(2005年11月当時)
▼八日市市観光案内版
とありました。
この年の2月に旧・八日市市は合併されて現在の東近江市になったばかりの状態で、まだ「東近江市」に貼替などされる以前の状態だったのでしょう。まだ旧市の中心の色合いが濃かった頃といえます。
「大凧と緑のまち八日市」とありました。大凧は八日市にとっての大きなウリです。
この記事では2005年11月訪問時を基軸に、再訪した2009年2月時のものを時に比較の形で載せていきます。
左側の写真は今から15年以上も前の2005年11月の様子ですが、11月半ばにして既にこのような雪景色でした。
右側は2009年2月のもので、約3年後になりますが、再訪して偶々似たような地点が撮れたので横に載せています。3年くらいではあまり変わってないと思いますが、2021年の居訪ねてみたらどのくらい変わっているのか?見てみたいですね。
▼大通り商店街
という商店街を歩いて行くと、昔ながらの各商店が目に飛び込んできました。
この通りは、八日市駅からそのまま東へ伸びた通りの南に平行にある道路の通りです。
▼これも大通り商店街ですが、こんな和風建築の素晴らしい建物もありました。
軒先のギザギザにぶら下がっているものに昭和を感じます。
▼こんな感じで「大通り商店街」とあり、街灯が2つついていました。
ホントに昔ながらの「○○屋さん」が並んでいました。昔はそれぞれのお店に買い物に行ったものでしたが、今どきは一つの店舗でそれが間に合ってしまうんですよね…
▼こんなすばらしい壁画?というかタイルのアートがありました。
▼NTTの大きなビルの建屋に日本一の大凧としてディスプレイされていました。
八日市の大凧は300年の歴史があるという素晴らしいものだそうです。
▼ここまでは街の様子を流し見適したが、ここからが本題で、アーケード商店街へ突入します。
この「ときわ通」という商店街、左側が2005年、右側が2009年で同じ場所で撮っている訳ではありませんが、初めて来たときはある意味衝撃でした。
アーケードのついた商店街でこれだけゴーストな雰囲気を感じた事がなかったからです。当時はまだそんな色んな商店街を通った経験値自体が低かったのですが、それにしてもこの商店街の醸し出す雰囲気は異様なものでした。
それなりに設備があり、それなりに軒は並んでいるのに、息をしている感がなくて、旧の市場でほぼ息をしていない通りは時々見ていましたが、これだけの大掛かりな商店街でゴーストな雰囲気は初めて味わった、そんな鮮明な記憶は残っています。
恐ろしいくらい静かな通りでしたが、2019年upの某動画を見た限りでは、まだこの通りもアーケードも存在しているようです。ググっても撤去予定は見受けられませんでした。
静寂が怖い方には絶対オススメしませんが、個人的には八日市に来たらここを歩くのは外したくないところです。
▼つづいて「ほんまち」と入口にデカデカと表された壮大な通りへと至ります。
こここそは人がいるのか?と入っていきます。
▼そして「ほんまち商店街」へ入っていきます。
これもまた左が2005年、右が2009年です。
「ときわ通」よりは人の気配が感じられましたが、車や自転車が停まっていたという感じで、人とすれ違う事はありませんでした。
かつては、ときわ通とともに八日市の経済発展に寄与した通りだったという事で、アーケードまで作ったことでそれはよく分かりますが、完全に時代に取り残されてしまった感がありました。駅前のアルプラザや西友他大型店舗にむしり取られてしまった、と感じてしまいます。
▼すでに東近江市になっていましたが、まだ「八日市市」との表示があった交差点でした。(もう修正されていると思いますが)
▼旧・八日市市役所です。
そのまま現・東近江市役所でもあり、ここが人口11万の東近江市の中心の位置づけである事の表われかと思います。
▼最後は2009年当時のこの通りです。
これまた路地裏感がすごいですね。
東近江市の合併時のメインは八日市市と思いましたが、JR駅のない内陸部では発展は限定的だったでしょうか。それなら郡部であった能登川町の方が発展の目があるのかな、と思ったり。
しかしこの一帯の雰囲気は個人的には好きで、病みつきになる何かを感じましたし、2009年にわざわざおんなじとこ歩いてる(意識していませんでしたが)のは「ときわ通」がどうなっているかこの目で見たかったからに他ならない、のではなかったかと思います。