここで演じた鷹山刑事にヒーロー像を見た方もいるかもしれないですね。

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そんな舘氏は暴走族的なアウトローキャラクターから、すっかりダンディーな刑事ドラマ俳優と変貌し、平成に入っても1989(平成元)年には「ゴリラ警視庁捜査第八班」で再度石原プロ制作のアクション刑事ドラマのフィールドへ戻り、ここでは石原プロを共に支えた神田正輝氏と唯一連ドラ共演を果たしています。

「ゴリラ…」では彼が演じる伊達刑事が骨のガンにより余命いくばくもない状況…の設定が追加されました。基本1話完結の刑事ドラマにあってこの設定追加は、大型ドラマのふれこみでスタートさせた本作をコケた形で終わらせたくない、という思いがあったのかな?と今にして思えば感じます。

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1990(平成2)年40歳で刑事貴族スタートし、ここでは孤高の一匹狼的な刑事を演じ、彼の演じた刑事の中で最も雰囲気のある「カッコよさ」が出ていた、と思いきやわずか半年後に石原プロ制作代表取締役刑事」がスタート。これに出演する為に刑事貴族を降板せざるを得なくなり、わずか半年16回で薔薇にキスをして殉職の形で降板を余儀なくされ、「代表取締役…」の方は1年間出演となり、ここでは1歩引いた役どころとなり、服装も派手になり、それまでの舘ひろし像からはかなり離れたイメージでした個人的には。1992(平成4)年は「愛しの刑事」として再び渡哲也氏の下につき、宅麻伸氏とコンビを組みますが、いまひとつ不発の形で半年で終了。

その後は単発で1997(平成9)年から年1ペースで「太陽にほえろ!」のその後を描いた七曲署捜査一係」にボスの役どころで出演したり、2004(平成15)年に西部警察の復活版で当時の鳩村のまま「団長」を演じたり、ワンランク格が上がった形の刑事像を見せてくれました。

勿論「免許がない!」「上を向いて歩こう」などコミカルな役どころを挟み役柄を広めつつの形でしたが。

 

概して見ると西部警察の鳩村でブレイクし、ほぼその当時にイメージを定着させ、渋みを増しながら現在71歳にしていまだにダンディーさは健在な舘氏ですが、これを見た皆さんは彼のどの役柄にヒーロー像を見出したのか興味深いものがあります。