島根県安来市、「島根/安来④ 鷺の湯温泉/足立美術館/安来節演芸館」につづく安来市第5弾の記事で、旧・能義郡広瀬町としては第3弾となりますが、今回は1991(平成3)年当時、まだ安来市になる前の郡部の頃の風景としてお送りします。
(1991年12月当時)
▼今回お送りする写真は、わずか3枚のみです。
というのも初めてこの能義郡広瀬町を訪ねた1991年に「写ルンです」で断片的に撮った写真のみにつき、極めて適当なカットとなっている事をご容赦願います。
しかしながら、今から30年前の貴重なカットともいえるかと思います。
まずはこの「比田郵便局」のカットです。
前回までの広瀬町のカットは、バスターミナルで中心地に降り立って、そこから歩いての行程でしたが、この当時はバイクで走りながらピンポイントで撮っていたので、撮影場所がかなりばバラけています。
当時1992(平成4)年のお正月を迎える仕様で、軒先に門松が飾ってありました。
この辺りはこの記事で訪ねた広瀬町の中心地から実に約20kmへ南へ下った所にあり、当時の町域の広さを感じさせられます。
この辺りには比田温泉という温泉があり、「比田山荘」という温泉宿があります。
▼こちらは広瀬町下山佐という地区の国道432号線上です。バイクで信号待ちの時に撮ったようなカットで、適当すぎてすみません。
広瀬町の中央より約2km南の地点で、さほど遠くないのですが、たったそれだけでこれだけ風景が激変するのはすごいなと感じました。ここは何もないところでした。
▼広瀬町 町民会館
のある辺りです。
当時の広瀬町で「この辺りが中心地付近かな」と思って撮った覚えはありますが、詳細にどの辺か調べてみたら、JAと町役場(現市役所支所)の間にある道路である事が分かりました。
手前のリヤカーが時代を感じさせます。
▼こちらは2019(令和元)年5月1日当時のものですが、上の写真と反対向きながら、ほぼ同一箇所の撮影(定点観測的なもの)に成功していました。(当時、上の写真でどこを撮ってたか全然記憶にありませんでしたが)
当時の広瀬町町民会館は安来市広瀬町民会館となってますが現在もあるようで、今は公衆トイレになっていますが、右奥にあるものと思われ、町民の避難場所にもなっているといいます。
歩道の感じは変わっていますが、和風建築の塀が当時のまんまでした。
そんな感じで、30年前の広瀬町の様子を忘備ついでにお送りしました。