続々トラベルとかナントカ

日本全792市を訪問した駅や旅の記録です

俺たちのヒーロー列伝・その6 石原裕次郎(1934~1987)

 

俺たちのヒーロー列伝・その5 藤岡弘、(1946~)

に続いてのヒーローは…

 

石原裕次郎(いしはら・ゆうじろう)氏です。

 

このビッグネームはむしろ最初に出してくるべきだろ!と言われそうですが、石原裕次郎という人物への見かた・捉え方というのは世代によりかなり違ってくると思います。

我々世代は映画スター時代をリアルに知らないので、どうしても太陽にほえろ!」のボスのイメージが強すぎて、直接的に鮮烈に視聴者を魅了する新人刑事たちとは違って、そんな彼らを温かく見守る上司、として見てるので、亡くなった時に「そんなすごい人だったんだ!」と知ったようなもんです。あと、親世代はモロに銀幕の大スターとして見ていたようで、そのギャップが凄かったと感じさせられました。

子ども心に「ボスカッコいい」とかあまり思ってなくて、新人刑事しかほぼ見てなかったわけで、彼の魅力に対しては後付けで色々思うようになったというか、歳を経るごとに、取る毎にその魅力が段々分かるようになってきた、というところです。

人の上に立つ立場になってから、彼のカッコよさがすごく分かるんですよね、それこそ憧れのヒーロー像を見出すようになったわけです。

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しかしボスも初期は積極的に現場へ出向き、犯人を追う事もあったし、格闘する事もあり、機会は少なく大変貴重なのですが、それがまたカッコ良かったのもありました。石原裕次郎という俳優のイメージそのままに、なのか「タフガイ」を体現してる感じでした。

このカットは矢吹二朗(故千葉真一氏の弟)と殴り合いの死闘を繰り広げた時のもので、緊迫感満載でしたが、ボスをもってしてもここまで苦戦するのか?と視聴者は釘付けになったと思います。(オチがあまりに極端でしたが…)

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太陽にほえろ!」のボス以外では、レギュラーは自らの石原プロモーション制作のドラマである「大都会」シリーズと「西部警察」シリーズのみで、同じようなキャラクターでしたが、居るだけで存在感がすごい人という事で、逆にキャリアがこれだけになってしまったのかな?という気もしました。

「大都会」シリーズでは初作は新聞記者のキャップ・滝川竜太役で、この役が最も彼のTVドラマレギュラーでは自由度が高いというか「ユルい」役だったのかなと思います。バクチ(麻雀)ばっかりしてるからか「バクさん」と呼ばれ、周りがシャカリキになってるところを横目にスルーしながら、ここという時に手を打つみたいな感じでしたが、シリアスから最も遠い位置にいたのがこの役でした。

「大都会」のPARTⅡ・Ⅲでは一転して渋谷病院の名医・宗方悟郎として登場、渡哲也氏演じる黒岩部長刑事の関わった事件の関係者・あるいは同僚等の命を支える立場として、また人間として彼らをサポートする役どころでした。

 

「大都会」がシリーズ終了し、「西部警察」になると全編にわたって渡哲也氏演じる大門部長刑事の上司(2段上の上司ですが)である木暮謙三捜査課長として、彼ら刑事たちの捜査活動を全面的にサポートし、間に係長がいて大体事なかれ主義で、捜査活動に水を差しますが、それをサラッとかわして「責任は俺が取る」てな具合に彼らを送り出して事件解決に導く、というのが基本フォーマットでした。

そういう刑事ドラマでの理想の上司像、あるいはお父さん像みたいものを「太陽にほえろ!」のボス役と掛け持ちしながら体現していたのかなと思いました。

西部警察」シリーズの最終回で、実際に弟同然の渡哲也氏演じる大門が殉職しますが、その亡骸を前にした泣きの演技は「役者・石原裕次郎」をまざまざと見せつけた感がありました。普段全く見せない、感情的な演技がひときわスゴいものに感じられました。そこにいるだけで存在感の凄い俳優が、普段地全く違うテンションの演技を見せた訳ですから。

 

銀幕の大スターであったと共に病気がちの方、であるとも後年まで知りませんでした。

1981年春に当時小5でしたが覚えています。新聞見ると石原裕次郎さん倒れる」とあり、彼は当時46歳でしたが、後に解離性大動脈りゅう(この件でこの病名覚えました)にかかっていたことが判明し、たいへん衝撃的でした。当時の報道では成功確率3%などといっており、子供だから真っ正直に信じてましたし「ダメかもしれない」とも思っていました。半年後位に病院の屋上から手を振る姿が報道され「奇跡の生還」「不死鳥」色々言われていましたが、裕次郎像なのでしょうねこういうのも。そして戦列を離れていたドラマもそれぞれに復帰し健在ぶりをアピールしていました。

 

そして「太陽にほえろ!」のボスとしての演技で外してはいけないのが最終回のアドリブ同然の「命」について説くシーンです。

沢山の部下を亡くしてきたボスにとって、今また部下が死の危機に瀕しているという状況で、追っている容疑者の妹(看護師)から話を聞くシーンでした。有名な話ですが裕次郎氏自ら「この7分間を俺にくれ」とスタッフに言ってつくり上げたシーンだといいます。

片腕的存在の山さん(演:露口茂氏)を亡くし、しばらくして自らの健康上の理由で番組を離れるようになり、弟分の渡哲也氏に代役を任せたものの、もう本格的な復帰は困難と判断され、番組を終わるという決断となり、それまで休演していたのを最終回のみ「復帰」の形で登場しけじめをつけた、という事でした。

そんな形で復帰した回にスタッフに「7分間くれ」といって展開されたシーンが「命について説く」ものでした。

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「看護師(当時:看護婦)さんのところでも、新しい命が生まれ、そして古い命が消えていく…」そんな事を喋り始めて、「スコッチってやつがいてね…血を吐いて口の周り真っ赤にして死んでいった…」と殉職した部下について触れ、これは実際に自分より先に逝ってしまった沖雅也氏に対してのメッセージなのか、つまり自らの命が消えようとしている中で、若くして自ら命を絶った男へのメッセージなのか、と当時は何も思いませんでしたが時を重ねるにつれ感じるようになりました。

この時おそらく公共の電波に乗った俳優としての自分を見せられるのがもう最後…と悟っていたのかもしれないな…とか後年色々考えるようになりました。実際俳優としては完全にこれが最後の仕事で遺作な訳ですが…。

彼なりのラストメッセージだったのでしょうが、この8か月後1987(昭和62)年7月、52歳の若さで亡くなりました。

自分が来年52歳ですが、足元にも及ばない、大きな深い人物だったなとつくづく思いました。

 

銀幕スター当時の事はよく知らないのであえて触れませんが、

ボスとして大きな存在感を誇った石原裕次郎氏、こんな人はもう出ないでしょう。まさに不世出の大スターでした。