(2013年7月当時)
▼駅記事の稲沢駅訪問は2006年のものですが、この当時は本当に駅前しか行かなかったので、およそ旅記事らしいものが書けず、その後7年経った2013年7月再訪当時のものとして今回記事は写真を載せていきます。
まずは稲沢駅の駅自由通路施設案内です。
東口と西口に何があるか示していましたが、西口の方が圧倒的に多く、この時も西口に降り立って、名鉄国府宮駅の方へ向かって進んでいきました。
絵にある通りですが、長い階段が印象的でした。
▼自由通路からの印象的な長い階段はこんな感じでした。
見下ろす景色がなかなか素晴らしくて、駅の2Fの割に高い位置にある事も感じさせられました。
▼稲沢駅前ロータリー周辺の風景です。
自由通路からの眺めがなかなか素晴らしいのがここからも分かります。
時は7月、大相撲名古屋場所開催中につき、相撲の幟が立ち並んでいました。
東関部屋が目立ちますが、当時東関部屋はこの稲沢を宿舎としていたようです。当時の親方(元幕内・潮丸)は41歳の若さで2019(令和元)年に亡くなってしまい、現在は人気力士であった元小結・高見盛が東関を襲名しています。
▼稲沢市観光案内図というマップと、観光めぐり 稲沢市という見どころ一覧の看板がありました。
「稲沢市ってどんなところ?」というのがあるかと思いますが、各市にやはりいろんな顔があるというもので、だから自分もブログで市に焦点を当てて記事を書いていますが、これで稲沢市の顔が少しは窺えるというものかと思います。
これによると、月ごとにいろんな行事があり、祭りを中心に紹介されていますが、祭りが色々とあるものですね。馬まつり、はだか祭り、桜まつり、そして幟も出ていた「いなざわ夏まつり」etc… 稲沢は「祭りの盛んな街」という側面はまず窺えます。
▼中大通(なか・おおどおり)という通りです。
この地点は稲沢駅からは400m、名鉄の国府宮(こうのみや)駅へは1.3kmということで、稲沢市の名鉄駅へ行ったことがなかったので、歩いていく事にしました。
▼中大通りを国府宮駅方面へ進んでいくと、このようなゲートが見えてきました。
国府宮の参道という雰囲気が出てきていました。
▼こんなバリケードづくめの家屋もありました。
▼稲沢市のマンホールです。
市の木がクロマツという事で上部はそれだろうな、と思って見ていましたが、真ん中の手とかなんだろう?と思い調べてみたら「国府宮神社のはだか祭り」の様子だそうです。トマトやシイタケみたいに見えるものは人の頭なのですね(笑)
▼密林っぽい一角の近くにスナックっぽいお店があるのが妙な雰囲気でした。
▼正明神社という神社へ立ち寄りました。
三対の狛犬が印象的でした。そこをアップに撮ると尚の事…迫力が増しましでした。
▼いかにも昔の建物が残ってる…
と思って見てみると、どうもまだ現役のようでした。「本日は閉店しました」とあり。
▼立浪稲荷大明神というお稲荷さんの朱塗り鳥居の連続は圧巻でした。
こういうのは存在するだけで、存在感大ですね。
▼稲沢中学でしょうか。
「稲中」の文字が印象的でした。
というのも「行け!稲中卓球部」というギャグマンガを思い出し、「稲中やん!」と思ってしまいまして。
▼国府宮に到着しました。
稲沢といえばココ!という所にようやく出会えた感じです。
尾張大國霊神社(おわりおおくにたまじんじゃ)とありましたがこれが正式名称で、国府宮というのは通称です。尾張国の国府があった事から俗にそう呼ばれているそうです。
大鳥居の扁額にも国府宮の通称が刻まれていました。
名鉄の同名駅・国府宮駅からは徒歩わずか3分の近さにあります。
▼境内には国府宮会館という立派な会館があり、敷地も広く、立派な所である事が存分に窺えます。
▼境内の鳥居は木製でしたが、またも立派なものでした。
向こうに並木道の参道が長く続いていました。
▼楼門です。
重要文化財に指定されていますが、室町後期のものたそうです。
重厚でかつ末広がりの曲線を描く屋根が、濃い褐色と相まって存在感たっぷりでした。青空とのコントラストも素晴らしいものがありました。
▼拝殿です。
木製が前面に出た建物で、屋根が八の字曲線とでもいうか、きれいな末広がり曲線でした。
▼境内の一角です。
社務所も見えていますが、木が存在感がありました。クネクネっとした感じが。
▼国府宮の重要文化財と稲沢市指定文化財とが連ねてありました。
この神社の歴史を感じさせます。
▼最後に、正式名称の大鳥居がありました。
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